好きになったのはあなたです。
諦めの境地で言えば、彼がまたふふふと笑う。嶺があげた飴を食べているから、リスのように頬が膨らんでいるのが可愛らしい。ただの先輩として接してくれるのがありがたいと言いながら、彼が恋の成就を頼んできたら全力で叶えてやろうと思っているのだから、人の心は勝手なものだ。
「そうだ。噂といえば」
浜野が嶺に顔を近づけて声を潜める。
「新しくクリニックに来た久宝先生の噂聞きました?」
「久宝先生? 彼に何か噂があるの?」
噂話を深追いするタイプではないが、世話になったばかりの男の名前を出されればつい聞いてしまう。
「以前は叶未総合病院にいたそうですよ。大病院だし優秀な内科医だったのに、彼がどうしてこんなクリニックに飛ばされたと思います?」
こんなクリニックという言い方はどうかと思うが、とりあえず彼が嶺を前の勤務先に紹介してくれたことは分かった。それなら病院自体に不満があった訳ではないだろう。
「どうしてなの?」
「それが、派手な女性トラブルを起こして懲罰だったらしいですよ」
「女性トラブル!?」
声を上げてしまって、慌てて周りを見渡す羽目になった。あの容姿だから恋人が二、三人いても不思議ではないが、彼ならトラブルにならないように上手くやりそうな気がする。そもそも仕事に支障が出そうなタイプとは付き合わなさそうだ。それがグループの他企業にまで噂が流れるトラブルを起こすなんて。
「二人の女性と同時進行で付き合っていて、その二人が病院内で障害沙汰の喧嘩を始めたらしくて」
「病院もいい迷惑だな」
「ほんと。で、二人の女性が怪我をしたんですけど、久宝さんが初めに付き合っていた女性ではなく、あとから付き合いだした方を助けたとか。それで怒った初めの彼女が大声で色々暴露したってことらしいですよ」
「うーん。女性も女性って気がするけど」
障害沙汰など起こさないようにメンタルをコントロールするのが大人だろうと思う。とにかくその女性が騒いだせいで責任問題になって飛ばされたということだろうか。なんらかのトラブルがあったのは事実だとしても、やはり久宝がそんな下品な喧嘩をする女性と付き合うとは考え難い。
「まぁ、とにかくそんな噂がある先生だから、僕はもうここのクリニックには行かないことにしようと思っているんです」
「でも浜野くん本人はともかく、人材管理部ならクリニックの医師のアドバイスを受けなきゃいけないこともあるでしょう?」
派遣スタッフをスポットから中長期の仕事に移行させるときに、体調的に問題ないか判断してもらうのだ。いい方にいい方に申告するスタッフ本人より、医師の言葉の方が余程信頼できる。それができるからカナセカの評価は高いのだ。
「そのときは仕方ないですけど、でもできるだけ避けようとは思っています。どうしても必要なら先輩についてきてもらおうかなって」
仕事熱心な彼には珍しく弱気な発言だった。人材管理部の仕事をきちんと把握している久宝にとっても、避けられるのは辛い。
「田胡さんも行かない方がいいですよ。総務部は手続きなんかで関わらないといけないことがあるでしょうけど、できるだけ人事部に回すとか……」
「あのね、浜野くん」
噂の真偽は分からないし、そこまでしてやる義理はないと思いながら、彼の言葉を遮らずにいられなかった。
「女性関係のことは分からないけど、久宝先生はいい先生だと思うよ。俺、実はもう彼の診察を受けたんだ。病気の疑いを見つけて叶未総合病院に回してくれたよ。お陰でしっかり治療もしてもらえて、だから久宝先生には感謝している」
胃潰瘍は服薬中だし脱水はこまめに水を飲むように指導されただけだが、そこは少し大袈裟に言ってみる。
「そう、なんですね」
嶺が必死に人を庇うのが珍しかったのか、浜野が真顔で見つめてくる。
「そうそう。あ、採血も凄く上手だったよ。器用なんだろうなって思った」
「そっか」
「うん。ほら噂話なんてどう広がるか分からないものでしょう? 実際はただモテすぎて女性同士が喧嘩しただけかもしれないし。現に俺なんか普通の会社員なのに神って言われているんだよ?」
そこまでピエロになる必要はないかと思ったが、嶺自身の話を出したことで漸く浜野も表情を緩めてくれる。
「田胡さんがそう言うなら話してみてもいいかなって思います」
「うん。一度診察の予約を入れてみるといいかも。もしかしたら浜野くんの喘息にも有益な情報をくれるかもしれないよ」
「そうしてみます」
「そうだ。噂といえば」
浜野が嶺に顔を近づけて声を潜める。
「新しくクリニックに来た久宝先生の噂聞きました?」
「久宝先生? 彼に何か噂があるの?」
噂話を深追いするタイプではないが、世話になったばかりの男の名前を出されればつい聞いてしまう。
「以前は叶未総合病院にいたそうですよ。大病院だし優秀な内科医だったのに、彼がどうしてこんなクリニックに飛ばされたと思います?」
こんなクリニックという言い方はどうかと思うが、とりあえず彼が嶺を前の勤務先に紹介してくれたことは分かった。それなら病院自体に不満があった訳ではないだろう。
「どうしてなの?」
「それが、派手な女性トラブルを起こして懲罰だったらしいですよ」
「女性トラブル!?」
声を上げてしまって、慌てて周りを見渡す羽目になった。あの容姿だから恋人が二、三人いても不思議ではないが、彼ならトラブルにならないように上手くやりそうな気がする。そもそも仕事に支障が出そうなタイプとは付き合わなさそうだ。それがグループの他企業にまで噂が流れるトラブルを起こすなんて。
「二人の女性と同時進行で付き合っていて、その二人が病院内で障害沙汰の喧嘩を始めたらしくて」
「病院もいい迷惑だな」
「ほんと。で、二人の女性が怪我をしたんですけど、久宝さんが初めに付き合っていた女性ではなく、あとから付き合いだした方を助けたとか。それで怒った初めの彼女が大声で色々暴露したってことらしいですよ」
「うーん。女性も女性って気がするけど」
障害沙汰など起こさないようにメンタルをコントロールするのが大人だろうと思う。とにかくその女性が騒いだせいで責任問題になって飛ばされたということだろうか。なんらかのトラブルがあったのは事実だとしても、やはり久宝がそんな下品な喧嘩をする女性と付き合うとは考え難い。
「まぁ、とにかくそんな噂がある先生だから、僕はもうここのクリニックには行かないことにしようと思っているんです」
「でも浜野くん本人はともかく、人材管理部ならクリニックの医師のアドバイスを受けなきゃいけないこともあるでしょう?」
派遣スタッフをスポットから中長期の仕事に移行させるときに、体調的に問題ないか判断してもらうのだ。いい方にいい方に申告するスタッフ本人より、医師の言葉の方が余程信頼できる。それができるからカナセカの評価は高いのだ。
「そのときは仕方ないですけど、でもできるだけ避けようとは思っています。どうしても必要なら先輩についてきてもらおうかなって」
仕事熱心な彼には珍しく弱気な発言だった。人材管理部の仕事をきちんと把握している久宝にとっても、避けられるのは辛い。
「田胡さんも行かない方がいいですよ。総務部は手続きなんかで関わらないといけないことがあるでしょうけど、できるだけ人事部に回すとか……」
「あのね、浜野くん」
噂の真偽は分からないし、そこまでしてやる義理はないと思いながら、彼の言葉を遮らずにいられなかった。
「女性関係のことは分からないけど、久宝先生はいい先生だと思うよ。俺、実はもう彼の診察を受けたんだ。病気の疑いを見つけて叶未総合病院に回してくれたよ。お陰でしっかり治療もしてもらえて、だから久宝先生には感謝している」
胃潰瘍は服薬中だし脱水はこまめに水を飲むように指導されただけだが、そこは少し大袈裟に言ってみる。
「そう、なんですね」
嶺が必死に人を庇うのが珍しかったのか、浜野が真顔で見つめてくる。
「そうそう。あ、採血も凄く上手だったよ。器用なんだろうなって思った」
「そっか」
「うん。ほら噂話なんてどう広がるか分からないものでしょう? 実際はただモテすぎて女性同士が喧嘩しただけかもしれないし。現に俺なんか普通の会社員なのに神って言われているんだよ?」
そこまでピエロになる必要はないかと思ったが、嶺自身の話を出したことで漸く浜野も表情を緩めてくれる。
「田胡さんがそう言うなら話してみてもいいかなって思います」
「うん。一度診察の予約を入れてみるといいかも。もしかしたら浜野くんの喘息にも有益な情報をくれるかもしれないよ」
「そうしてみます」