本気の恋は占術不能
「もちろん」
さっぱりした言い方だった。奥さん? 誰それ? 俺は気にしないし、邪魔をしたりしない。そんな気持ちが伝わってくる。
「二人の生活を邪魔するつもりはないし、彼が結婚しているうちは近づくつもりもない。同じ会社にいる以上、時々噂は耳にしてしまうだろうけど、それももう平気」
「結婚しているうちはって?」
引っ掛かった部分を聞き返せば、彼が神崎に顔を向けて笑う。笑っているが、その目が本気だと言っている。瞳の奥に消えない炎が燃え続けている。彼にそんな一面があるなんて知らなかった。
「もし上手くいかなくなって別れたり、奥様が亡くなったりしたら、そのときは遠慮なくアプローチに行くよ。俺以上にいい相手はいないって、今度こそ分かってもらうから」
「……何十年待つつもりだよ」
「何十年でも」
本気すぎて怖いくらいだった。だが少し羨ましい。恋は叶わないとか、ただの部下より少し親しくなれればいいとか、そんな狡いことを思っていた自分が恥ずかしい。少なくても海堂は既婚者ではない。だったら手に入れるために努力しても問題なかったのではないか。
「海堂さんみたいな人に想われて、気持ちが揺らぐことはなかったのか?」
つい聞いてしまえば、藤原が瞬いて、そのまま怪訝な顔になった。
「海堂さんに想われる? そんなことある訳ないでしょう?」
馬鹿を言わないでくれというように否定された。
「海堂さんは身体が弱くて人付き合いが苦手な俺を放っておけないだけだよ。もっと言えば、同じ部署にいた頃、人付き合いが苦手な俺とシス管から支店勤務になって苦労する彼と、波長が合ったっていうだけ。自分だけ先に困難を乗り越えてしまったから、悪いと思う部分もあるのかもしれない」
「でも藤原を一番に護ろうとしているみたいなところがあるし」
「だからそれは俺が頼りないから。主任として独り立ちできるまで面倒を見なきゃっていう責任感があるんだよ。それが課長の実力の物差しにもなったりするから。あの人プライベートはシビアだから、俺みたいな私生活グダグダな人間は恋愛対象じゃない」
そうだろうか。それまでの価値観を超えて好きになることもあるのではないだろうか。そんな疑いを捨てきれない神崎の気持ちを読んだように、彼が一つ息を吐く。
「神崎には軽蔑されたくないから言いたくなかったんだけど」
塀に背中まで預けて、彼が夜空ではなく足元のコンクリートに目を遣る。
「一度思い余って彼の新居の周りをうろついたことがあって」
「え……」
どこかのドラマのような話を聞かされて神崎の方が焦ってしまう。
「計画的にとかそういうことじゃなくて、ある日ふと思いついてね。住所を知ったのも、別に会社のデータに侵入したとか、そういうことじゃない」
そこまで考えていなかったが、この場で否定されて、あとから心配する羽目にならなくてよかったと思う。聞けば本社にも結婚式に招待された人間がいて、彼が持っていた招待状の封筒から元恋人の住所を知ることになったという。
「俺を招待しないで盛大な結婚式まで挙げて、いつから新居に住んでいたんだよって思ったら悔しくなって、どれほどの家か見てやろうってね。偶然出会すことがあれば挨拶くらいしてやろうと思って、最寄り駅から歩いていたんだ」
果たしてそれは続きを聞いてもいい話だろうかと案じる神崎に、藤原が苦笑して続ける。
「悪いことはできないものっていうか、海堂さんが以前住んでいたマンションが、彼の家の近所でね。元恋人の彼じゃなくて、海堂さんと出会 してしまって」
「偶然?」
「そう。全くの偶然」
軽く挨拶をして去ろうと思ったのに、引き止められたという。
「当時は部署も違ったのに、彼は久しぶりに会う俺の不穏な心を読んでしまった。海堂さんに恋愛の話をしたことはなかったけど、俺の想い人と知り合いだったらしいから、名前は出さなくても相談くらいはされていたかもしれないね。そうなると、あの人は点と点を繋いで答えを見つけるのが得意だから」
まさか彼の新居に行くつもりじゃないよね? と鎌を掛けられて、全てがバレてしまったという。その後腕を引っ張って自宅まで送られたらしい。
「未練を引き摺って新居を見に行くのは格好はよくないけど、別にそう咎められることでもないだろ?」
それは海堂の嫉妬故なのではないかと思った。だがそうではない。
「それが、俺の鞄にはちょっと大きめのカッターナイフが入っていて」
「……は?」
なんだその新事実はと思う。
「いや、別に恐ろしいことをしようと思った訳じゃないよ。ただ俺だけ傷つくのは不公平だから、相手もちょっとくらい怖い思いをするのが筋だろうと思って」
それが恐ろしいというのだ。つまり藤原は新居を見るだけでなく相手に刃物を向けるつもりだった。神崎が見てきた藤原はいつもクールという印象だったから、彼の激しさに驚いてしまう。
「で、海堂さんにカッターを没収されて、家で長々とお説教をされたって訳。社員が殺傷事件を起こしたら、下手をすれば会社の存続も危うくなるってね。あの人貴山金属が大好きだから。俺の心配じゃないのかって思ったけど、逆にそれで、じゃあ馬鹿なことはやめようって思えたんだ。俺もなんだかんだで今の会社が好きだし」
さっぱりした言い方だった。奥さん? 誰それ? 俺は気にしないし、邪魔をしたりしない。そんな気持ちが伝わってくる。
「二人の生活を邪魔するつもりはないし、彼が結婚しているうちは近づくつもりもない。同じ会社にいる以上、時々噂は耳にしてしまうだろうけど、それももう平気」
「結婚しているうちはって?」
引っ掛かった部分を聞き返せば、彼が神崎に顔を向けて笑う。笑っているが、その目が本気だと言っている。瞳の奥に消えない炎が燃え続けている。彼にそんな一面があるなんて知らなかった。
「もし上手くいかなくなって別れたり、奥様が亡くなったりしたら、そのときは遠慮なくアプローチに行くよ。俺以上にいい相手はいないって、今度こそ分かってもらうから」
「……何十年待つつもりだよ」
「何十年でも」
本気すぎて怖いくらいだった。だが少し羨ましい。恋は叶わないとか、ただの部下より少し親しくなれればいいとか、そんな狡いことを思っていた自分が恥ずかしい。少なくても海堂は既婚者ではない。だったら手に入れるために努力しても問題なかったのではないか。
「海堂さんみたいな人に想われて、気持ちが揺らぐことはなかったのか?」
つい聞いてしまえば、藤原が瞬いて、そのまま怪訝な顔になった。
「海堂さんに想われる? そんなことある訳ないでしょう?」
馬鹿を言わないでくれというように否定された。
「海堂さんは身体が弱くて人付き合いが苦手な俺を放っておけないだけだよ。もっと言えば、同じ部署にいた頃、人付き合いが苦手な俺とシス管から支店勤務になって苦労する彼と、波長が合ったっていうだけ。自分だけ先に困難を乗り越えてしまったから、悪いと思う部分もあるのかもしれない」
「でも藤原を一番に護ろうとしているみたいなところがあるし」
「だからそれは俺が頼りないから。主任として独り立ちできるまで面倒を見なきゃっていう責任感があるんだよ。それが課長の実力の物差しにもなったりするから。あの人プライベートはシビアだから、俺みたいな私生活グダグダな人間は恋愛対象じゃない」
そうだろうか。それまでの価値観を超えて好きになることもあるのではないだろうか。そんな疑いを捨てきれない神崎の気持ちを読んだように、彼が一つ息を吐く。
「神崎には軽蔑されたくないから言いたくなかったんだけど」
塀に背中まで預けて、彼が夜空ではなく足元のコンクリートに目を遣る。
「一度思い余って彼の新居の周りをうろついたことがあって」
「え……」
どこかのドラマのような話を聞かされて神崎の方が焦ってしまう。
「計画的にとかそういうことじゃなくて、ある日ふと思いついてね。住所を知ったのも、別に会社のデータに侵入したとか、そういうことじゃない」
そこまで考えていなかったが、この場で否定されて、あとから心配する羽目にならなくてよかったと思う。聞けば本社にも結婚式に招待された人間がいて、彼が持っていた招待状の封筒から元恋人の住所を知ることになったという。
「俺を招待しないで盛大な結婚式まで挙げて、いつから新居に住んでいたんだよって思ったら悔しくなって、どれほどの家か見てやろうってね。偶然出会すことがあれば挨拶くらいしてやろうと思って、最寄り駅から歩いていたんだ」
果たしてそれは続きを聞いてもいい話だろうかと案じる神崎に、藤原が苦笑して続ける。
「悪いことはできないものっていうか、海堂さんが以前住んでいたマンションが、彼の家の近所でね。元恋人の彼じゃなくて、海堂さんと
「偶然?」
「そう。全くの偶然」
軽く挨拶をして去ろうと思ったのに、引き止められたという。
「当時は部署も違ったのに、彼は久しぶりに会う俺の不穏な心を読んでしまった。海堂さんに恋愛の話をしたことはなかったけど、俺の想い人と知り合いだったらしいから、名前は出さなくても相談くらいはされていたかもしれないね。そうなると、あの人は点と点を繋いで答えを見つけるのが得意だから」
まさか彼の新居に行くつもりじゃないよね? と鎌を掛けられて、全てがバレてしまったという。その後腕を引っ張って自宅まで送られたらしい。
「未練を引き摺って新居を見に行くのは格好はよくないけど、別にそう咎められることでもないだろ?」
それは海堂の嫉妬故なのではないかと思った。だがそうではない。
「それが、俺の鞄にはちょっと大きめのカッターナイフが入っていて」
「……は?」
なんだその新事実はと思う。
「いや、別に恐ろしいことをしようと思った訳じゃないよ。ただ俺だけ傷つくのは不公平だから、相手もちょっとくらい怖い思いをするのが筋だろうと思って」
それが恐ろしいというのだ。つまり藤原は新居を見るだけでなく相手に刃物を向けるつもりだった。神崎が見てきた藤原はいつもクールという印象だったから、彼の激しさに驚いてしまう。
「で、海堂さんにカッターを没収されて、家で長々とお説教をされたって訳。社員が殺傷事件を起こしたら、下手をすれば会社の存続も危うくなるってね。あの人貴山金属が大好きだから。俺の心配じゃないのかって思ったけど、逆にそれで、じゃあ馬鹿なことはやめようって思えたんだ。俺もなんだかんだで今の会社が好きだし」