未来の次の恋

 礼を言って目を遣れば、硝子の皿の上に竹の器が乗っていた。水羊羹だろうか。ピンクに近い色合いが涼しげに見える。
「残念。さりげなく頼んでポイントを稼ごうと思ったのに。サービスされてしまった」
 隠しもせず久慈がそんなことを言う。
「なんのポイントですか」
「加村さんの僕に対する好意のポイントだよ。和菓子、好きでしょう?」
 また隠しもせずに彼は手の内を曝け出す。
「久慈さんの前では和も洋も関係なく食べていたと思いますけど、どうして和菓子が好きだと知っているんですか?」
「それは見ていれば分かるよ。和菓子のときは顔が違うし」
「顔?」
 そこまで見られていたのかと恥ずかしくなった。嫌われるつもりだったから、どう思われてもいいと開き直って、目の前で甘いものを食べて続けていた。マネージャーの世話を命じられたストレスに見えればいいと思ったのに、しっかり観察されていたとはやはり侮れない。
「いただきます」
 もうバレているから隠す必要もない。遠慮なくいただくことにした。小さなスプーンで口にすれば、やはり水羊羹だ。瑞々しくて上品で、ひと月限定というのがもったいないくらいだ。
「おいしい?」
「はい。これだけ箱買いしたいくらい」
 ちょっと大袈裟に言ってやれば、彼の顔が綻ぶ。
「本当に好きなんだね。普段クールだから意外な組み合わせだけど」
「別にクールな訳でもないですけど」
 なんとなく本音を返して続きの羊羹を口にする。その甘みを感じていれば、ふと子ども時代の映像が浮かんだ。祖母の影響で昔から和菓子が好きだった誠に、母親がよくお土産で買ってきた。申し訳なさそうな顔をして、誠の分だけ買ってきたものを手渡す姿が甦る。
「母親が買いもの帰りによく買ってきてくれたんです」
 彼の話だけ聞いて、自分の事情は話していないことに引け目があった訳ではない。会ってくれたら話すと言ったのは彼だから。それとは別に、ただ話したくなったから話してみる。
「好物を買ってきてくれるなんていいお母さんだね」
「いえ。多分、彼女なりの謝罪のつもりだったんです」
「謝罪ってどういうこと?」
「俺は嫌われていたから」
 久慈がスプーンを置いて案じるような目を向けてくるから、あまり深刻にならないように言葉を選ぶ。
「兄さんの方が好きだったんですよ。母親だって人間だから、好き嫌いの感情があっても不思議じゃないから」
 嘘ではなかった。母親は我が子ながら誠が苦手だった。だから何かと理由をつけて光とだけ出掛けていった。学校で必要なものを買いに行くから。あまり小さい子は入れない店だから。二人分しかチケットがないから。そう言って光と過ごしたあと、罪悪感を振り払うようにお土産を買ってきた。普段はお義母さんと同じものが好きなんて子どもらしくないと言うような和菓子を、誠はこれ好きなんだよねと言って渡されれば、こちらも喜んで受け取るしかない。お土産を買ってきたからこれでおあいこだ。自分は二人の子どもを差別などしていない。そう思いたかったのだろう。誠の方も、与えられた和菓子を母親の愛情だと思おうとした。食べながら、自分は嫌われてなんていないと思い込む。
 考えてみれば、今職場でしていることも同じなのかもしれない。誰かを好きになってはいけない。親しくなってはいけない。新しい人間とは会わない。アンテナが反応すればまた苦しむのが分かっているから。その代わりお菓子を貰えるから辛くはない。今の生活に不満なんてない。そう自分に言い聞かせている自分は、多分子どもの頃から変わっていない。
「どうしてお母さんに嫌われていると思うのかな?」
 能力のことを隠して半端に話したから、当然久慈に聞かれてしまう。
「……俺、上手く立ち回れなかったから」
「子どもが親の前で上手く立ち回ろうなんて、普通は思わないでしょう?」
 そうだろう。能力のことを知らない彼には分からない。だが全てを告げる度胸はなかった。あなたと恋人になった場合の惨事を見る。そう言われて喜ぶ人間はいない。最後には警察まで出てくると知れば、距離を置きたいと思うだろう。久慈の兄弟や親族については知らないが、彼は御曹司と言って差し支えのない立場だ。紺華建設の社長になる可能性だってある。
「そろそろ出ようか。どこか行きたいところはある?」
 話せない誠に無理強いすることなく、彼は立ち上がった。
「いえ。この辺りはよく分からなくて」
「この間行った広場の傍だよ。ほら、ホテルに挨拶に行った帰りに寄り道したでしょう?」
 そういえば彼と川の見える広場で話をした。あのときはタクシーで移動したからピンとこなかったが、確かに電車で考えれば沿線だ。
「じゃあ、もう一度あの広場に行きたいです」
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