恋は乗り越えられない試練を与えない。

 約束の土曜日、一時ちょうどに彼はやってきた。
「いらっしゃい。迷いませんでした?」
 一目で単身用だと分かる鉄筋コンクリートのマンション。考えてみれば友人を招くのは久しぶり。そう思いながら彼を迎え入れる。
「これ」
「わ、本当に買ってきてくれたんですね。凄い、沢山」
 手渡されたビニール袋には多種多様の飲み物が入っていた。飲みやすいチューハイ缶の他に炭酸飲料や紅茶も並んでいる。
「何がいいか悩んだから」
「俺相手に悩まなくていいのに。でも、ありがとう。嬉しい」
 そう言ってやれば彼の顔に安堵の色が広がる。僅かな動きでも昊には分かる。
「どうぞ上がってください。狭い部屋ですけど」
 リビングのソファーに促した。スペースの都合でキッチンテーブルが置けないから、テレビの正面のローテーブルで食事をしている。誰かと並んで食べたことはないが、広めのソファーだから問題ないだろう。
「綺麗にしている」
「そうでもないですよ。掃除とか適当だし」
 言葉と裏腹に今日は朝から念入りに掃除をしている。恋する人間なら誰でも吐いてしまう、許されるタイプの嘘だ。
「ちょうどオムライスができたところなんです。用意しますから寛いでください。あ、洗面台とか好きに使ってください」
 シンプルすぎるほどシンプルな部屋でも、彼が見回す間は落ち着かなかった。おかしな部屋だと思われたらどうしよう。その気持ちを払うように饒舌になってしまう。
「いい部屋」
「そう?」
「うん。原田さんらしい。落ち着く」
 言われて安堵した。
「温かいうちにどうぞ」
 チキンライスを薄焼き玉子で包んだごく普通のオムライスを運べば、彼にまじまじと見つめられた。
「卵が零れ落ちるような高度なやつじゃないですけど」
「いや、凄い。嬉しい」
「よかった」
 そんなこんなで二人の昼食になった。
「ケチャップありますよ。ベタに星とか描きます?」
「星?」
 ピンとこない様子だったので、勝手に玉子の上にケチャップの星を描いてやる。
「……テレビで観たことあるやつ」
 子どもの頃、母親がこうして喜ばせてくれたことはないのだろうか。
「こういうサービスを売りにしているお店もあるみたいですよ。ご主人様って言って、猫とかハートとかを描いてくれる」
「ふーん」
 そっち方面に興味はないらしくて、ちょっと安心。
「原田さんのに、俺が描いてもいい?」
「どうぞ」
 スーパーで安売りしていたケチャップも、彼が手にすると高価なアイテムに見えるから不思議だ。そのアイテムで彼が器用に絵を描いていく。
「おお、上手い。内村さんて器用なんですね」
 描き上がったのは猫だ。可愛らしいデフォルメではなく、普通に上手な猫。
「手先は人より器用だと思う。あまり役に立ったことはないけど」
 彼らしい答えだった。感情表現と人間関係が不器用で、見た目と性能は抜群な男。昊にとっては不器用な部分も愛おしい。愛おしいが、今彼に気持ちを知られるのは高リスクだ。警戒されて、こんな風に友人として付き合うこともできなくなるのは嫌だ。だから自制。そう気持ちを落ち着かせる。
「これ、好き」
 付け合わせのブロッコリーも蕪のスープも彼は気に入ってくれた。
「よかった。好き嫌いはないって言っていたけど、好みはあるだろうから何を作ろうか迷って、昨日から色々考えました」
 白状すれば、スープボウルから顔を上げた彼に見つめられる。
「俺が来るから考えたの?」
「そう、ですね。友達には喜んでほしいから」
 何か気に障ることを言ってしまっただろうか。そう案じたが、彼はすぐに視線を戻してしまった。何か考えるように、綺麗に食べ終えた皿を見ている。
「片付けてしまいますから、飲み物とお菓子を並べておいてください」
 立ち上がってリセットすることにした。彼が買ってきてくれた飲み物と、昊が買っておいたファミリーサイズのお菓子を手渡して、キッチンで手早く洗い物を済ませてしまう。
「もうすぐ二時ですね。テレビ点けてください。チャンネルどこでしたっけ」
「あ、平気。分かる」
 スマホで番組表を見ようとするのを止められる。どうやら彼も野球を楽しみにしていたらしい。
「今日の四番は誰ですか?」
「岡部」
「おお、今日は割と王道」
 Kオリオンズの監督はスタメンを固定しない独特の采配をする。賛否はあるが昊はそんなやり方が好きだった。今日はどんなメンバーで来るかのドキドキする。因みに安井は中継ぎ投手だから、出るかどうかは試合の流れ次第。彼だけはベンチにいる姿を観るだけで嬉しい。
「お酒、沢山ありがとう」
 テーブルに内村が買ってきてくれた酒を並べて野球観戦タイムになった。
「久しぶりだから、弱いのからにしようかな」
「あんな馬鹿みたいな残業をして、飲まずにやっていられるのが奇跡だ」
「飲むと翌日の作業効率が落ちるんですよ。そうすると結局苦しむのは自分だから」
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