好きになったのはあなたです。
その後割と簡単に話は纏まり、金曜の仕事終わりに食事に出ることになった。あまり久宝に好意的でなかった浜野も、浜野を好きでないという芝居を続ける久宝も、二人とも何故か突然乗り気になったのだ。これも恋神の力だろうかと首を傾げるが、二人の関係が進むなら理由など些細なことだ。
職場からアーケード通りを少し歩いて、アーケードが途切れたところを曲がった場所に、シンプルなコンクリートの店はあった。分厚いコンクリートの外壁だから、窓から零れるオレンジの灯りが際立って見える。建物がモダンなのは意外だったが、一目でいい店と分かる店構えだ。
久宝が予約してくれて、店に入れば二部式着物の店員が気持ちよく迎えてくれた。丁寧な接客で、天井まである仕切りで区切られた半個室に案内してくれる。四人掛けのテーブルで席はどうしようと迷えば、二人が自然に動いて、嶺が奥の席で浜野がその隣、嶺の向かい側に久宝という並びに落ち着いた。二人が一番遠いパターンになってしまったが、それくらいいつでも取り返せる。
「先生、何飲みます? 浜野くんも」
こんなことになった以上、今日はせめて自分と浜野の分は払おうと思ってカードも現金もしっかり用意してきた。だから遠慮なく浜野にお酒を勧める。酔った方が久宝との距離も縮まるに違いない。
「人のことよりお前はどうなんだよ」
「俺はウーロン茶で」
「は? 飲まないのかよ」
「ほら、俺は脱水に注意するように言われている身だから、お酒はよくないかなって」
本当は少しくらいいいのだろうが、今夜嶺が酔ってしまう訳にはいかないのだ。
「その分料理を沢山いただきますから」
「ああ。そういえばお前、胃潰瘍の薬はちゃんと飲んでいるんだろうな」
「飲んでいますって」
今夜の久宝はやけに嶺に構ってくる。
「田胡さん、お料理のメニューです」
「あ、ありがとう」
浜野からメニューを渡されて、久宝が正面から見られるようにテーブルに広げた。ざっと見たが、高級路線ではあるがどれも突拍子もない値段ではない。嶺が三人分払うことになっても大丈夫そうだ。それなら華やかで、少しでも二人の会話のネタになるような料理がいいとメニューの文字を追う。
「イカの刺身があるぞ。蓮根とししとうの炒め物も旨い」
嶺の好物を覚えていてくれたらしい。ありがたいが、あなたが今夜気を遣わなければならないのは俺ではないだろうと、もどかしい気持ちになる。
「あ、田胡さん、マテ茶がありますよ」
「ほんと? じゃあ、そっちにしてみようかな。浜野くんは?」
「俺は甘口の日本酒がいいですかね」
「おお、いいね」
浜野とお茶をしたことはあるが、飲みに行ったことはなかった。初めから日本酒とは、可愛い顔をして割とお酒に強いタイプなのかもしれない。
「先生は?」
「じゃあ、俺も同じものにするか。料理はよさげなものをいくつか頼むから、足りなければあとから追加で頼めばいい」
「そうします」
久宝と浜野のお酒がお揃いになったことに安堵して、店員に手を上げる。
二人とも乾杯はしない主義なのか乾杯はなかったが、その後はごく自然に食事と会話が進んだ。久宝が頼んでくれたイカ飯がおいしくて、時々恋神の仕事を忘れそうになる。今やっていることは神というより世話焼きのおばさんに近いかもしれないけれど。
「しかし社員が少ないとはいえ、五階建てのビルで総務部員一人はないよな? 上司は何を思ってそんな配置にしたんだ? 一人じゃ大変に決まっているだろ?」
素直に浜野のことを聞けばいいのに、照れがあるのか久宝は嶺のことばかり聞きたがる。
「慣れればそう大変でもないですよ。ミスの許されないID関係と重要書類だけ押さえれば、あとの雑務や力仕事は他の部署の人が手伝ってくれますし。女性が多いコール部門なんかは、女性上司が要望を纏めて直接管理室に持っていってくれることもあるし」
「それにしても、新入社員の時期に一人でも増やせばいいのにな」
「うーん。新入社員は営業かコール部門に回したいんでしょうね。以前嘱託社員さんを総務に入れようって話があったんですけど、それも実現する前に消えてしまって」
「理由は?」
「嘱託社員さんって年齢が上だから、同じ年下に指示を出されるにしても部課長クラスがいいって思いがあるみたいです。企画部や経理部には五十代の部長がいるけど、俺はただの主任だし」
「再雇用してもらっておいて勝手だな」
「配属になってから不満を言われるよりよかったですよ。どのみち総務は力仕事が多いから、嘱託社員さんだと厳しかったでしょうし」
カナセカは六十歳以上も働きたい場合は嘱託社員として再雇用される。いや、何故ここで総務の裏話をしているのだ。
「田胡さんって凄いですよね」
職場からアーケード通りを少し歩いて、アーケードが途切れたところを曲がった場所に、シンプルなコンクリートの店はあった。分厚いコンクリートの外壁だから、窓から零れるオレンジの灯りが際立って見える。建物がモダンなのは意外だったが、一目でいい店と分かる店構えだ。
久宝が予約してくれて、店に入れば二部式着物の店員が気持ちよく迎えてくれた。丁寧な接客で、天井まである仕切りで区切られた半個室に案内してくれる。四人掛けのテーブルで席はどうしようと迷えば、二人が自然に動いて、嶺が奥の席で浜野がその隣、嶺の向かい側に久宝という並びに落ち着いた。二人が一番遠いパターンになってしまったが、それくらいいつでも取り返せる。
「先生、何飲みます? 浜野くんも」
こんなことになった以上、今日はせめて自分と浜野の分は払おうと思ってカードも現金もしっかり用意してきた。だから遠慮なく浜野にお酒を勧める。酔った方が久宝との距離も縮まるに違いない。
「人のことよりお前はどうなんだよ」
「俺はウーロン茶で」
「は? 飲まないのかよ」
「ほら、俺は脱水に注意するように言われている身だから、お酒はよくないかなって」
本当は少しくらいいいのだろうが、今夜嶺が酔ってしまう訳にはいかないのだ。
「その分料理を沢山いただきますから」
「ああ。そういえばお前、胃潰瘍の薬はちゃんと飲んでいるんだろうな」
「飲んでいますって」
今夜の久宝はやけに嶺に構ってくる。
「田胡さん、お料理のメニューです」
「あ、ありがとう」
浜野からメニューを渡されて、久宝が正面から見られるようにテーブルに広げた。ざっと見たが、高級路線ではあるがどれも突拍子もない値段ではない。嶺が三人分払うことになっても大丈夫そうだ。それなら華やかで、少しでも二人の会話のネタになるような料理がいいとメニューの文字を追う。
「イカの刺身があるぞ。蓮根とししとうの炒め物も旨い」
嶺の好物を覚えていてくれたらしい。ありがたいが、あなたが今夜気を遣わなければならないのは俺ではないだろうと、もどかしい気持ちになる。
「あ、田胡さん、マテ茶がありますよ」
「ほんと? じゃあ、そっちにしてみようかな。浜野くんは?」
「俺は甘口の日本酒がいいですかね」
「おお、いいね」
浜野とお茶をしたことはあるが、飲みに行ったことはなかった。初めから日本酒とは、可愛い顔をして割とお酒に強いタイプなのかもしれない。
「先生は?」
「じゃあ、俺も同じものにするか。料理はよさげなものをいくつか頼むから、足りなければあとから追加で頼めばいい」
「そうします」
久宝と浜野のお酒がお揃いになったことに安堵して、店員に手を上げる。
二人とも乾杯はしない主義なのか乾杯はなかったが、その後はごく自然に食事と会話が進んだ。久宝が頼んでくれたイカ飯がおいしくて、時々恋神の仕事を忘れそうになる。今やっていることは神というより世話焼きのおばさんに近いかもしれないけれど。
「しかし社員が少ないとはいえ、五階建てのビルで総務部員一人はないよな? 上司は何を思ってそんな配置にしたんだ? 一人じゃ大変に決まっているだろ?」
素直に浜野のことを聞けばいいのに、照れがあるのか久宝は嶺のことばかり聞きたがる。
「慣れればそう大変でもないですよ。ミスの許されないID関係と重要書類だけ押さえれば、あとの雑務や力仕事は他の部署の人が手伝ってくれますし。女性が多いコール部門なんかは、女性上司が要望を纏めて直接管理室に持っていってくれることもあるし」
「それにしても、新入社員の時期に一人でも増やせばいいのにな」
「うーん。新入社員は営業かコール部門に回したいんでしょうね。以前嘱託社員さんを総務に入れようって話があったんですけど、それも実現する前に消えてしまって」
「理由は?」
「嘱託社員さんって年齢が上だから、同じ年下に指示を出されるにしても部課長クラスがいいって思いがあるみたいです。企画部や経理部には五十代の部長がいるけど、俺はただの主任だし」
「再雇用してもらっておいて勝手だな」
「配属になってから不満を言われるよりよかったですよ。どのみち総務は力仕事が多いから、嘱託社員さんだと厳しかったでしょうし」
カナセカは六十歳以上も働きたい場合は嘱託社員として再雇用される。いや、何故ここで総務の裏話をしているのだ。
「田胡さんって凄いですよね」