好きになったのはあなたです。
彼の方からそんな言い方をされれば、その話題を避けるのも不自然な気がした。
「病院を辞めた事情を聞いていいですか?」
「ああ。もうカナセカで色々噂が立っているんだろ?」
「先生が二人の女性と付き合って、彼女たちが先生を巡って怪我をするほどの喧嘩をしたって」
「まぁ、喧嘩をして怪我をしたのは事実だな」
既に達観しているように一つ息を吐く。
「二人共付き合っていた事実はないんだ。ただ当時の俺は仕事をスムーズに進めるのが第一だったから、ベテランで仕事のできる看護師によく頼みごとをしていた。それであの二人は付き合っているっていう噂が立ったんだ。今思えば面倒だからと放っておいた俺が悪かったんだが」
その後新しく入ってきた作業療法士が久宝を好きになり、彼女は若さのままそれを公言して回ったという。
「俺は興味がなかった。無視し続ければそのうち別の男を好きになるだろうと軽く考えていた。だがそのうち二人が、自分にそっけないのはあの女のせいだと思うようになって障害沙汰になったって訳」
「初めの彼女を見捨てて新しい彼女を助けたって……」
つい浜野から聞いたことを言ってしまって、まずかったかなと思う。だが彼は苦笑しながら答えてくれる。
「個人的な感情はなかった。刃物で二人とも怪我をしていたから、重症の方を先に処置しないとと思っただけだ。運悪く外科の先生がいなくて俺が縫うことになってな。それでおかしな噂が広がったって訳だ。その後上から呼び出しを食らって、お前の日頃の行いが悪いからこんなことが起きたんじゃないかって言われて、もう弁解も面倒になって辞めた」
「そんなことで辞めるのは悔しくなかったですか?」
聞けば流石に彼が眉を下げた。だがもうネガティブな感情からは抜け出したというように静かに言う。
「悔しくないことはなかったけど、それなりに真面目に働いていたのに悪く言われる職場なんて、いずれいいように使い捨てられるんだろうって思ったからな。今の会社は風通しがよくて居心地がいい」
「カナセカに出向することになりましたけどね」
「だな」
笑う彼から、カナセカでの仕事も嫌いではないと伝わってくる。できればもう少しクリニックにいてほしい。嶺はそれを願っている。
「病院を辞めてカナミキャリアに移るときに少し休みの期間があってな。そのときタゴレイの絵が心の支えだったんだ」
「え? 嘘。まさか」
「嘘じゃない。さっきも言ったけど、どうにも心惹かれて、タゴレイの絵を見ているときだけが癒しの時間だったんだ」
嶺の塗り絵がそこまで彼の人生に関わっていたなんて知らなかった。褒められれば嬉しいが、彼が求めているのが現実には存在しないタゴレイのようで複雑な気持ちになる。
「タゴレイが羨ましいです。先生にそんな風に言ってもらえて」
「どういう意味だ?」
なんとなく思ったことを言ってみただけなのに、そこで彼の纏う空気が変わった。
「それは俺に惚れられたら嬉しいということか?」
「え、いや、そうじゃなくて」
彼の身体に覆い被さられて、一体これはなんだと混乱してしまう。
「タゴレイは褒められるけど、俺は貶されてばかりだし」
「面倒見がいいし料理も上手いと言った。それに、俺が前に言ったことを全部忘れた訳じゃないだろ?」
前。前に言われたどれだろう。悩むうちにソファーに倒れた嶺の手首が、彼にがっちりと押さえられてしまう。なんだこれは? さっきまで穏やかに話していたのに、何故こんなことになった? と慌てるうちに、首元に彼の唇が近づいてくる。
「……!」
そこではっと気づいて、目一杯彼の肩を押し返した。
「先生も千木良先生と同じですか?」
「……何?」
昼間フラッシュバックして苦しんだことがまた嶺に襲い掛かる。
「先生も、少しでも恋神に触れて恋を優位に進めようとしているんですか? そんなに恋神に縋りたいんですか?」
彼の恋を成就させると誓っておきながら、勝手な言い分だと分かっている。だが彼が浜野との恋を叶えるために嶺に触れていると思えば、酷い嫌悪感に襲われる。
「何言ってるんだ?」
「病院を辞めた事情を聞いていいですか?」
「ああ。もうカナセカで色々噂が立っているんだろ?」
「先生が二人の女性と付き合って、彼女たちが先生を巡って怪我をするほどの喧嘩をしたって」
「まぁ、喧嘩をして怪我をしたのは事実だな」
既に達観しているように一つ息を吐く。
「二人共付き合っていた事実はないんだ。ただ当時の俺は仕事をスムーズに進めるのが第一だったから、ベテランで仕事のできる看護師によく頼みごとをしていた。それであの二人は付き合っているっていう噂が立ったんだ。今思えば面倒だからと放っておいた俺が悪かったんだが」
その後新しく入ってきた作業療法士が久宝を好きになり、彼女は若さのままそれを公言して回ったという。
「俺は興味がなかった。無視し続ければそのうち別の男を好きになるだろうと軽く考えていた。だがそのうち二人が、自分にそっけないのはあの女のせいだと思うようになって障害沙汰になったって訳」
「初めの彼女を見捨てて新しい彼女を助けたって……」
つい浜野から聞いたことを言ってしまって、まずかったかなと思う。だが彼は苦笑しながら答えてくれる。
「個人的な感情はなかった。刃物で二人とも怪我をしていたから、重症の方を先に処置しないとと思っただけだ。運悪く外科の先生がいなくて俺が縫うことになってな。それでおかしな噂が広がったって訳だ。その後上から呼び出しを食らって、お前の日頃の行いが悪いからこんなことが起きたんじゃないかって言われて、もう弁解も面倒になって辞めた」
「そんなことで辞めるのは悔しくなかったですか?」
聞けば流石に彼が眉を下げた。だがもうネガティブな感情からは抜け出したというように静かに言う。
「悔しくないことはなかったけど、それなりに真面目に働いていたのに悪く言われる職場なんて、いずれいいように使い捨てられるんだろうって思ったからな。今の会社は風通しがよくて居心地がいい」
「カナセカに出向することになりましたけどね」
「だな」
笑う彼から、カナセカでの仕事も嫌いではないと伝わってくる。できればもう少しクリニックにいてほしい。嶺はそれを願っている。
「病院を辞めてカナミキャリアに移るときに少し休みの期間があってな。そのときタゴレイの絵が心の支えだったんだ」
「え? 嘘。まさか」
「嘘じゃない。さっきも言ったけど、どうにも心惹かれて、タゴレイの絵を見ているときだけが癒しの時間だったんだ」
嶺の塗り絵がそこまで彼の人生に関わっていたなんて知らなかった。褒められれば嬉しいが、彼が求めているのが現実には存在しないタゴレイのようで複雑な気持ちになる。
「タゴレイが羨ましいです。先生にそんな風に言ってもらえて」
「どういう意味だ?」
なんとなく思ったことを言ってみただけなのに、そこで彼の纏う空気が変わった。
「それは俺に惚れられたら嬉しいということか?」
「え、いや、そうじゃなくて」
彼の身体に覆い被さられて、一体これはなんだと混乱してしまう。
「タゴレイは褒められるけど、俺は貶されてばかりだし」
「面倒見がいいし料理も上手いと言った。それに、俺が前に言ったことを全部忘れた訳じゃないだろ?」
前。前に言われたどれだろう。悩むうちにソファーに倒れた嶺の手首が、彼にがっちりと押さえられてしまう。なんだこれは? さっきまで穏やかに話していたのに、何故こんなことになった? と慌てるうちに、首元に彼の唇が近づいてくる。
「……!」
そこではっと気づいて、目一杯彼の肩を押し返した。
「先生も千木良先生と同じですか?」
「……何?」
昼間フラッシュバックして苦しんだことがまた嶺に襲い掛かる。
「先生も、少しでも恋神に触れて恋を優位に進めようとしているんですか? そんなに恋神に縋りたいんですか?」
彼の恋を成就させると誓っておきながら、勝手な言い分だと分かっている。だが彼が浜野との恋を叶えるために嶺に触れていると思えば、酷い嫌悪感に襲われる。
「何言ってるんだ?」