未来の次の恋
いや、問題があるかどうかは当事者に決めさせてほしい。心で突っ込んでみるが、目の前の上司を困らせるのは本意ではないし、覆らないことに追い縋るのは時間の無駄だ。
「分かりました。ただ、無理だと思ったときには申し出ますので対応をお願いします」
「加村 に限って無理ということはないと思うが、困ったときには力になるよ」
その言葉を支えにして小会議室を出た。執務室の隅のデスクに戻ればため息が漏れる。やはり自分の能力は健在だ。
好きにならなければいい。恋愛関係にならなければ惨事は防げる。だがこれまでアンテナが反応した人間で、好きにならなかった人物はいない。逆に誠が好きになる人物だからアンテナが反応するとも取れるのだ。だが今度という今度は阻止しなければならない。この穏やかで快適な職場生活を壊されて堪るか。とにかく一年、仕事上の付き合いと割り切って乗り切るしかない。
「正式な配属は来週からだけど、コンプラ研修や入館証の作成なんかで、明日から顔を出すから」
午後に誠のデスクにやってきた名倉がなんでもないことのように告げていった台詞に頭を抱えながら、とりあえず目の前の業務を熟した。空いていた隣のデスクに久慈用の新しいパソコンを設置しながら、頭の半分くらいで惨事の回避法を考える。
帰宅後も一晩考えた結果、翌朝から眼鏡とマスクで出勤することにした。ターゲットの人間と会っても常に映像を見る訳ではないが、直視しないに越したことはない。
「おはようございます、加村主任。今日からお世話になります、久慈といいます」
準備万端のつもりだったのに先制攻撃を受けてしまった。今週はお客様のようなものだから午後にでもやってくるのかと思ったが、誠が出勤すれば既に彼がそこにいる。偉い人間ではないのか。欠勤の電話連絡を受けるために、他の社員より三十分早く出勤している誠より早く来るとは何事だと、朝一から動揺させられる。
「……主任はいりませんし、マネージャーなのですから部下のように接してもらって構いません。お待たせしてすみません。加村 誠 といいます」
部署に一人しかいないから普段は忘れているが、そういえば自分は主任だったと、現実逃避でそんなことを思う。
「久慈恭介といいます。今日からどうぞよろしくお願いします」
上司になるというのにきちんと頭を下げられて、誠も同じように頭を下げる。
「名倉さんにデスクがここだと聞いて、勝手に使わせてもらっていました」
「構いません。すぐロッカーもご案内します」
自分も荷物を置いて、ビル内の必要な設備を案内する準備を始めた。パソコンの電源だけ入れておこうと手元の操作をしていて、そこで彼の視線がまっすぐこちらに向けられているのに気がつく。斜めに顔を上げて目が合った瞬間、色々と悟ってしまった。一瞬で誠の心の奥まで見透かそうとするような鋭い視線。穏やかな表情に隠れているが、相当な切れ者だ。厄介だと思うが、自分も負ける訳にはいかない。賢さを持て余した男の興味本位で、お気に入りの職場生活を不幸なものにされて堪るか。
「先日は大変失礼しました」
忘れたフリは通用しないようだから、姿勢を正してもう一度頭を下げた。
「あの日はあまり体調がよくなかったのもので。それと、ハウスダストアレルギーが酷くなってしまって、今後は眼鏡とマスクで過ごしますが、どうか気を悪くされませんように」
牽制のつもりだった。これ以上のことを答える気はないし、必要以上に親しくなるつもりもないからそのつもりで。失礼な部下だと思われようと構わない。
「そうですか。体調がよくなったのならよかった。何か僕にできることがあれば言ってください」
誠の事務的な態度にも、気を悪くした様子はなかった。部下の言動になど振り回されたりしないということなのか、内心不機嫌でも穏やかに振る舞えてしまう男なのか。とにかく一線を引いて過ごしてもらえればいい。
「ロッカーにご案内します。給湯室やお手洗いもご案内しますので」
「ありがとうございます。始業前なのにすみません」
「いえ。総務部員にはよくあることですから」
淡々と返しながら、奥の入り口から廊下に出て彼とフロアを回った。他に空きがなかったから仕方がないが、上司だというのにロッカー室のロッカーまで隣でやりにくい。
「デスクのパソコンやロッカーの名札も加村さんが準備してくださったんでしょう? 急なのにありがとうございました」
ああ、偉い人間のくせにそんな細々としたことに気づくタイプは厄介だ。始業前から誠の体力は削られていく。
「よかったら、近いうちにランチでもご一緒しましょう? お近づきのしるしにご馳走します」
「機会があればぜひ」
そんな機会は作らないけれど。そう思いながら、作り物の笑顔を返していた。
「分かりました。ただ、無理だと思ったときには申し出ますので対応をお願いします」
「
その言葉を支えにして小会議室を出た。執務室の隅のデスクに戻ればため息が漏れる。やはり自分の能力は健在だ。
好きにならなければいい。恋愛関係にならなければ惨事は防げる。だがこれまでアンテナが反応した人間で、好きにならなかった人物はいない。逆に誠が好きになる人物だからアンテナが反応するとも取れるのだ。だが今度という今度は阻止しなければならない。この穏やかで快適な職場生活を壊されて堪るか。とにかく一年、仕事上の付き合いと割り切って乗り切るしかない。
「正式な配属は来週からだけど、コンプラ研修や入館証の作成なんかで、明日から顔を出すから」
午後に誠のデスクにやってきた名倉がなんでもないことのように告げていった台詞に頭を抱えながら、とりあえず目の前の業務を熟した。空いていた隣のデスクに久慈用の新しいパソコンを設置しながら、頭の半分くらいで惨事の回避法を考える。
帰宅後も一晩考えた結果、翌朝から眼鏡とマスクで出勤することにした。ターゲットの人間と会っても常に映像を見る訳ではないが、直視しないに越したことはない。
「おはようございます、加村主任。今日からお世話になります、久慈といいます」
準備万端のつもりだったのに先制攻撃を受けてしまった。今週はお客様のようなものだから午後にでもやってくるのかと思ったが、誠が出勤すれば既に彼がそこにいる。偉い人間ではないのか。欠勤の電話連絡を受けるために、他の社員より三十分早く出勤している誠より早く来るとは何事だと、朝一から動揺させられる。
「……主任はいりませんし、マネージャーなのですから部下のように接してもらって構いません。お待たせしてすみません。
部署に一人しかいないから普段は忘れているが、そういえば自分は主任だったと、現実逃避でそんなことを思う。
「久慈恭介といいます。今日からどうぞよろしくお願いします」
上司になるというのにきちんと頭を下げられて、誠も同じように頭を下げる。
「名倉さんにデスクがここだと聞いて、勝手に使わせてもらっていました」
「構いません。すぐロッカーもご案内します」
自分も荷物を置いて、ビル内の必要な設備を案内する準備を始めた。パソコンの電源だけ入れておこうと手元の操作をしていて、そこで彼の視線がまっすぐこちらに向けられているのに気がつく。斜めに顔を上げて目が合った瞬間、色々と悟ってしまった。一瞬で誠の心の奥まで見透かそうとするような鋭い視線。穏やかな表情に隠れているが、相当な切れ者だ。厄介だと思うが、自分も負ける訳にはいかない。賢さを持て余した男の興味本位で、お気に入りの職場生活を不幸なものにされて堪るか。
「先日は大変失礼しました」
忘れたフリは通用しないようだから、姿勢を正してもう一度頭を下げた。
「あの日はあまり体調がよくなかったのもので。それと、ハウスダストアレルギーが酷くなってしまって、今後は眼鏡とマスクで過ごしますが、どうか気を悪くされませんように」
牽制のつもりだった。これ以上のことを答える気はないし、必要以上に親しくなるつもりもないからそのつもりで。失礼な部下だと思われようと構わない。
「そうですか。体調がよくなったのならよかった。何か僕にできることがあれば言ってください」
誠の事務的な態度にも、気を悪くした様子はなかった。部下の言動になど振り回されたりしないということなのか、内心不機嫌でも穏やかに振る舞えてしまう男なのか。とにかく一線を引いて過ごしてもらえればいい。
「ロッカーにご案内します。給湯室やお手洗いもご案内しますので」
「ありがとうございます。始業前なのにすみません」
「いえ。総務部員にはよくあることですから」
淡々と返しながら、奥の入り口から廊下に出て彼とフロアを回った。他に空きがなかったから仕方がないが、上司だというのにロッカー室のロッカーまで隣でやりにくい。
「デスクのパソコンやロッカーの名札も加村さんが準備してくださったんでしょう? 急なのにありがとうございました」
ああ、偉い人間のくせにそんな細々としたことに気づくタイプは厄介だ。始業前から誠の体力は削られていく。
「よかったら、近いうちにランチでもご一緒しましょう? お近づきのしるしにご馳走します」
「機会があればぜひ」
そんな機会は作らないけれど。そう思いながら、作り物の笑顔を返していた。