本気の恋は占術不能
七時半に出れば間に合うから、出勤の準備をして、七時から三十分間レポートパッドに向かうのが習慣になっていた。お気に入りのシャープペンシルで計算式を解いていく。数学ではなく占いの計算式だ。神崎の叔母が神崎流計算術 という占いの創始者で、当たると評判の占い師だったのだ。神崎理々花 と名乗って占いの館で活躍。出版した書籍は累計一千万部超え。そんな彼女は五年前にあっさり引退して、今は神崎の妹の良子 が神崎理々花を継いでいる。
幼いころから叔母の占いを近くで見てきた神崎は、この独特の占いが好きだった。占いは統計学。そう言い切る彼女が計算式を解いていく様子にドキドキした。生まれた日付と時間。恋占いなら彼と出会った日付と時間。直前にデートをした日付。占いにやってきた時間。それらを複雑な式に当て嵌めて出てきた答えが未来を占う。ただし依頼者の記憶があやふやだったり、答えが二つあるような場合は、占い師が計算に使う数字を選ぶことになる。そして出てきた数字が何を意味するかの結果表はあるものの、その単語がどんな未来を示唆しているかは占い師が解釈することになる。だから神崎流計算術の基礎があっても、占う側の人間によって結果が違う。それが当たるか当たらないかの差に繋がるのだ。
神崎が占うのはほぼ自分のことだから、別に外れようと構わなかった。構わないのによく当たる。告白もしないうちの失恋も主任になれなかったことも、みな占いで先に知っていた。仕事のポジションでショックな展開が待っている。その結果通り、自分が主任になれないだけでなく同期の藤原が主任になった。
神崎の今の立場は主任の資格を持つリーダー。リーダーは正式な役職名ではないからオコが言うように平社員だ。そして主任になれなかったことに落ち込む暇もなく、久しぶりに恋をした相手が藤原に惚れていると知る羽目になった。占いで事前に察していなければメンタルがだいぶマズイことになっていただろう。そう考えれば、神崎にとって占いは精神安定剤のようなものだ。占いのお陰で、職場で『怒るのを見たことがない神崎さん』のキャラを保っていられる。
「さて、今日はどんな日になりますか」
今日の日付と自身の基本データで計算を進めて、最終的に二桁の数字に辿り着く。複雑な計算がいくつか続くが、電卓より手計算の方が勘が研ぎ澄まされる気がして、神崎はいつも紙に書いて解いていく。
「……嫌な数字」
神崎理々花の本を開くまでもない。その日出てきたのは自滅を意味する数字だった。
「自滅って、これ以上どう自滅しろというんだ」
『自滅、自滅』
うっかり呟いてしまえば、朝から元気なオコがその言葉を拾って声を上げる。
『自滅、失恋、平社員』
「そこまで言わなくてもいいだろ?」
相変わらず容赦なさすぎて笑ってしまう。職場の人間はみなオコより優しい。そう思えば今日もしっかり仕事をしてこようという気持ちになる。
「また夜にな」
『平社員、また……』
アプリが終了するまで悪態をつくオコに笑って、占いの道具を片付けて部屋を出た。
今日一日自滅するような事態に気をつければいい。駅に向かううちに、最悪の結果もそう解釈できるようになる。藤原の昇進も失恋もそうして乗り越えられた。占いのお陰で、人前で取り乱すことも落ち込みすぎて寝込むこともなく日々を過ごせている。そこは叔母に感謝だ。
出勤すればその日は部署内で欠席もなく、藤原の体調もよさそうだった。これなら大丈夫。海堂は今日も素敵。そう、一つだけ余計なことを思うのは恋する人間の哀しい性だろう。失恋は決定的でも、恋心はそう簡単に消せるものではない。だから心で密かに想うくらいは許してほしい。
トラブルもイレギュラーもなく午前の仕事を片付けて、そろそろ昼休憩に出ようかと思ったところで後ろから派遣社員の土田 に声を掛けられた。
「神崎さん、すみません。入力システムが動かなくなって」
幼いころから叔母の占いを近くで見てきた神崎は、この独特の占いが好きだった。占いは統計学。そう言い切る彼女が計算式を解いていく様子にドキドキした。生まれた日付と時間。恋占いなら彼と出会った日付と時間。直前にデートをした日付。占いにやってきた時間。それらを複雑な式に当て嵌めて出てきた答えが未来を占う。ただし依頼者の記憶があやふやだったり、答えが二つあるような場合は、占い師が計算に使う数字を選ぶことになる。そして出てきた数字が何を意味するかの結果表はあるものの、その単語がどんな未来を示唆しているかは占い師が解釈することになる。だから神崎流計算術の基礎があっても、占う側の人間によって結果が違う。それが当たるか当たらないかの差に繋がるのだ。
神崎が占うのはほぼ自分のことだから、別に外れようと構わなかった。構わないのによく当たる。告白もしないうちの失恋も主任になれなかったことも、みな占いで先に知っていた。仕事のポジションでショックな展開が待っている。その結果通り、自分が主任になれないだけでなく同期の藤原が主任になった。
神崎の今の立場は主任の資格を持つリーダー。リーダーは正式な役職名ではないからオコが言うように平社員だ。そして主任になれなかったことに落ち込む暇もなく、久しぶりに恋をした相手が藤原に惚れていると知る羽目になった。占いで事前に察していなければメンタルがだいぶマズイことになっていただろう。そう考えれば、神崎にとって占いは精神安定剤のようなものだ。占いのお陰で、職場で『怒るのを見たことがない神崎さん』のキャラを保っていられる。
「さて、今日はどんな日になりますか」
今日の日付と自身の基本データで計算を進めて、最終的に二桁の数字に辿り着く。複雑な計算がいくつか続くが、電卓より手計算の方が勘が研ぎ澄まされる気がして、神崎はいつも紙に書いて解いていく。
「……嫌な数字」
神崎理々花の本を開くまでもない。その日出てきたのは自滅を意味する数字だった。
「自滅って、これ以上どう自滅しろというんだ」
『自滅、自滅』
うっかり呟いてしまえば、朝から元気なオコがその言葉を拾って声を上げる。
『自滅、失恋、平社員』
「そこまで言わなくてもいいだろ?」
相変わらず容赦なさすぎて笑ってしまう。職場の人間はみなオコより優しい。そう思えば今日もしっかり仕事をしてこようという気持ちになる。
「また夜にな」
『平社員、また……』
アプリが終了するまで悪態をつくオコに笑って、占いの道具を片付けて部屋を出た。
今日一日自滅するような事態に気をつければいい。駅に向かううちに、最悪の結果もそう解釈できるようになる。藤原の昇進も失恋もそうして乗り越えられた。占いのお陰で、人前で取り乱すことも落ち込みすぎて寝込むこともなく日々を過ごせている。そこは叔母に感謝だ。
出勤すればその日は部署内で欠席もなく、藤原の体調もよさそうだった。これなら大丈夫。海堂は今日も素敵。そう、一つだけ余計なことを思うのは恋する人間の哀しい性だろう。失恋は決定的でも、恋心はそう簡単に消せるものではない。だから心で密かに想うくらいは許してほしい。
トラブルもイレギュラーもなく午前の仕事を片付けて、そろそろ昼休憩に出ようかと思ったところで後ろから派遣社員の
「神崎さん、すみません。入力システムが動かなくなって」