未来の次の恋

「あんな何もないところでいいの?」
「はい。あの場所が気に入って」
 行き先を決めるうちに彼がスマートに支払いを済ませてしまって、そのままタクシーに乗せられていた。
「すみません。自分の分は払うつもりだったんですけど」
「六つも下の部下に払わせる訳がないでしょう? こっちが誘ったのに」
 運転手が聞いている車内でデートとか口説くとか言われたらどうしようと思ったが、誠の心配の先回りをしたように、ただの上司と部下の言い方をしてくれる。相変わらずの気遣いに、今日は苦しさではなく速まる鼓動を感じている。
 なんとなく覚えていた景色を進めば、目の前に川が流れる広場に到着した。休日だというのに今日もステンレスのベンチは空いていて、端の方に親子連れが一組座っているだけだ。お陰で瀟洒な外灯の傍から川が見られる場所を占領できてしまう。
「買いものにでも行きたいと言われたら、何かプレゼントしようと思っていたんだけど。ここじゃ何もあげられるものがないね」
 それならこの場所を選んでよかった。彼は好きだと言ってくれたが、自分は応えるつもりはない。彼に会いたいと思って光に嘘を吐いてやってきた。そんな一日だけの冒険ができて、それで充分。ただ、週明けから少し職場での態度を改めよう。それでいい。上司と部下以上の関係にはならない。彼の魅力に目を奪われたり、彼が過去に好きだった人に嫉妬してみたり。自分の本音は分かったが、やはり恐ろしい未来に突き進みたくない。少し前まで自分が辛い思いをするのは嫌だという思いだけだったが、今は彼に迷惑を掛けたくないという気持ちに変わっている。どちらにしろ誠が気持ちのまま進む訳にはいかないのだ。
「俺、この無機質な感じが好きなんです。アスファルトが綺麗で、この等間隔に並んだ椅子の感じも好きで」
「そっか。だからお兄さんはあの場所に治療院を開いたんだね」
 意外な人物の登場に顔を上げれば、とっくに誠の方を見ていた彼が柔らかく笑った。
「気づいてなかった? 治療院の周辺のアスファルトも、建物の中のシンプルな設備も、みんな加村さんの好みだからでしょう? 兄弟だから好みが似ているのかなと思ったけど、お兄さんの感じからして、加村さんが来たときに居心地がいい空間を作りたかったんだろうね」
 それは考えたことがなかった。確かに一般のクリニックに比べて物が少ないと思うことはあったが、光が自分の過ごしやすい空間を作っただけだと思っていた。だが言われてみれば、もっと賃料の安い地域もあったのに、彼は自宅から離れた場所に治療院を開くことにした。それは多分、いつか誠がこの駅から続く景色が好きだと言ったからだ。
「そんなお兄さんに、僕は嫌われてしまったみたいだけど」
 久慈はやはり気づいていた。
「どうしてかな? 加村さんを傷つけるようなことはしないのに」
 分かっている。だから逆に光は案じているのだ。誠が引き返せないほど好きになって、ボロボロになってしまうことを。
「何か僕に対して誤解があるなら、加村さんとの距離を縮める前にお兄さんと話さなきゃいけないのかなって思うんだけど」
「いえ、違うんです」
 誠が思うよりずっと多くのことを考えてくれていた彼に、言わずにいられなくなった。
「兄さんは久慈さんが嫌いな訳でも、俺を傷つけるとも思っていない。悪いのは全部俺で」
 思わず立ち上がってしまって、彼にやんわりと腕を引いてベンチに戻される。
「加村さんは悪くない。僕には何も聞かなくても分かる」
 そう言ってくれる彼の目が、言いたくないことは言わなくていいと言ってくれている。訳の分からない自分にどこまでも大きな心で接してくれる彼に心が動く。話したらどうなるだろう。話しても彼なら嫌わないでいてくれるのではないか。もしかしたら、誠が嘘を吐かずに好きな人と暮らす方法を見つけてくれるのではないか。そんな思いが止まらなくなる。
「何を聞いても軽蔑しませんか?」
「もちろん」
 少しでも間があればやめようと思った。だが彼は迷いなく応えてくれる。それで心が決まる。
「俺には昔からおかしな能力があって」
 聞き終えたとき、どうか誠を置いて去らないでほしい。願いながら、これまで身の回りで起きたことを話し始める。
「とても限定的な予知能力なんです。予知能力なら兄さんも持っているんですけど、俺のは特殊で」
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