未来の次の恋

 苦笑しながら話す言葉が事実でないのは分かった。久慈は紺華バリューに出向中の身だ。創業者一族といっても、今の彼が紺華建設のトラブル対応に出なければならないとは考えにくい。何故本当のことを話してくれないのだ。立場上言えないと分かっていながら、どうしようもない不安に襲われる。
「……厄介なことって?」
「そんなに怒らないでよ」
 彼は敢えて違うことを言った。
「今度こそちゃんと埋め合わせはするから。そうだ。次二人で出掛けるときは、僕のお勧めの駄菓子屋さんに行こうか」
「駄菓子屋さん?」
 まやかしの台詞だと知りながら、そのまやかしに乗っていたい気分だった。
「そう。小さな店なんだけど、秋はその店の裏の畑一面にコスモスが咲くんだ。もうすぐいい時期になると思うから」
 やはり久慈は花が好きなのだ。二人で向日葵を見に行った。だからまた同じようにコスモスも見に行ける筈なのに、その約束がとても遠いものに感じられるのは何故だろう。
「その駄菓子屋さんではコスモスケーキっていう、一つだけ価格帯の違う和菓子を置いているんだ。ご主人がちゃんと和菓子作りを勉強して作り出したとかでね。専用のガラスケースがあって、コスモスの時期だけじゃなく一年中一種類だけ置いてある。ケーキという名前だけど、実は練り切りでね。ね? 突っ込みどころ満載でしょう?」
 その通りだ。何故駄菓子屋の主人が和菓子作りを学ぶ? 何故一年中コスモス? 練り切りに何故ケーキという名前をつける? と、どこから突っ込んでいいか分からない。だがそんな店を久慈と訪れて、主人特製の和菓子にああでもないこうでもないと言ってみたい。
「約束。じゃあ、お菓子だけじゃなくちゃんとご飯も食べてね」
「久慈さん」
 立ち上がってまた面談室に向かおうとする彼を、呼び止めずにいられなかった。行かなくていい。元凶は自分だ。あなたは悪くないからここにいていいと、何故かそんな言葉が胸に湧く。
「もしかしたら、しばらくプライベートで会えなくなるかもしれない」
 振り向いた彼が予感通りのことを言った。
「どうして」
「そんな顔をしないで」
 また彼は誠の問いを躱してしまう。屈んで柔らかく微笑んだ顔が、誠にこれ以上聞くなと言っている。
「大丈夫。コスモスケーキの約束、楽しみにしているから」
 その言葉を残して、彼は誠から離れてしまった。久慈が向かう面談室には名倉の他に誰か役席がいるのだろうか。気づかないうちに紺華建設の人間が来ているのか。面談室に入る訳にはいかない誠に知る術はない。
 現実逃避でゆべしを食べ続ければ胃がおかしくなって、少し席を離れようと思った。久慈が出てくるまで面談室を見つめていたいが、そんなことをすればストックしてあるお菓子を食べ尽くす羽目になる。
 久慈に食事をするように言われたが、食堂に向かう気にならなかった。少しフロア内を歩いてデスクに戻ろう。そう決めて、リフレッシュエリアと廊下の仕切りになっているフェイクグリーンの前を歩く。突き当たりでUターンして戻ろうと思ったが、そこでグリーン越しに声を掛けられた。
「加村さん、こっちです」
 誰か分からずにいた誠に彼女が手を上げてくれる。
「矢崎さん」
 世間話をする気分ではなかったが、辛い過去から立ち直ろうとしている彼女の姿に救われた。少し話しませんかと言われて、エリアに入って向かいの席に落ち着く。
「その節はお世話になりました」
「いや、もうそれはいいんだけど。どうしたの、その眼鏡?」
 彼女は丸いフレームの眼鏡をしていた。髪色も以前のブラウンから黒に変わって、遠目では彼女だと分からない。
「紺華レンタルの人たちに、なるべく私だとバレないようにしようと思って」
 眉を下げて彼女は笑った。クビにならなかったことに感謝して、気持ちを強く持って出勤しようと決めたが、流石に紺華レンタルの社員たちの目には慣れないと素直に白状する。
「紺華バリューの人たちはみんな優しくて、私が起こしたトラブルについても必要以上に聞いたりしません。それでいてさりげなく気を遣ってくれたりで、本当にありがたいんです。もしかしたら裏で色々噂はされているかもしれないですけど、それでもお釣りがくるくらい護ってもらって」
「そっか」
 コール部門は時々やってくる待ち呼地獄を乗り越えることで、メンバーの結束力が高まっていく。年齢層も幅広いから、ベテランスタッフからすれば、矢崎のしたことも若気の至り程度なのだろう。当欠からの退職でスタッフが減る。それも退職代行会社から電話が入る、なんて状況よりずっとマシだ。
「もう佐山さんに執着することはありません。トラブルを起こしたから難しいかもしれませんが、社員に昇格できるように頑張るつもりです」
「矢崎さんならなれるよ」
 本心だった。乗り越えたのだなと思う。年下の彼女の強さを目の当たりにして、何故かとても息苦しくなる。
「そうだ。これ見てください」
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