本気の恋は占術不能

 言葉と一緒に、スマホと財布だけを持ってデスクを離れる。
「神崎さん、お昼ご飯」
「それ、開けてないやつ食べていいから。じゃあ、よろしく」
 端川なら上手く言ってくれるだろう。そう信じて、会社のすぐ傍にいたタクシーに乗って、運転手にスマホの店に向かってもらう。
 すぐ買って戻ればいいと思ったが、一件目は見つからず、結局系列店に在庫の確認をしてもらって二件目で手に入れることができた。最早三崎百合香の嫌がらせか、社員の忍耐力を試すためにわざとやっているのかと思えてくるが、とにかくご所望の水は手に入れた。もうどう転んでも文句は言わせないように五本買って、店の前で待っていてもらったタクシーに乗って来た道を戻る。美リヴァウォーター。名前は覚えた。自分は一生買わない。心でせめてもの八つ当たりをしながら、流れる景色をやきもきと眺める。
「ただいま。どう、会場の方は? 三崎先生は到着した?」
 社に戻れば端川が待っていてくれた。
「お疲れさまです。会場の方は問題なく受付を始めています。理事に会いたいと言い出す人も今のところいないみたいで助かりました。システムの調整の合間に海堂さんが来て、スムーズに動けるように指示も出していってくれて」
「そっか。よかった」
 一人でシステムの管理をしているというのに流石海堂だ。
「三崎先生は到着したけど、まだ控室には入っていないみたいだから、私が水を置いてきます」
「ありがとう。助かる」
 うっかり控室で鉢合わせして、女性の控室に男性を入れるとはどういうことだと叱られては堪らない。
「控室に入っていないって、今どこにいるの?」
 とりあえずの危機を脱したことに安堵して聞けば、そこまで穏やかだった端川が嫌なものを見るような顔になった。彼女は素直に感情を顔に出すからやりやすい。やりやすいが今度はなんだと、嫌な予感に襲われる。
「本社を見て回っています。流石に執務室は見せられないけど、一階のショップと、二階のホール以外の会議室や休憩室なんかが見たいらしくて」
「そっか。マナー講師だからそういう設備が気になるのかな」
 思っていたほどおかしな事態ではなかったが、では端川のこの不機嫌はなんだろう。疑問の答えはすぐに明かされる。
「案内役に藤原さんをご所望されて、彼と腕を組んで歩いていきましたよ。秘書はついてこなくていいと言われて、控室の前で立って待っているみたいです」
「うーん。厄介な女性だな」
 頭の痛くなる話だった。
「藤原さんも満更でもない顔をして彼女と一緒に去っていきました。お茶配りも誘導も放ったままでね」
 端川の感情としてはそうなるだろう。藤原は見た目がいいから目につく。だがマナー講師が個人的な趣味で社員を連れ回さないでほしい。藤原は立場的に断れなかっただけだが、どんな事情であれ予定の仕事を全て部下に任せてしまえば、また彼の印象が悪くなる。
「お客様を悪く言ってはいけないというのは承知の上で言うけど、俺、三崎百合香が嫌いだ」
「私は藤原さんが嫌いです」
 マナー講師様に気を逸らそうとしたのに、彼女は誤魔化されなかった。藤原に対する負の感情を積み上げていく。
「とにかく人数が減ったならその分頑張らないと」
 本当は動き回るからシャツになりたかった。だが来客と会うからジャケットを脱ぐことができない。
「お茶でも買ってきますから、神崎さんは少し休んだらどうですか?」
 端川の気遣いは気持ちだけ貰って、本来の持ち場だったホールへと入っていった。総務部のメンバーに遅れてごめんと詫びれば、「お遣いお疲れさまでした」と労われた。神崎がいない間にお茶配りも誘導も進んでいたようで、彼らの頑張りに礼を言って回る。
 ふと、裏の機械室に海堂がいるのに気づいた。馬鹿げたお遣いのお陰で胸にあった個人的な感情も消えて、引き寄せられるように彼のもとに向かう。
「海堂さん」
「あ、神崎さんお疲れ。マナー講師さん、大変だったみたいだね」
 今日もまた、彼は神崎の苦労を知っていてくれた。それに少し救われる。
「シス管のメンバーが一人こっちに向かっているって連絡が入ったから、彼が来たら僕も来客対応に回れるから。忙しくさせてごめんね」
 ノートパソコンを設備に繋いでメンテナンスをしながら言われて首を振る。海堂こそ大変だった筈だ。シス管を離れて三年以上経っているのに、一人で時間制限ありのメンテナンスをする羽目になった。手伝いたいが、神崎には手も足も出そうにない。
「ずっと立ち通しじゃないですか? お茶でも買ってきましょうか?」
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