未来の次の恋
「僕は多分、一般的な家庭よりずっと裕福な家庭で育ったんだ。生活に不自由をしたことがない代わりに、しつけというか、精神面では厳しいことが沢山あった」
翌週。昼食のピークを過ぎた日本料理屋で向き合う彼がそう話し出した。
お蕎麦屋さんだと言うから気軽な気持ちで来たのに、連れられてきたのは誠には縁のないような高級店だ。BOX型の半個室の右側は半透明のガラスで仕切られていて、奥の席を気にせず食事ができる。全体的に黒で統一された店の奥の壁際には、室内だというのに竹が育っていて、本物だろうかと見つめてしまう。
だが彼が話し始めればどれも些細なことに思えた。二人でお揃いにした天ぷら蕎麦御膳の上で、誠の箸はすっかり止まってしまっている。
「おいしいから食べながらにしよう?」
気づいた彼に促されてしまう。だが天ぷらメインかと思いきや、何故か肉巻き寿司まで乗っている御膳以上に、彼の話は誠の興味を引く。
「まぁ、僕のことを知りたいと思ってくれるのは嬉しいけど」
そんな軽口を挟んで、彼の子ども時代の話が続く。
女性には気をつけなさい。あくどい女性に引っ掛かれば自分だけでなく祖父や曾祖父が築き上げてきたものを壊されてしまう。あなたのことが好きだと簡単に言うような女性には特に気をつけなさい。不用意に女性と二人きりにならないこと。久慈はそんな風に教育されて育ったという。
「だからもう、幼い頃から女性は怖いものだという感覚があって。学校時代は共学だったけど、女性と何気ないお喋りをした記憶がないんだ」
「久慈さんの外見なら女子が放っておかないと思いますけど」
「ありがとう。でも自分の外見がそう悪くないらしいと気づいたのは社会人になってからだよ。外見って、言動や表情でいくらでも違って見えるから。ずっと他人に顔を見られないように前髪を長くしていたし、あまり喋らないし、学生時代は恋愛よりパソコン弄りに嵌っていたから、女性から恋愛対象外にされていただろうね」
「もったいない……」
思わず零せば彼が興味深げに眉を上げる。
「誰が何に対して?」
「久慈さんの同級生の女性陣にです。傍にこんないい男がいたのに気づかないなんて」
「嬉しい。加村さんに褒められるなんて」
「いや、今のは例え話というか」
「ふふ。もう聞いちゃったから取り消せないな」
悪戯っぽく言って笑うから、いい男という言葉を取り消せなくなってしまう。
それにしても。紺華建設グループの跡取りだから仕方ないのかもしれないが、親に子ども時代の恋愛にまで口を出されるなんて不憫だと思う。誠は親から目を逸らされる子どもだったが、逆に友人まで監視される生活も辛い。子どもが苦しむことのない適度な愛情を注いで育てられる親というものは、思っているよりずっと少ないのかもしれない。
「お寿司もおいしいよ。加村さんは細いから栄養をつけないと」
あらぬ方向に飛んでしまった誠の思考に気づいた訳ではないだろうが、久慈が手のひらを見せるようにして食事に注意を戻してくれる。勧められるまま口にすれば、上品に味付けされた肉と米のおいしさに素直に感動する。偉そうなことを言える味覚ではないが、いい材料を使って、長く修業をしてきたスタッフが作ってくれたものという感じがする。光と食べに行くお蕎麦も残業の息抜きに食べる和菓子もおいしいが、こうして新しいものを食べることができてよかったと思う。恋愛禁止ルールだけでなく、自分は酷く狭いところに自分を閉じ込めて、新しいものに出会わないようにして生きている。そう思えば少し哀しい。だがその哀しみも和らげてくれるように、目の前の食事は誠の縮こまった心を解してくれる。
「親が厳しかった反動かどうかは分からないけど、中学に上がる頃にはもう、自分は女性より男性が好きだという自覚があったんだ」
適度に食事が進んだところで、彼が続きを話してくれる。
「もちろん隠していたけど、男性との恋愛はなかった訳じゃないんだ。同性なら、見た目で切り捨てずに好きになってくれる人がいたからね」
親に隠れて、いくつか幼い恋愛のようなことをしたと彼は言った。子ども時代のことだというのに胸にチリチリとしたものが湧いて、ああ、もうダメなだと思う。好きになってはいけないと思いながら、今自分の胸にあるのは間違いなく嫉妬の感情だ。
「長く続いた恋人はいなかったよ。社会人になってからは、万が一でも僕の性癖で紺華建設に悪評が立ったりしないようにって、口の堅い相手を選んだりして。彼らとも一時恋人みたいに過ごして数ヵ月で自然消滅。好きか嫌いかより口が堅いかどうかが第一条件で選ぶから、僕も本気で好きだった訳じゃないし、それは相手も同じだったんだろうね。そんなのばかりだった」
翌週。昼食のピークを過ぎた日本料理屋で向き合う彼がそう話し出した。
お蕎麦屋さんだと言うから気軽な気持ちで来たのに、連れられてきたのは誠には縁のないような高級店だ。BOX型の半個室の右側は半透明のガラスで仕切られていて、奥の席を気にせず食事ができる。全体的に黒で統一された店の奥の壁際には、室内だというのに竹が育っていて、本物だろうかと見つめてしまう。
だが彼が話し始めればどれも些細なことに思えた。二人でお揃いにした天ぷら蕎麦御膳の上で、誠の箸はすっかり止まってしまっている。
「おいしいから食べながらにしよう?」
気づいた彼に促されてしまう。だが天ぷらメインかと思いきや、何故か肉巻き寿司まで乗っている御膳以上に、彼の話は誠の興味を引く。
「まぁ、僕のことを知りたいと思ってくれるのは嬉しいけど」
そんな軽口を挟んで、彼の子ども時代の話が続く。
女性には気をつけなさい。あくどい女性に引っ掛かれば自分だけでなく祖父や曾祖父が築き上げてきたものを壊されてしまう。あなたのことが好きだと簡単に言うような女性には特に気をつけなさい。不用意に女性と二人きりにならないこと。久慈はそんな風に教育されて育ったという。
「だからもう、幼い頃から女性は怖いものだという感覚があって。学校時代は共学だったけど、女性と何気ないお喋りをした記憶がないんだ」
「久慈さんの外見なら女子が放っておかないと思いますけど」
「ありがとう。でも自分の外見がそう悪くないらしいと気づいたのは社会人になってからだよ。外見って、言動や表情でいくらでも違って見えるから。ずっと他人に顔を見られないように前髪を長くしていたし、あまり喋らないし、学生時代は恋愛よりパソコン弄りに嵌っていたから、女性から恋愛対象外にされていただろうね」
「もったいない……」
思わず零せば彼が興味深げに眉を上げる。
「誰が何に対して?」
「久慈さんの同級生の女性陣にです。傍にこんないい男がいたのに気づかないなんて」
「嬉しい。加村さんに褒められるなんて」
「いや、今のは例え話というか」
「ふふ。もう聞いちゃったから取り消せないな」
悪戯っぽく言って笑うから、いい男という言葉を取り消せなくなってしまう。
それにしても。紺華建設グループの跡取りだから仕方ないのかもしれないが、親に子ども時代の恋愛にまで口を出されるなんて不憫だと思う。誠は親から目を逸らされる子どもだったが、逆に友人まで監視される生活も辛い。子どもが苦しむことのない適度な愛情を注いで育てられる親というものは、思っているよりずっと少ないのかもしれない。
「お寿司もおいしいよ。加村さんは細いから栄養をつけないと」
あらぬ方向に飛んでしまった誠の思考に気づいた訳ではないだろうが、久慈が手のひらを見せるようにして食事に注意を戻してくれる。勧められるまま口にすれば、上品に味付けされた肉と米のおいしさに素直に感動する。偉そうなことを言える味覚ではないが、いい材料を使って、長く修業をしてきたスタッフが作ってくれたものという感じがする。光と食べに行くお蕎麦も残業の息抜きに食べる和菓子もおいしいが、こうして新しいものを食べることができてよかったと思う。恋愛禁止ルールだけでなく、自分は酷く狭いところに自分を閉じ込めて、新しいものに出会わないようにして生きている。そう思えば少し哀しい。だがその哀しみも和らげてくれるように、目の前の食事は誠の縮こまった心を解してくれる。
「親が厳しかった反動かどうかは分からないけど、中学に上がる頃にはもう、自分は女性より男性が好きだという自覚があったんだ」
適度に食事が進んだところで、彼が続きを話してくれる。
「もちろん隠していたけど、男性との恋愛はなかった訳じゃないんだ。同性なら、見た目で切り捨てずに好きになってくれる人がいたからね」
親に隠れて、いくつか幼い恋愛のようなことをしたと彼は言った。子ども時代のことだというのに胸にチリチリとしたものが湧いて、ああ、もうダメなだと思う。好きになってはいけないと思いながら、今自分の胸にあるのは間違いなく嫉妬の感情だ。
「長く続いた恋人はいなかったよ。社会人になってからは、万が一でも僕の性癖で紺華建設に悪評が立ったりしないようにって、口の堅い相手を選んだりして。彼らとも一時恋人みたいに過ごして数ヵ月で自然消滅。好きか嫌いかより口が堅いかどうかが第一条件で選ぶから、僕も本気で好きだった訳じゃないし、それは相手も同じだったんだろうね。そんなのばかりだった」