未来の次の恋

「ただの偶然だ。俺にもお前にも人を呪う能力なんてない」
 都合よく頼っているというのに、車で迎えにきた光は治療院で話を聞いてくれた。
「久慈さんを好きになって身についてしまったんだ。俺は恋愛なんかしちゃいけない人間だったのに。だから今まで本気で好きになる前に終わっていたのに」
 フローリングに膝をついて、ベッドに座る誠を見上げる顔が痛ましそうに歪む。だが光の反応を気にしている余裕はない。ボロボロのメンタルに押し潰されそうな誠に、彼が攻め方を変えてくる。
「命に別状はないと書いてある。そもそも呪いが罪になる法律なんてない。お前は知らないフリをしていればいい。警察だって逮捕のしようがないだろう?」
「全治三ヵ月って……」
「芸能人の怪我の具合なんて大袈裟に報道される。あれほどの女優なら、いい病院に入っていい治療が受けられる。お前が心配することはない」
 人を呪って怪我をさせてしまったと言っても、誠を軽蔑するような態度はない。
「それよりお前、その痩せ方はなんだ? 最後にここに来てから二週間も経っていないのに、どうしてこんな酷いことになっているんだ」
 このところほとんどデスクにあるお菓子しか食べていないのだから当然だ。仕事が終わればなんの連絡もないスマートフォンを握りしめるだけで一日が終わる。別れの連絡をする価値もない関係だったのだろうかと思えば、苦しくて身体が食事を拒否してしまう。
「……ったく」
 治療院の建物の二階には、今いる部屋の他にシャワー室とミニキッチンがあった。光が休憩したり、忙しいときに泊まったりする。その寝室代わりの部屋のベッドで俯いていれば、今は何を言っても無駄だと思ったのだろう。光が体位を変えてベッドに寝かせてくれた。
「今日は会社は休め。行っても今のお前じゃ使いものにならない」
 言われて、自身で考えることを放棄するように職場に欠勤の連絡を入れる。総務部は誠だけだから当日欠勤は迷惑だと分かっていて、それでも出勤する気になれなかった。ベッドで横になっていれば、いつのまに外出していたのか、コンビニのビニール袋を下げた光が帰ってくる。サイドテーブルに飲みものやパンを並べて、寝室の隅にある小さな冷蔵庫に残りの食料を詰め込んでいく。
「とりあえず好きなものだけでいいから食べて横になっていろ。午前に一件予約が入っているから、それが終わったら傍にいてやる」
「……ありがと」
 礼を言ったものの、その後自分がどうすればいいのか分からなかった。ぼんやりと宙を眺める誠の様子に、一つ息を吐いた光が傍に戻ってくる。
「食べるより寝る方が先か。よく眠れていないんだろ?」
「……朝までずっと寝ていた筈なんだ」
「そうか。じゃあ、眠りの質がよくなかったんだな」
 誠の言葉を否定せずに受け止めてくれてから、彼が誠の背中を起こして肩に触れる。
「よく眠れるようにしてやるから、一度しっかり寝ろ。何も心配はいらないから」
 彼が肩とこめかみの辺りに触れて、途端に意識が闇の中に落ちていく。夢も見ずに深く眠って、目を覚ませば窓の外が暗くなっていた。驚いたことに早朝から夜まで眠っていたらしい。問題は何も解決していないが、よく眠ったことで身体の機能は回復している。灯りを点けていない部屋で聴覚が冴えて、きっちりドアを閉めているのに階下の音が耳に届く。
「……!」
 光の声が聞こえた気がした。元弁護士の彼には珍しく何かに怒っている。そのあとから別の男の声がする。だが男が言い終わらないうちに、光が突っぱねるような言い方をする。
 これ以上苦しめるな。
 寝起きの思考で意味が分からない言葉を聞きながら、自分はまだ夢の中にいるのかと思った。そう思えばまた意識が遠のいていく。けれど意識が全て闇に呑まれる直前、誰かにそっと手を握られる。
「……ごめん。こんな風に苦しめるつもりはなかった。でも、護れなかった僕が悪い」
 声を聞いた途端に、夢の中だと分かっていながら涙が溢れた。
 そうじゃない。悪いのは誠だ。予知の能力など持たない普通の人間だったら、素直に彼に近づくことができた。婚約者の話が出たときにも、精一杯ぶつかって未練が残らないほど綺麗に散ることができた。誠にはそれができなかった。
「誠」
 そう呼ばれて気持ちが溢れる。誠も呼んでみたかった。不意討ちで恭介さんと呼んだらどんな顔をするだろう。そんな些細な気持ちを積み重ねて、ずっと一緒にいたかった。それくらい好きだった。
 予知を超えて幸せになれるかもしれないと思った。向日葵畑で二人でいられたことが幸せだった。旅行をして海を見た。もう嫌われたに違いないと思っていたのに、楽しかったと言ってもらえて嬉しかった。この人の恋人になりたい。本気でそう思った。せめてその気持ちを知っていてくれればいい。
「……五分経った。もういいだろ?」
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