未来の次の恋

 名倉の言う通り、久慈は気持ちのいい性格だった。マネージャーだと威張るようなこともないし、早々に紺華バリューの仕事を把握して、総務の細々とした仕事を手伝ってくれる。役席に呼ばれればすぐに頭を切り替えて、そちらの仕事も熟しているようだ。紺華建設会長の孫という事実は一部の人間しか知らないようだが、知らない役席からも評価は上々。興味本位で話しかけに来る女子社員たちの言葉はさらりと躱して、仕事を優先する姿には感心する。そうやって胸の内で評価を上げるたびに、誠の心は追い詰められていく。どうか悪癖の一つでも披露してくれ。そうでなければ既婚者であってくれ。そう思って一週間過ごしたが、彼の言動に嫌な点は見つからないし、人事の社員から単身者だということも聞いてしまった。運命はどこまでも誠に厳しい。
「今週はお世話になりました。また来週からよろしくお願いします」
 金曜の午後三時を過ぎたところで、彼がデスクの前で誠に軽く頭を下げた。これから出向の挨拶回りで名倉と外出するらしい。
「……こちらこそよろしくお願いします」
 会釈で返しながら、内心安堵の息を吐いていた。彼はこのまま直帰だ。彼には失礼だが、このあと二時間は楽に呼吸ができる。今は来週のことまで考えたくない。
 久慈と名倉を見送って通常業務を熟したあと、一人発送部屋に籠もって伸びをした。久慈の研修をしていたから、今日中に済ませなければならない発送が溜まりに溜まっている。だがそんなことは苦にならない。一人で過ごせるのなら何時間でも残業すればいい。久しぶりの解放感に包まれながら、テキパキと書類発送の荷物を作っていく。
 紺華バリューカードは口コミで広がることが多いが、もちろん営業もしていた。カフェや美容院にパンフレットを置かせてもらったり、たまに雑誌に広告を載せたりしているから、パンフレットや申込書類の発送依頼が来る。そのほとんどは電話対応のオペレーターが機械対応できるようになっているが、システムに組み込まれていないレアな書類もあれば、受電が忙しすぎて発送まで手が回らないこともある。デパートの外商から、顧客に頼まれたからと外線に直接パンフレットの依頼の電話が掛かってくることもあって、そんな案件は丸ごと誠が引き受けていた。総務の通常業務も一人で熟しているから、発送業務は大抵残業になるが、それは別に構わない。給料には満足しているから、退勤処理をしてからのサービス残業にしていた。その代わり、総務特権で頂きもののお菓子を貰うことにしている。
 付き合いの長いデパートが菓子折りを持って挨拶に来ることもあるし、グループのトップの紺華建設から定期的に労いのお菓子が送られてくる。もちろん社員全員に配るが、大抵余るので、その場合は誠のものになっていた。一人で総務を頑張っているからと、他部署の仲間も名倉も勧めてくれるから、いつのまにか余ったお菓子は加村までという習慣ができていた。人事や営業の男性陣はそれほど甘いものが好きではないので、そのまま誠にくれたりもする。それをデスクの二段目に消費期限順に並べて癒しの空間にしているのだ。
 という訳で、一度デスクに戻って甘いものを食べながら、サービス残業中の癒しタイムを過ごしていた。煩わしいマスクと伊達眼鏡を外せば解放感に包まれて、漸く本来の自分を取り戻した気分になる。
 とにかく土日は休める。明日は整体に行く約束だから、そこで心身共に回復させてもらおう。久しぶりに寛いだ気持ちで、頂きもののミニどら焼きを堪能する。甘いものは大抵好きだが、和菓子は特に誠の心を和ませてくれる。
 だがそんな癒しタイムは長くは続かなかった。
「あ、加村さん。よかった、まだいた」
 その声に、柄にもなくびくりと肩を震わせてしまう。
「……久慈さん。直帰だったのでは」
「そのつもりだったんだけど、今日も加村さんが一人で残業している気がして。これ、差し入れ」
 何故誠が残業していたらやってくるのだ。内心頭の痛い思いだが、罪のない人間に帰れと言う訳にもいかない。ついでに彼は上司なのだ。
「ありがとうございます」
 とりあえず目の前に置かれたコーヒーに礼を言った。どこで買ってきたのか知らないが、高級感のある英国風デザインのボトル缶だ。彼が隣のデスクに座ってしまうから、落ち着かなくて、ミニどら焼きのビニールをやたら小さく折ってみたりする。
「じゃあ、俺は仕事が残っているので」
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