未来の次の恋

 URLつきで送られてきたメッセージにOKと返して、それから光にラインを入れる。『お盆明けの忙しさで少し風邪気味だから、今日は整体に行くのはやめておきます』。まだ早いかなと思ったが、光は起きていて、すぐに『分かった』と返事をくれる。看病に行くと言われたらどうしようかと思ったが、それ以上の言葉が続くことはない。両親よりも長く一緒にいる彼だ。本当は嘘を吐いて久慈に会いに行こうとしているとバレているかもしれない。それでもいい。あとで説明して、いくらでも詫びればいい。とにかく今は久慈だ。
 朝食は喉を通らないし簡単な家事をする気にもなれなくて、それなのに顔を洗って身支度を終えただけで二時間も経っていた。彼に会ったら何を話そう。まずこの間の旅行のことを詫びなければならないが、嫌な時間を思い出させるのも悪いだろうか。ぐるぐると考えているから、いつもは十分でできることに異常に時間がかかってしまう。
 とにかく遅刻する訳にはいかない。S駅には二十分で着くというのに、十時過ぎには部屋を出てしまう。混雑する駅構内を抜けて、目的のカフェが見える位置に落ち着いて漸く一息吐けた。彼が来るまであと三十分、少し頭を冷やそうと思っていたのに、ぼんやり眺めていた駅の中に程なく彼の姿を見つける。
「ごめん。待たせた」
 誠に気づいて急いで改札を抜けてきた彼が、目の前に立つなり詫びた。
「いえ。俺が早く着きすぎてしまったので」
「そっか。早く来てくれたんだ」
 その表情に泣きそうなほど安堵する。どうやら本当に別れ話ではないらしい。朝のラインで分かっていたのに、実際会うまで怯えていた。
「まだランチの混雑前だと思うから入ってしまおうか。ごめんね。本当は誠の家の近くの店を探して僕が向かえたらよかったんだけど」
「いえ。嬉しかったです。誘ってもらわないと、会社か兄さんのところにしか行かないので」
「そっか」
 穏やかな表情になった彼と並んで、明るい店内に入っていく。
「先週楽しかったね。一緒に旅行してくれてありがとう」
 広い窓に近い席で、お揃いでオーダーしたワンプレートランチが運ばれてきたタイミングで彼が言った。
「ちょっとスケジュールがバタバタだったから、今度は二ヵ月くらい前から計画して二泊はしたいんだけど、また一緒に行ってくれる?」
 予想外の言葉に、自分は言葉の意味を読み違えているのではないかと思った。だが間違っていない。優しげな彼の表情からも伝わってくる。
「……うんざりされたと思っていました」
 いい具合に焼かれたチキンのバターソテーを放って本音が零れる。
「うんざり? どうして?」
「だって……」
 いいホテルを用意してもらって彼に応じられなかったからとか、予知の映像で一人意味不明に苦しんでいたからとか、どれも言葉にしづらくて俯いてしまう。
「俺、かなり面倒な奴で」
 昔の恋人に、女じゃないから楽だと思っていたのに面倒だったと言われたことを思い出す。その面倒な部分を知られたくなくて、心を閉ざして暮らしてきた。職場にいるときのそつのない自分を本物だと思ってほしかった。けれど恋をすれば崩れると分かっていながら好きになった。好きになったあと煩わしいと思われればダメージは倍増する。だから恋などしたくなかった。
「恋愛って、面倒なことが楽しいものでしょう?」
 食べようと促しながら、彼がさらりと言う。
「今のところ僕が誠を面倒だと思ったことはないけど、そう思う部分があるならどんどん見せてほしいって思うよ。それが恋人特権だからね。あ、この胡桃のパンおいしい」
 彼は本当に誠の能力を面倒だと思っていないのだろうか。勧められるままちぎって口にしたパンが意外なほどおいしくて、不安で縮こまっていた心が溶けていく。
「一晩一緒にいられて嬉しかった。それが僕の本音。それに面倒だというなら、こんな風に土曜に突然呼び出している僕の方が余程面倒だと思うしね」
 彼の言い方にふっと笑ってしまう。
「……面倒なことが楽しいっていう意味が分かりました」
「それはよかった」
 彼が芝居じみた言い方をしたところで漸く恐怖心から解放された。ワンプレートランチだと侮っていたのに意外にボリュームがある料理を完食したところで、ランチに必ずつくというデザートのプリンが運ばれてきて、二人で顔を見合わせて笑う。
「インテリアも料理も女性向けだけど、ボリュームがそうじゃないね。メニューにミニプリンって書いてあったけど、どう見ても普通サイズだし」
「なんなら普通より大きいですよね。よかった。俺、昨日からほとんど何も食べていなくて」
 軽口のつもりだったのに、そこで彼の動きが止まった。
「もしかして一週間悩ませ続けてしまったのかな?」
 一度手にしたスプーンを戻して誠を見つめる。
「ごめん。もっと早く連絡すればよかった」
「いえ。……今日連絡を貰えて嬉しかったから」
「そっか」
「食べましょ、プリン。凄い。バーナーで上から焼いてある」
「うん。ねぇ、誠」
 誠の照れ隠しに目を細めた彼が、そのまままっすぐ言葉を向けてくる。
「旅行をしておいて今更だけど、もうお試し期間は終わりでいいかな?」
「え?」
「ちゃんと誠に恋人だと認めてほしいし、これからは必要なら彼が僕の恋人ですと公言したい」
 思いがけない言葉に正面から彼を見返す。そういえば失恋の不安ですっかり忘れていた。本当は誠から言うつもりだった。それでも、終わりかもしれないと思っていた恋でそう言ってもらえて嬉しくない筈がない。
「……はい」
 短く応えて、俯くのが精一杯だった。もうマスクも眼鏡もしていないから、涙が落ちたらバレてしまう。恋などいらないと思ってきたのは強がりだった。本音は好きになった相手にこうして受け入れてほしかったと、自覚した瞬間涙が堪えきれなくなる。
「ごめん。泣かせるつもりはなかった」
「……いえ」
 カフェで泣くなんてみっともないと分かっていた。それでもそれほど嫌な気分ではない。ちゃんと、嬉しいという気持ちで泣いているから。
「ほんとごめん。僕が悪かったから泣きやんで」
 そう言って、珍しく慌てて髪を撫でてくれる彼が、とても好きだと思った。
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