未来の次の恋

 危機感? と思ったときには遅くて、一瞬で抱き寄せられて唇を奪われた。素早さに理解が追いつかなくて瞬けば苦笑される。
「もう少し嬉しいとか、驚いたとかいう反応はないかな」
「……すみません」
「謝られても困るけど」
 言いながら強く抱きしめられた。まだお試し期間だと抗議する気も起こらないほど、彼の行動には迷いがない。その迷いのなさが、誠の中の躊躇いを取り去っていくようだ。
「僕はいつもこんな機会を狙っているからね。次も覚悟しておいて」
「次は躱します」
「酷いな」
 彼の体温を感じる状況に困って、素っ気ない返ししかできない自分がもどかしい。けれど自分だけでなく彼の鼓動も聞こえてきそうなこの瞬間が、ずっと続けばいいと思う。
 彼に会えてよかった。好きだと言ってくれてよかった。世の中にはこんなに綺麗で幸せなものがあった。これから、もっと彼の傍で色々なものを見てみたい。
 不安は夏の太陽の下に消えていた。彼に抱きしめられても、その日は嫌な映像を見ることがない。もしかしたら克服してしまったのではないか。そう信じたくなる。
 二人占めの向日葵畑の中で、惨事を見る能力を知ったときから止まっていたものが一度に動き出したような、そんなまっさらな気持ちを目一杯味わった。昼間の数時間が、誠には十年分にも二十年分にも感じられた。
「──加村さん、お待たせ」
 執務室から出てきた彼に声を掛けられて、前日の思い出から現実に戻ってくる。
「すみません。急がせてしまいましたか?」
「ううん。ただちょっと名倉さんに、お昼に出たいから話は手短にしてもらえると嬉しいですって言っただけ」
「ダメじゃないですか。名倉さんは事務部門長なんですよ」
 冗談に乗ってやれば、誠のそんな様子に彼も目を細める。
「ご飯を食べ終わったら謝っておくよ」
「紺華建設の方に報告されてしまいますよ」
「僕は加村さん優先だから」
「それはどうも」
 仕事は完璧で名倉からの評価も申し分ない彼が言うから成立する冗談だ。クールに返しながら、職場での秘密のやり取りに鼓動を速めている。もちろん、互いに他のスタッフに勘づかれるようなへまはしない。
「じゃあ、行こうか。昨日言っていたお店でいい?」
「はい。混んでなければいいんですけど」
「だね。でも混んでいて別の店を探すのも面白い」
 そんな風にポジティブな彼が好きだと思った。上司と部下以上の関係に見えないように注意しながら、小声で砕けたやりとりをしているのも擽ったい。
 職場ビルから少し歩いて目的のレストランに向かえば、すぐに席に案内された。ランチの客で賑わっているのに、二人掛けのテーブル席が空いていた幸運に感謝しながら、手早く注文を済ませてしまう。
「こういうときに日頃の行いが出るよね」
 程よく陽の光の入る席で、窓の外に目を遣りながら彼が言う。
「自己評価が高いですね」
「自己評価は高いに越したことはないから」
 そう返されれば、こちらもふっと頬を緩めるしかない。発送部屋に籠もるのが好きで、お昼は休憩室で済ませることがほとんどだった。それもアクリル板で仕切られた一人用のテーブル。そんな誠も、久慈のお陰で職場にいる時間の景色が変わった。昼休憩に外出することも他の社員と話すことも増えたのに、仕事の効率は以前より上がっているから不思議なものだ。
「はい。茄子をあげるね。ミートボールも献上する」
 ハンバーグと夏野菜のセットを食べていれば、久慈が自分の料理の綺麗な部分を分けてくれる。
「久慈さんて、そういうことするんですね」
「ううん。今まで誰にもしたことがなかったけど、加村さんを見ていると沢山食べさせたくなって」
「なんですかそれ」
 呆れたように返しながら、実は自分が初めてという些細な事実に喜んでいたりする。
「加村さん細いから、沢山食べて大きくならないと」
「もうこの歳から成長はしません」
 料理をシェアする趣味などないが、久慈が相手なら悪くないと思うのだから、恋の力は凄いと思う。
「そうそう。加村さんは夜の電話は迷惑なのかな」
 お返しのとうもろこしを彼の皿に乗せたところで、さらりと聞かれた。
「僕は好きに電話をしているけど、加村さんはメッセージをくれることが多いし、もしかして仕事以外の電話は嫌いなのかなって」
「いえ、そうじゃないんですけど」
36/62ページ
スキ