好きになったのはあなたです。
それは知らなかった。医師の仕事に誇りがあった訳ではないのかと思えば、何故か嶺が凹む。恋の成就に力を与えて、彼が医師を辞める手助けをしたのが自分なのだ。だがそこで、ん? と一つ引っ掛かる。千木良は別に結婚相手に恋をしていた訳ではない。それなのに何故恋神の力が働いたのだろう。恋神が前提の思考でおかしいが、もう偶然にしては多すぎるほど恋の成就を見てきているのだ。
「まぁ、それはともかく、お気に入りの千木良先生の代わりにやってきたのが俺みたいな医者じゃあ、不機嫌になるって訳だ」
つらつらと考えていて、久宝の言葉で我に返る。
「ええ。そうですね」
開き直って認めてやった。静かに自分の仕事だけを熟すタイプならよかったのに、何故恥ずかしげもなく館内放送を使うような男がやってくるのだ。
「否定しないんだな」
不機嫌になるかと思ったが、彼は楽しげに笑い出した。笑うと顔がくしゃくしゃになるタイプもいるが、彼は更に格好よさが増すタイプなのが気に入らない。
「とにかく、用が済んだのなら帰ります。今後館内放送を使うときは言葉遣いに気をつけてください」
「おい、待てって」
今度こそ立ち去ろうと思ったのに、同じように立ち上がった彼に腕を引かれてしまう。
「一体なんですか?」
流石に苛立ってその腕を思い切り払ってしまった。少し遅れて、医師の手を乱暴に扱うのはよくなかったと後悔する。その後悔を鋭く見抜いたように、彼がゆっくりと診察椅子に座り直す。
「優しいな」
「なんの話ですか?」
「まぁ、突っ込まないでおいてやるよ。それよりお前のお気に入りの千木良医師は、どうやら内科医には向いていなかったらしいぞ」
「……どういう意味です?」
失恋相手を気にかけるなんてどうかしている。だが思い通りにならない嶺を騙すためだとしても、千木良を悪く言われるのはいい気がしない。
「聞きたいなら座れ」
言われて仕方なく丸椅子に戻った。くだらない嘘ならこの丸椅子くらいは蹴飛ばして帰ろう。そう思ったのに、彼から出てきたのは意外な言葉だ。
「BUN検査の値がギリギリだ。且つ男性で貧血なら消化管出血を疑わなければならないが、お前のカルテに総合病院での検査を勧めた履歴がない」
「……ここには貧血でも仕事に支障がないことを報告に来ていたんです。万が一倒れでもして問題になったとき、こまめに検査をしていたという事実が俺を護ってくれるから」
「屁理屈だ」
千木良を庇う台詞は一蹴された。
「大方、仲のいい患者と楽しくお喋りして過ごしたかったってところだろうよ。必要な検査を勧めもしないくせに、貧血患者からこうも頻繁に血を抜く意味が分からない。もしかしたら怒らない患者で採血の練習がしたかったのかもしれないな。医者でも苦手な奴は苦手だからな」
「う……」
それは思い当たる節があるから言い返せない。
「という訳だから、一度検査に行ってくれ。この会社の福利厚生で済むように書類は調整しておく」
完全に形勢逆転していた。直前まで言い争っていたというのに、治療費の配慮までされれば降参するしかない。
「貧血患者から血を抜くのは気が進まないが、もう一度だけ採血させてもらう。この結構な藪医者が採った血かと思うと検査結果も怪しい。他人の血でも混ざっていたら大変だ」
「……それは流石にないでしょう」
そう思いたいが、なんせ恋神に縋ってさっさと医者を辞めるような男なのだ。
「じゃあ、腕を出して」
腕枕を出されて千木良のときと同じように両腕を出した。
「ん? 左でいいぞ。利き腕が右なら左の方がいいだろ?」
「いえ。先生が好きな方でどうぞ」
嶺の採血に苦労していたのは千木良だけではない。長年の経験からくる諦めの境地で言えば、嶺の腕を眺めた彼が得心したように目を細める。
「なるほど。これは結構嫌な思いをしてきただろうな。可哀そうに」
そう言って宣言通り左腕の内側を消毒すると、息をするようにそのままスッと血管に針を入れてしまう。
「え? 魔法?」
馬鹿げたことを言って、採血中の彼に笑われてしまった。
「俺は内科専門医だけど、研修で外科から小児科まで一通り学んできたんだ。子どもの血管に比べたら楽なもんだよ」
「まぁ、それはともかく、お気に入りの千木良先生の代わりにやってきたのが俺みたいな医者じゃあ、不機嫌になるって訳だ」
つらつらと考えていて、久宝の言葉で我に返る。
「ええ。そうですね」
開き直って認めてやった。静かに自分の仕事だけを熟すタイプならよかったのに、何故恥ずかしげもなく館内放送を使うような男がやってくるのだ。
「否定しないんだな」
不機嫌になるかと思ったが、彼は楽しげに笑い出した。笑うと顔がくしゃくしゃになるタイプもいるが、彼は更に格好よさが増すタイプなのが気に入らない。
「とにかく、用が済んだのなら帰ります。今後館内放送を使うときは言葉遣いに気をつけてください」
「おい、待てって」
今度こそ立ち去ろうと思ったのに、同じように立ち上がった彼に腕を引かれてしまう。
「一体なんですか?」
流石に苛立ってその腕を思い切り払ってしまった。少し遅れて、医師の手を乱暴に扱うのはよくなかったと後悔する。その後悔を鋭く見抜いたように、彼がゆっくりと診察椅子に座り直す。
「優しいな」
「なんの話ですか?」
「まぁ、突っ込まないでおいてやるよ。それよりお前のお気に入りの千木良医師は、どうやら内科医には向いていなかったらしいぞ」
「……どういう意味です?」
失恋相手を気にかけるなんてどうかしている。だが思い通りにならない嶺を騙すためだとしても、千木良を悪く言われるのはいい気がしない。
「聞きたいなら座れ」
言われて仕方なく丸椅子に戻った。くだらない嘘ならこの丸椅子くらいは蹴飛ばして帰ろう。そう思ったのに、彼から出てきたのは意外な言葉だ。
「BUN検査の値がギリギリだ。且つ男性で貧血なら消化管出血を疑わなければならないが、お前のカルテに総合病院での検査を勧めた履歴がない」
「……ここには貧血でも仕事に支障がないことを報告に来ていたんです。万が一倒れでもして問題になったとき、こまめに検査をしていたという事実が俺を護ってくれるから」
「屁理屈だ」
千木良を庇う台詞は一蹴された。
「大方、仲のいい患者と楽しくお喋りして過ごしたかったってところだろうよ。必要な検査を勧めもしないくせに、貧血患者からこうも頻繁に血を抜く意味が分からない。もしかしたら怒らない患者で採血の練習がしたかったのかもしれないな。医者でも苦手な奴は苦手だからな」
「う……」
それは思い当たる節があるから言い返せない。
「という訳だから、一度検査に行ってくれ。この会社の福利厚生で済むように書類は調整しておく」
完全に形勢逆転していた。直前まで言い争っていたというのに、治療費の配慮までされれば降参するしかない。
「貧血患者から血を抜くのは気が進まないが、もう一度だけ採血させてもらう。この結構な藪医者が採った血かと思うと検査結果も怪しい。他人の血でも混ざっていたら大変だ」
「……それは流石にないでしょう」
そう思いたいが、なんせ恋神に縋ってさっさと医者を辞めるような男なのだ。
「じゃあ、腕を出して」
腕枕を出されて千木良のときと同じように両腕を出した。
「ん? 左でいいぞ。利き腕が右なら左の方がいいだろ?」
「いえ。先生が好きな方でどうぞ」
嶺の採血に苦労していたのは千木良だけではない。長年の経験からくる諦めの境地で言えば、嶺の腕を眺めた彼が得心したように目を細める。
「なるほど。これは結構嫌な思いをしてきただろうな。可哀そうに」
そう言って宣言通り左腕の内側を消毒すると、息をするようにそのままスッと血管に針を入れてしまう。
「え? 魔法?」
馬鹿げたことを言って、採血中の彼に笑われてしまった。
「俺は内科専門医だけど、研修で外科から小児科まで一通り学んできたんだ。子どもの血管に比べたら楽なもんだよ」