本気の恋は占術不能

「C社から電話が入るかもしれないから、担当を聞いて明日朝一で折り返すと伝えておいて」
「分かりました」
「D社からのメールはテンプレートで返信で」
 その日は三時から役席会議と研修があるため、その前に海堂から不在中の対応指示を受けていた。彼が神崎のデスクまで椅子を持ってきて、並んで書類とパソコンモニターを眺める。海堂は単純に仕事の指示を出しているだけだが、彼に恋する身としては、時々腕が触れそうに近い距離にドキドキせずにいられない。不摂生からくる荒れとは無縁の綺麗な肌。整髪料で上げていない部分のさらりとした髪。小声でもきちんと耳に届く低音。いっそ嫌味なほどどこまでも上質な男だ。
「ごめんね。リーダーに全部任せてしまって」
「いえ……。これくらい負担でもないですから」
 つい観察してしまっていたところに顔を向けられて、慌てて手元の書類に視線を戻す。
「うーん、でもいつもなんでもかんでも神崎さんに頼っている気がして」
「いえ、そんなことは」
「そうだ。今度僕からお礼をさせてくれない?」
 海堂には珍しくちょっと強引な言い方だった。だが別に嫌な感じはしない。
「お礼?」
「そう。今度僕と……」
「海堂さん」
 彼が何か言いかけたところで、後ろから藤原の声が掛かった。
「すみません、お話し中に。今日の会議の総務部からの提案について」
「ああ、うん、確認させて」
 すぐに立ち上がって藤原に応じる彼に、性懲りもなく胸が痛む。どちらかの席に戻ってくれればいいのに、そこで資料の確認を始めるから、気にしていないフリで自分の作業を進めるのに苦労した。どれほど覚悟していても、彼ら二人とも大事な人間でも、やはり苦しいものは苦しい。だがそれを表に出さずにやっていくのが大人というものだ。
「ごめん、神崎。海堂さんとの話を邪魔しちゃったかな」
 海堂が席に戻ってからハッとしたように詫びる藤原に、顔の前で手を振った。主任なのだからもっと偉そうにしてもいいのに、神崎に対等な扱いで接してくれる彼を、やはり友人として好きだと思う。
「藤原が担当の仕事で何かやっておくことはある?」
「ううん。役員室の椅子が届くんだけど、その件は端川さんにお願いしておいたから」
 貴山金属では役員室の備品管理は秘書課ではなく総務部が担当している。今回役員の椅子を十脚新調することになって、藤原がコストと機能を考えて商品を選んだのだ。経費削減が叫ばれる中、大手のものと変わらない製品を安く入手できる先を見つけたのは彼の手柄だ。一週間前に一脚サンプルが送られてきて、機能も問題ないと確認済み。今日届くらしいが、端川に頼んでいるなら問題ないだろう。
「何か急ぎの仕事があるなら回して」
「うん。ありがと。ほんと神崎のお陰で助かる」
 そんなことをさらりと言うから嫌いになれないと、藤原に対してそんなことを思いながら自身の仕事に戻ったのだ。
「じゃあ、会議に出てしまうから、また明日」
 そうして三時前に海堂が席を立った。会場は二階の会議室。海堂も部長もみな参加。もちろん主任の藤原も参加する。
「何かあったら神崎リーダーを頼ってね。じゃあ、神崎さん、あとはよろしく」
 海堂が神崎の自尊心を擽る言い方をしてくれるのがありがたい。
「何もないと思いますけど、戸締りだけは任せてください」
「何を言っているの。頼りにしているよ」
 そう言って笑う海堂の言葉に浸っていられたのは一瞬で、すぐに彼の後を追って会議に向かう藤原の姿に打ちのめされた。彼は海堂の想い人というだけでなく主任なのだ。恋も仕事も敵わない相手。以前より慣れたとはいえ、やはり何度でもチクチクと胸を痛める。見なければいいのに、センスのいいスーツと鞄で廊下を歩く二人の背を、見えなくなるまで追ってしまう。ああ、後ろ姿までなんてお似合いなのだろう。身長差もちょうどいい。会議は定時を過ぎるから、終了後そのまま執務室に戻らず帰れるように支度していくのだ。普通に考えれば二人で一緒に帰るだろう。それが素直に羨ましい。
「神崎さん、どうしよう。ちょっと大変」
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