未来の次の恋
真壁の言葉を思い出して肌に触れてみる。特に気にしていなかったが、他人が分かるくらい焼けているらしい。昨夜も今朝も鏡を見たが、そこで気づかなかったとしたら、それは自分が思った以上に浮かれているからだ。
指摘通り、昨日久慈の車で遠出をした。もう若者の恋愛という訳でもないし、業後に電話でもしながら関係を深めていくのだろうと悠長に構えていたのに、彼は予想以上に積極的だった。加村さんの気が変わると困るからと言って、河辺での告白の翌週、二人で出掛けることになったのだ。
偉い人間なんて仕事に忙殺されているか、さもなければ誠が知らないような優雅な趣味に興じているかと思っていたが、久慈はごく普通の休日を過ごすタイプだった。ついでに、トラブルでもなければ休日に仕事をするのは性に合わないらしい。
ということで彼お勧めの和食屋に行って、月末の丑の日より少し早く鰻を食べることになった。子どもの頃から衣食住をきちんと躾けられてきたという彼は、食べるのは生きる基本だと、そんなことをさらりと言う。
「今年は十九日が一の丑、三一日が二の丑だね」
ついでに暦や吉日に詳しくて、誠が知らないことをいくつも教えてくれる。
「二の丑? そんな言葉は初めて聞きました」
「加村さんのそんな反応は嬉しいな。まぁ、単に土用に丑の日が二回あったというだけなんだけど、なんとなく特別感があるでしょう? 鰻はいつ食べてもおいしいけどね」
長々と蘊蓄を語る訳でもなく、さわやかに切り上げてくれるところが彼らしい。久慈は紺華建設の現社長の甥で、社長は彼の従兄が継ぐことになりそうだから気楽、などと言うが、相応のポジションに就く教育をされてきたのは同じだろう。縁起を担ぐということも、経営者一族としてごく自然に備わっているのかもしれない。
「今日、ありがとうございます。誘ってもらわなければ、季節の料理なんて食べないから」
漆のお膳や、見たことのない種類の薬味にまで感動して、素直に告げる。
「これからもどんどん誘うよ。やっぱり旬のものを食べるとおいしいし、イベントに乗っかって食べるのも意外に悪くないから。世の中に和菓子と同じくらいおいしいものがあるって知ってもらわないと」
そんな言い方が嬉しかった。オフィスで馬鹿みたいにお菓子を食べていた誠のことも彼は否定しない。否定しないけれど、もっと心躍るものを試してみようと手を引いてくれる。きっと引かれていった先で落胆することはないだろう。彼はずっと引き籠もってきた誠に新しい世界を見せてくれる。それを享受したいと思う。
彼が好きだ。どうかこの気持ちが苦しみに変わらないところで、ずっと好きでいられますようにと願ってしまう。
「ごちそうさまでした。俺の今年の夏の思い出が一つ追加されました」
「ご飯で帰るつもりみたいな言い方をしないでよ」
「え?」
拗ねたような言い方をされて瞬く。
「これからがデート本番だよ。漸く加村さんを手に入れたのに、一時間ちょっとで解放する訳がないでしょう?」
「デートって……」
そうはっきり言わないでほしい。和食を出すのにモダンな造りのお店は、席と席の間に充分な距離があるけれど、周りに聞かれていないかつい見回してしまう。他の席の客は誠たちの会話に興味などないだろうが、男性同士の関係は色々と複雑なのだ。
「ごめん、ごめん。じゃあ改めて、もう少し僕といてくれないかな?」
いい男が綺麗に微笑んで頼みごとをするのは卑怯だ。というか誠だって久慈といたくない訳ではないから、頼みごとにもなっていない。
「お付き合いします」
「よかった。断られたらどうしようかと思った」
「断りませんけど、ドライブとご飯に満足してしまっていたもので」
今日はそもそも誠の家まで車で迎えに来てくれたのだ。国産高級車の人気モデル。誠の給料の何年分になるかなんて考えたくない。ラフな格好だというのに、そんな車に乗っていても違和感がないのだから、もう何も言わずにおこうと思ったのだ。
「じゃあこれから加村さんの満足のハードルを上げていかないとね」
そう笑う彼に、次に連れていかれたのは向日葵畑だ。三十分も走っていないのに、高層ビルが全く見えない場所に出たのを意外に思う。
「凄い。花屋さんに出荷するような畑なんですか?」
「ううん。親戚が趣味でやっている私有地」
さらりとそんなことを言うから高貴な人間は困りものだ。
「今日は誰も来る予定がないから二人占めだよ。加村さんには刺激が少なくて申し訳ないけど」
「そんなことないです」
指摘通り、昨日久慈の車で遠出をした。もう若者の恋愛という訳でもないし、業後に電話でもしながら関係を深めていくのだろうと悠長に構えていたのに、彼は予想以上に積極的だった。加村さんの気が変わると困るからと言って、河辺での告白の翌週、二人で出掛けることになったのだ。
偉い人間なんて仕事に忙殺されているか、さもなければ誠が知らないような優雅な趣味に興じているかと思っていたが、久慈はごく普通の休日を過ごすタイプだった。ついでに、トラブルでもなければ休日に仕事をするのは性に合わないらしい。
ということで彼お勧めの和食屋に行って、月末の丑の日より少し早く鰻を食べることになった。子どもの頃から衣食住をきちんと躾けられてきたという彼は、食べるのは生きる基本だと、そんなことをさらりと言う。
「今年は十九日が一の丑、三一日が二の丑だね」
ついでに暦や吉日に詳しくて、誠が知らないことをいくつも教えてくれる。
「二の丑? そんな言葉は初めて聞きました」
「加村さんのそんな反応は嬉しいな。まぁ、単に土用に丑の日が二回あったというだけなんだけど、なんとなく特別感があるでしょう? 鰻はいつ食べてもおいしいけどね」
長々と蘊蓄を語る訳でもなく、さわやかに切り上げてくれるところが彼らしい。久慈は紺華建設の現社長の甥で、社長は彼の従兄が継ぐことになりそうだから気楽、などと言うが、相応のポジションに就く教育をされてきたのは同じだろう。縁起を担ぐということも、経営者一族としてごく自然に備わっているのかもしれない。
「今日、ありがとうございます。誘ってもらわなければ、季節の料理なんて食べないから」
漆のお膳や、見たことのない種類の薬味にまで感動して、素直に告げる。
「これからもどんどん誘うよ。やっぱり旬のものを食べるとおいしいし、イベントに乗っかって食べるのも意外に悪くないから。世の中に和菓子と同じくらいおいしいものがあるって知ってもらわないと」
そんな言い方が嬉しかった。オフィスで馬鹿みたいにお菓子を食べていた誠のことも彼は否定しない。否定しないけれど、もっと心躍るものを試してみようと手を引いてくれる。きっと引かれていった先で落胆することはないだろう。彼はずっと引き籠もってきた誠に新しい世界を見せてくれる。それを享受したいと思う。
彼が好きだ。どうかこの気持ちが苦しみに変わらないところで、ずっと好きでいられますようにと願ってしまう。
「ごちそうさまでした。俺の今年の夏の思い出が一つ追加されました」
「ご飯で帰るつもりみたいな言い方をしないでよ」
「え?」
拗ねたような言い方をされて瞬く。
「これからがデート本番だよ。漸く加村さんを手に入れたのに、一時間ちょっとで解放する訳がないでしょう?」
「デートって……」
そうはっきり言わないでほしい。和食を出すのにモダンな造りのお店は、席と席の間に充分な距離があるけれど、周りに聞かれていないかつい見回してしまう。他の席の客は誠たちの会話に興味などないだろうが、男性同士の関係は色々と複雑なのだ。
「ごめん、ごめん。じゃあ改めて、もう少し僕といてくれないかな?」
いい男が綺麗に微笑んで頼みごとをするのは卑怯だ。というか誠だって久慈といたくない訳ではないから、頼みごとにもなっていない。
「お付き合いします」
「よかった。断られたらどうしようかと思った」
「断りませんけど、ドライブとご飯に満足してしまっていたもので」
今日はそもそも誠の家まで車で迎えに来てくれたのだ。国産高級車の人気モデル。誠の給料の何年分になるかなんて考えたくない。ラフな格好だというのに、そんな車に乗っていても違和感がないのだから、もう何も言わずにおこうと思ったのだ。
「じゃあこれから加村さんの満足のハードルを上げていかないとね」
そう笑う彼に、次に連れていかれたのは向日葵畑だ。三十分も走っていないのに、高層ビルが全く見えない場所に出たのを意外に思う。
「凄い。花屋さんに出荷するような畑なんですか?」
「ううん。親戚が趣味でやっている私有地」
さらりとそんなことを言うから高貴な人間は困りものだ。
「今日は誰も来る予定がないから二人占めだよ。加村さんには刺激が少なくて申し訳ないけど」
「そんなことないです」