好きになったのはあなたです。

 願ってもない話だ。
「じゃあ、俺の分のお金を置いていきます」
 鞄を引っ張って財布を出そうとすれば、久宝に手のひらを見せるようにして止められる。
「いらないって言っただろ。今度はもっといい店に連れていくから」
 うーん。想い人が目の前にいるのに、もっといい店などと言ってはダメだろうと思うが、とにかく彼に礼を言って一人店を出ることになる。
 よかった、よかった。これを望んでいたのだと、酔ってもいないのに心の中で同じことを繰り返しながら電車に揺られた。それほど食べていないのに、家に帰っても何か食べようという気にならずに、さっさとシャワーを浴びてベッドに入ってしまう。
 結果報告なら明日を待てばいいと分かっていた。久宝はいちいち連絡してきたりしないだろうが、二人が上手くいったなら明日の朝浜野から連絡が入る筈だ。恋人ができました。いや、告白されたので付き合ってみることにしました、だろうか。とにかくダイヤのお礼に二人をくっつけようとしたのは嶺だ。久宝が浜野を好きなことも知っていた。それなのに、これほど落ち着かないのは何故だろう。寝ようと思いながら、何故ずっとスマホを手から離せないのだろう。
 二人はもう一軒行こうという話になっただろうか。それとも一足飛びにホテルに行っただろうか。大人だから誰に責められることではないし、明日は休日だ。久宝ならいいホテルを取りそうだと思って、自分は一体何を考えているのだろうと困惑する。
 スマホを握ったまま寝返りばかり打っていて、もうそれなら起きてテレビでも観ようかと思ったところでラインの通知が入った。がばりと音がする勢いで起き上がって見た画面には、浜野ではなく久宝の文字。
『今日の店には寿司がなくて悪かった。今度寿司と蓮根のある店に行こう』
 浜野と一体どんな結果になったのだと慌ててタップしたのに、表示されたのはどこまでもどうでもいい話だった。嶺のことを言っている場合ではないだろう。浜野とどこまで進んだのだと思うが、恋神とはいえ流石に他人の恋の進捗は聞きづらい。浜野くんは帰ったんですか? それなら当たり障りがないだろうか。そう文字を打とうとして、嶺の既読に気づいたらしい彼が、先に次の文を送ってくる。
『電話していいか?』
 彼が許可を求めるなんて珍しい。もうOKのスタンプを返すのも煩わしい気がして、嶺の方から掛けてやる。
「こんばんは」
 掛けたもののなんと言っていいか分からなくて、さっきまで会っていた相手に挨拶してしまう。
「ああ、こんばんは」
 笑いを含んだ声で彼も同じように返してくる。周りがシンとしているから家から電話しているのだろうか。だとしたら嶺が帰ったあと、それほど長く二人でいた訳ではない。瞬時にそんな計算をする。
「連絡先を人に教えるが嫌いなんだってな」
 浜野との恋の行方を聞きたいのに、彼はまた嶺のことを言った。
「あいつに聞いた。長く親しくしているのに、ずっと連絡先を教えてもらえなかったって」
 浜野がそんな風に思っていたなんて知らなかった。彼が嫌いな訳ではなく、一律教えないようにしていたのだ。
「拒否されたのが俺だけじゃないって分かってよかったけどな」
「浜野くんは先生のように拒否していた訳ではありません。ただその話題になったら躱していただけで」
「案外そっちの方が傷つくと思うぞ」
「う……」
 だとしたら申し訳ないが、本当に嫌いだからという訳ではないのだ。
「家で方眼塗り絵をやっているときに電話が鳴るのが嫌なんですよ。アプリが中断してしまうから」
「そんな理由かよ」
 久宝が笑う。だがその笑い方が少しも嫌なものではない。
「じゃあ、嫌なのに今回教えてくれてどうも」
「仕方ないですよ。飲みに行くのに連絡もできないじゃ、擦れ違ってしまうかもしれないし」
 二人をくっつけるのに連絡先を知らないと不便だと思ったのだ。
「今度は二人で行こうな」
 ごく自然に言われて思わず頷きそうになる。だがすぐに、違うだろと自身に突っ込んでしまう。
「いや、浜野くんは?」
「浜野? あいつは誘う必要ないだろ」
「え? だってそれなら今夜二人で何を話したんですか?」
 久宝の考えが全く分からなかった。声が沈んでないから失恋はしていないと思うが、それならどんな話をして別れたのだろう。
「あいつとは、お互い好きに動いて恨みっこなしという話に落ち着いた」
「好きに動く? 恨みっこなし?」
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