未来の次の恋

「ねぇ」
 デスク下のゴミ箱に捨てて立ち上がれば、そのタイミングで腕を引かれた。
「そんなに僕が嫌い?」
 直球すぎるほどの直球に、思わず顔を向けた。恐らく地毛だろう。茶色がかった黒髪の下の驚くほど整った顔立ち。嫌い? と聞いておきながら、怯える様子もなく誠を見つめる。
「嫌いと言ったことはありません」
「うん。でも距離を置こうとしている」
「そんなことは……」
 ないと言おうとしてやめた。たった一週間だが、彼の切れ者ぶりは実感している。騙されてくれるような男ではない。
「マネージャーとあまり親しくするのもどうかと思って」
 ゆっくりと彼の手を外して離れた。予知のことは言えないから、曖昧にして逃げようと思う。だが発送部屋に戻って仕事を再開しようとする誠に彼もついてくる。
「僕は加村さんと仲よくできたらと思っているんだけど」
「仲よくって」
 思わず笑ってしまった。運も実力もある者の余裕の発言だ。ついでに公私共に悩みもなく退屈しているのだろう。誠に興味がある訳ではない。思い通りの反応が返ってこない相手に意地になっているだけ。仲よくなんて言葉をさらりと口にしてしまえる彼に、また少し頑なになる。誠には気持ちのまま好き嫌いを決める自由はない。その自由を目一杯楽しんでいる彼に拒否反応が出てしまう。
「久慈さんは一年限定でやってきたマネージャーで、俺はただの総務主任ですから」
「同じ職場で働くのは一年でも、そのあと別の関係になって末永く付き合っていくかもしれないでしょう?」
 何を言っているのだと思った。訝しげな顔を向けてしまって、すぐに手元に視線を戻す。ただの戯言だ。やはりこれまで誰からも拒絶されたことのない彼が、自分の魅力に掛らない相手にちょっと興味を引く言い方をしているだけだ。別の関係なんて、友人にでもなるというのか。弱小グループ会社の一社員が、トップ企業の会長の孫と友達になれる訳がないではないか。マネージャーというだけでも恐れ多い。馬鹿馬鹿しくなって、もう黙って手を動かすことにする。
「それ、オーダーされた書類の発送だよね。先週も一人で残業していた。僕も手伝っていいかな?」
「……マネージャーがする仕事ではありません」
「どうして? やってはいけない仕事なんてないよ」
「今は人に一から教えるほど元気ではありません」
「大丈夫。見ていて大体分かったから」
 そう言って彼は本当に発送作業を始めてしまった。その様子に諦めの境地になって、もう好きにしてくれと思う。一件でも終わらせてくれればいい。月曜の朝の集荷の前に、ミスがないかチェックし直せばいい。そう思う誠の隣で、彼はさらさらと仕事を熟していく。
「……凄い。地名に詳しいんですね」
 もう話さないつもりが、つい零れてしまった。彼が封筒に書いた文字に目を奪われる。手元にあるのは忙しいオペレーターが書いたメモだから、住所が不完全だったり漢字が間違っていることも少なくない。のと之の違いやつとツの違いなど、こちらで調べて訂正しなければならないものを、彼が正確に記入し直しているのに気づいてしまう。
「外回りをしていた頃の知識があるんだ」
 脈絡のない言い方をしたのに、彼はこちらの意図を掴んで返してきた。まるで誠に話しかけられたのが嬉しいというように、ふわりと笑う。不意討ちのそんな顔は反則だ。慌てて視線を外して作業に戻る。大体分かったという言葉は強がりではなく、彼は二十種類以上ある書類に戸惑うことなく発送物の完成品を作り上げていった。この一週間、本当に誠の仕事を見ていたらしい。
「これ、メモが間違っていた場合の訂正も全部加村さんがやってくれているんだよね」
「……そうですね。漢字が間違っていても届くでしょうけど、失礼になりますから」
 手を動かしながら聞いてくるから、返さない訳にはいかなかった。
「封筒に両面テープを貼って部署毎の判子を押しておくのも加村さんだね」
「発送の下準備ですから」
「初めから糊付けしてある封筒を発注することはしないの?」
「高いんですよ。小さな会社ですから経費削減です」
 淡々と返せば、その後彼が何かを考えるように静かになった。ちょうどいいので手元の作業に集中していれば、六時半を過ぎたところで全て片付いてしまう。
「では、俺はこれで」
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