未来の次の恋

 久慈は着替えに時間が掛かりそうだと思ったから、小声で光に話しかける。
「お前から金なんか取る訳がないだろ」
「でも」
「それよりこのあと少し話せないか?」
「……久慈さんを駅まで送ったあとなら大丈夫だけど」
 漸く、今日ここに彼を連れてきたのは失敗だったと気づいた。光が久慈にどんな感覚を持ったか分からないが、少なくとも、好きになっても大丈夫だと背中を押してくれることはない。
「お待たせしました。いい施術をありがとうございました」
 そこに身形を整えた久慈が出てきた。
「凄いね、お兄さん。整体の勉強を始めてからまだ三年なんて信じられない」
「兄さんは昔からなんでもできる人で」
 誘ったのは誠だから、せめてここを出て別れるまでいい気分でいてほしいと思った。
「料金表がなかったですけど、おいくらお支払いすればいいですか?」
「今日は無料でいい。誠の上司だからな」
「そんな訳には」
「いい。それより職場で誠が苦労しないように見てやってくれ」
 光が折れないと分かったのか、久慈が礼を言って頭を下げる。
「次来たときはお支払いします。ぜひ一番高いコースを」
 だがそんな風に続ける久慈に、光が応えることはない。
「駅まで送ります」
 ああ、これはダメなやつだと思ったから、慌てて久慈を出口へと促した。
「うん。そうしてくれると嬉しい」
 こんなときでもさわやかなままの彼の態度がありがたい。
「では、お世話になりました」
 靴を履き終えた彼が、もう一度受付カウンターの前にいる光に言った。
「ああ。久慈さんはしっかり鍛えているみたいだから、身体に悪いところはない。もう整体は必要ないな」
 その言葉に状況は思ったよりよくないと知る。誠が傷つかないようにという思いだけでなく、どうやら光は久慈が好きではないらしい。
「お褒めに預かり光栄です」
 言葉の刺を暴くつもりはないというように、久慈はいつもの久慈のまま治療院を出た。
「じゃあ、兄さん、またあとで」
 久慈になんと弁解しようかと考えるのに忙しくて、光への言葉がおざなりになってしまった。だが彼にはあとからいくらでも詫びればいい。今フォローしなければならないのは久慈だ。
「待ってください」
 先に歩いていた彼に追いつくためにバタバタしてしまった。
「そんなに慌てなくても、一人で帰ったりしないよ」
 彼の態度が普段と変わらなくて安堵する。
「今日はありがとう。お陰で一週間の疲れが取れた」
 光の敵意に気づかない筈はないのに、そのことに彼は触れない。
「お礼にご飯でもご馳走したいところだけど、半端な時間だね。一駅移動して映画でも観ようか」
 さらりと言われて足が止まった。同じように足を止めた彼の顔をまじまじと見つめて、はっとして視線を逸らす。街を歩くのにマスクと眼鏡ではどうかと思って、今日は眼鏡だけにしている。彼との間には伊達のレンズがあるのに、男性にしては長い増毛や、日に当たっていつもより茶色に見える髪がしっかり見えてしまう。直視は避けなければならない。そう思う以上に、本音は彼を観察したい。そんな自分に気づいてしまう。
「そんなのデートみたいじゃないですか」
「今日のこれはデートじゃないの?」
 躱すつもりが、まっすぐ返されて言葉が出なくなった。
「僕はデートのつもりでいたよ。加村さんが誘ってくれて嬉しかったし」
「そんな、まるで俺のことが好きみたいに」
「好きだよ」
 そんなにあっさり言わないでくれと叫びたくなった。好意は感じていたし、恋人になってみたいと思った。だが半分は煩わしい予知能力からの現実逃避だ。自分に恋などできる筈がない。久慈の傍で見た予知の映像を思い出す。里菜のときは外したが、久慈の予知が当たったらどうする? それを思えば怖い。警察に捕まることも久慈に迷惑を掛けてしまうことも怖い。だがそれより、警察に突き出そうと思うほど嫌われるのが怖い。最後にはそこまで嫌われると分かっていて、どうしてチャレンジしようと思うだろう。
「それなら、もう俺に近づかない方がいい」
「加村さんは難しいことを言うね」
 訳の分からないことを言って俯いてしまう誠にも、彼は匙を投げたりしない。
「少し場所を移動しようか」
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