本気の恋は占術不能

「ううん、大丈夫。他のメンバーもみんな頑張ってくれているから」
 無理をしている感じはなかった。疲れを見せないのは流石だなと思う。すらりとした身体だが、きっと神崎よりずっと体力があるのだろう。だからここは素直に彼の言葉を信じることにする。
「じゃあ、俺は」
「ねぇ、神崎さん」
 だが機械室を出ようとしたところで呼び止められる。
「僕は下見に行ったつもりはないから」
 前置きなく言われて言葉が出なかった。だがあの日のことを言っているのはすぐに分かる。
「あそこで藤原さんの名前を出したのは僕の失態だった。ごめん」
 意外というのか、彼は神崎の態度の理由をちゃんと分かっていた。
「少し前に藤原さんをきつく叱ってしまったから、そのフォローをしなければって、つい考えてしまったんだ。神崎さんには失礼なことをした。でも、あの日は本当に神崎さんと出掛けたいから出掛けただけで、本気で楽しかったんだ」
 彼の目が鋭くなる。仕事用の仮面が外れるほど訴えてくれていると思えば心動かされる。
「今日家に帰ったら電話していいかな? 話したいことがあって」
「話したいこと?」
「うん。研修会が終わるまではって我慢していたから、どうしても今日話したくて」
「……分かりました」
 なんでもないフリでホールに戻りながら、性懲りもなく速まる鼓動を感じていた。自分を好きになってくれたのではないかと期待して裏切られた。それがもう一度ひっくり返るとしたら。神崎の自惚れが現実になるとしたら。一緒にいて楽しかったと言ってくれるのなら、怖くても、もう一度信じてみたい。
「参加予定の支店長は全員入りました」
「よかった。じゃあ、あとは講演の始まりを待つだけだ」
 端川の報告で漸く息が吐けた。講演に入ってしまえば、あとは司会者に任せておけばいい。ホールの隅に立って手洗いに立つ人間の案内をする程度だ。その後は軽いディスカッションと挨拶を見守って、参加者に無事に帰ってもらうだけだ。役付きでない神崎はただ誘導するだけで、彼らと言葉を交わす必要もない。帰りのタクシーの手配も済んでいる。天気も悪くないからスムーズに帰ってくれるだろう。
「一度六階に戻って様子を見てくる。そのあと交代するから、十分くらい休憩して」
「ありがとうございます」
「他のメンバーも交代で休もう」
「あ、神崎さん」
 若い男性社員が廊下の奥から駆けてくる。
「珍しく支店長たちの遅刻がゼロだったんです。だから講演が始まったら、受付を撤収しちゃうのはどうかって」
 珍しくという言葉に苦笑する。だが研修会のたびにバタバタさせられる総務部員に、それくらいは許されていい発言だ。
「いい考え。待って。六階を見てきたあと手伝うから」
「いや、いいっすよ。神崎さん遠くまで買いものに行ってたでしょう? 俺らでやりますから」
 ありがたい言葉だ。このところの鬱々とした気持ちが晴れるようだ。
「大変ですね。高額のタクシー代が自腹なんて」
「うわ、やめてよ。経費で落ちなかったら部長に請求するつもりだから」
「三崎さんの事務所に請求すればよくないですか?」
 そんな冗談で笑い合って、エレベータホールに向かう。六階の執務室に顔を出せば、派遣スタッフを含めた通常業務メンバーが問題なく仕事をしてくれていた。畑中も大丈夫そうで、逆に「さっきはすみませんでした」と頭を下げられる。彼女に「大丈夫だよ」と応えてデスクに向かえば、散らかしたままだったバランスバーが綺麗にストックバッグに片付けられていた。神崎が水を買いに行っている間に端川が片付けてくれたのだろう。その気遣いにまた少し心が回復する。
 大丈夫。バタバタもあったが合同研修会は無事に終わる。あとのことはそれから考えればいい。
 海堂の言葉もあって、肩の力が一度に抜けた気分だった。
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