未来の次の恋
少しだけ時間をちょうだいと彼は言った。だがまさかその『少し』が二時間で済んでしまうとは思わない。
外出があったのに三十分足らずの残業で全て終わって、発送部屋の片づけをしていたときだった。
「加村さん、もう終わり? 例の件の報告がしたいから、帰りながらカフェでも行かない?」
「例の件?」
仕事が早すぎてピンとこない。
「鈴木里菜さんの件だよ。体調がいいなら一緒にご飯でも行きたいところだけど、今日はお茶だけの方がいい気がするから」
「あ、えっと、お気遣いありがとうございます」
どこまでも行き届いた配慮にはもう降参するしかない。とにかくそんな調子で、彼と駅前のカフェで向き合うことになった。
「はい。これあげる。ベタ打ちで申し訳ないけど」
言葉と裏腹に、どこかの探偵事務所かと思うほどきちんとした報告書を手にする。恐らく電話かメールで報告を受けたものを、久慈が打ち直したのだろう。
「鈴木里菜。旧姓込山。彼女には死亡の事実も退職の事実もない。ただ、半端な時期に異動願いを出して、別店舗に移ってはいるみたいだね。どんな理由を使ったのか分からないけど、ホテルズは割と異動の希望が通りやすいから。あまり簡単に利用してほしくはないんだけど」
既に情報を全て把握しているらしい彼の言葉には、珍しく刺がある。
「半端に隠すのは性に合わないから全部報告するね。今二歳の子どもがいて、産休育休を経てこの四月に時短で復帰している。異動してすぐの店舗で妊娠報告をするなんて、規則上は問題ないけど、メンタルの強い子なんだなという気はしてしまうかな」
そこで刺の意味を理解する。誠のために腹を立ててくれているのだ。子どもは二歳。妊娠期間は十ヵ月。誠と別れてすぐに結婚、妊娠しないと間に合わない計算だ。少なくても恋愛期間はダブっていたのだろう。そんな強かな女性には見えなかったが、所詮、誠もじっくり彼女を見ていなかったのだ。
「夫は紺華カードの社員で十歳年上」
「……なるほど」
そこでなんとなく理解する。グループ会社の交流会で出会ったのは誠だけではなかったのだ。何人か同時進行で、篩い落とす男には不治の病と告げていた。いや、そんな噓に騙されるのは誠だけで、他の男にはもっと高度な言い訳を用意したのだろうか。だとしても怒りはない。
「ごめんね。もっとぼんやりした報告の方がよかったかな」
「いえ。正に俺が望んでいた報告でした。ありがとうございます」
とりあえずこれで里菜の件は予知を外していたと分かった。誠が騙されていたことが惨事と言えば惨事だが、自分と付き合ったせいで彼女が不幸な目に遭ったのではないかと怯えてきたのだ。その可能性が消えて一つ楽になる。
「ケーキでも食べる? 好きなのを奢るよ」
能力のことを知らない久慈には無理をしているように見えるのか、そう言われて申し訳なさが募る。いっそここで全部話してしまおうか。
「どうしたの?」
「いえ」
だが結局は言葉を吞み込んだ。自分と付き合った場合の未来を見られていたなんて気味が悪い。それも惨事なんて、少なくとも彼と職場が離れるまでは言わない方がいい。
「優しいなと思って」
代わりに別のことを言ってみた。これは別に嘘ではない。
「今気づいたなら心外だな」
その言い方がおかしくて笑ってしまう。能力が消えた訳ではないが、一つ枷が外れて心が軽くなった。恋をしないように注意はしても、久慈と必要以上に距離を置かなくてもいいのではないかと思えてくる。そんな誠の微妙な変化を感じ取ったのかもしれない。彼が優しく目を細める。
「帰ろうか。体調が完全によくなったら、一度くらいご飯に付き合って」
「はい」
立ち上がりながら言われて素直に応じた。上司と一度食事に行くくらいなんでもない。能力のせいでそんな些細なことまで制限されたくない。珍しくそんな強い気持ちが湧くのを感じる。
「なんだか今週は色々あったね。もう身体がバキバキ」
店を出て駅まで歩きながら、彼が軽く伸びの仕種をする。その瞬間はっと閃いた。考えるより先に言葉が出る。
「久慈さん、来週末、もしよければ……」
人を誘うなんていつぶりだろうと思った。それも今まで散々そっけない態度を取ってきた久慈が相手。だがそうしたいと思ってしまったのだから仕方がない。他社へ行くとき以外は未だにマスクと伊達眼鏡でいながら、矛盾と言われても仕方のない行動だった。
外出があったのに三十分足らずの残業で全て終わって、発送部屋の片づけをしていたときだった。
「加村さん、もう終わり? 例の件の報告がしたいから、帰りながらカフェでも行かない?」
「例の件?」
仕事が早すぎてピンとこない。
「鈴木里菜さんの件だよ。体調がいいなら一緒にご飯でも行きたいところだけど、今日はお茶だけの方がいい気がするから」
「あ、えっと、お気遣いありがとうございます」
どこまでも行き届いた配慮にはもう降参するしかない。とにかくそんな調子で、彼と駅前のカフェで向き合うことになった。
「はい。これあげる。ベタ打ちで申し訳ないけど」
言葉と裏腹に、どこかの探偵事務所かと思うほどきちんとした報告書を手にする。恐らく電話かメールで報告を受けたものを、久慈が打ち直したのだろう。
「鈴木里菜。旧姓込山。彼女には死亡の事実も退職の事実もない。ただ、半端な時期に異動願いを出して、別店舗に移ってはいるみたいだね。どんな理由を使ったのか分からないけど、ホテルズは割と異動の希望が通りやすいから。あまり簡単に利用してほしくはないんだけど」
既に情報を全て把握しているらしい彼の言葉には、珍しく刺がある。
「半端に隠すのは性に合わないから全部報告するね。今二歳の子どもがいて、産休育休を経てこの四月に時短で復帰している。異動してすぐの店舗で妊娠報告をするなんて、規則上は問題ないけど、メンタルの強い子なんだなという気はしてしまうかな」
そこで刺の意味を理解する。誠のために腹を立ててくれているのだ。子どもは二歳。妊娠期間は十ヵ月。誠と別れてすぐに結婚、妊娠しないと間に合わない計算だ。少なくても恋愛期間はダブっていたのだろう。そんな強かな女性には見えなかったが、所詮、誠もじっくり彼女を見ていなかったのだ。
「夫は紺華カードの社員で十歳年上」
「……なるほど」
そこでなんとなく理解する。グループ会社の交流会で出会ったのは誠だけではなかったのだ。何人か同時進行で、篩い落とす男には不治の病と告げていた。いや、そんな噓に騙されるのは誠だけで、他の男にはもっと高度な言い訳を用意したのだろうか。だとしても怒りはない。
「ごめんね。もっとぼんやりした報告の方がよかったかな」
「いえ。正に俺が望んでいた報告でした。ありがとうございます」
とりあえずこれで里菜の件は予知を外していたと分かった。誠が騙されていたことが惨事と言えば惨事だが、自分と付き合ったせいで彼女が不幸な目に遭ったのではないかと怯えてきたのだ。その可能性が消えて一つ楽になる。
「ケーキでも食べる? 好きなのを奢るよ」
能力のことを知らない久慈には無理をしているように見えるのか、そう言われて申し訳なさが募る。いっそここで全部話してしまおうか。
「どうしたの?」
「いえ」
だが結局は言葉を吞み込んだ。自分と付き合った場合の未来を見られていたなんて気味が悪い。それも惨事なんて、少なくとも彼と職場が離れるまでは言わない方がいい。
「優しいなと思って」
代わりに別のことを言ってみた。これは別に嘘ではない。
「今気づいたなら心外だな」
その言い方がおかしくて笑ってしまう。能力が消えた訳ではないが、一つ枷が外れて心が軽くなった。恋をしないように注意はしても、久慈と必要以上に距離を置かなくてもいいのではないかと思えてくる。そんな誠の微妙な変化を感じ取ったのかもしれない。彼が優しく目を細める。
「帰ろうか。体調が完全によくなったら、一度くらいご飯に付き合って」
「はい」
立ち上がりながら言われて素直に応じた。上司と一度食事に行くくらいなんでもない。能力のせいでそんな些細なことまで制限されたくない。珍しくそんな強い気持ちが湧くのを感じる。
「なんだか今週は色々あったね。もう身体がバキバキ」
店を出て駅まで歩きながら、彼が軽く伸びの仕種をする。その瞬間はっと閃いた。考えるより先に言葉が出る。
「久慈さん、来週末、もしよければ……」
人を誘うなんていつぶりだろうと思った。それも今まで散々そっけない態度を取ってきた久慈が相手。だがそうしたいと思ってしまったのだから仕方がない。他社へ行くとき以外は未だにマスクと伊達眼鏡でいながら、矛盾と言われても仕方のない行動だった。