本気の恋は占術不能

 最後のはいらないだろうと苦笑しながら、自分も早めにベッドに入ることにする。翌朝はいつもより三十分早く家を出た。今日は朝の占いもお休みだ。
 まだシンとしている職場ビルに到着して、誰もいないエレベーターで六階に向かった。セキュリティーカードで総務部の入り口を開けて入れば、やはりそこに藤原の姿がある。
「おはよう、藤原……」
 だが彼のデスクに近づく前に、足も言葉も止まってしまった。
「あ、おはよう、神崎さん。早いね」
「……おはようございます、海堂さん」
 入口からは死角になって見えなかったが、そこに何故か彼がいた。藤原の隣の椅子に座って、二人並んでパソコンを眺めている。
「おはよ。珍しいね、こんなに早く。何か急ぎの作業でもあった?」
「そうじゃないんだけど」
 聞いてきた藤原の力になろうと思ってやってきた。だが完全な自己満足で、もしかしたら二人の特別な時間を邪魔してしまったのかもしれない。二人が肩を寄せ合う姿があまりにもサマになっていて、本音は一刻も早く立ち去りたい。だがここで回れ右をすれば、空気がおかしくなることも知っている。
「……昨日、何故か突然お菓子が作りたくなって。大量に作ったからお裾分け。藤原がこういうの好きだと思って」
「嘘、嬉しい。神崎の作るものはおいしいから」
 相変わらず素直で気持ちのいい反応だった。主任という立場上無防備に感情を晒したりしないが、本来の彼は分かりやすい性格だ。そして昨夜の自分の思考に一つ間違いがあったことに気がつく。藤原が素直に感情を出すのは神崎の前だけではない。海堂の前でも素直な自分を隠していないではないか。これはもう、両想いが近いというやつだ。それを望んでいるのだと自分に言い聞かせてきたが、本音の本音はやはり苦しい。
「おいしそう。早速食べていい? 実は朝何も食べていなくて」
 その言葉に海堂の眉が上がる。
「快晴、さっき、今日はしっかり栄養のあるものを食べてきましたと言わなかった?」
「本当のことを言えば怒るじゃないですか」
 親密なやりとりがダメージを増大させる。
「心配しているんだよ。もう病院に連れていってやらないからな」
「病院くらい一人で行けます。というか、もう病院に行くような発作は起きないし」
 うん。なんて楽しげで、なんて辛い光景だ。もういっそ笑ってしまいたかった。ここは執務室だ。せめて神崎の前では『藤原』と呼んでくれないだろうかと、心は泣いている。
「おいしい。流石神崎」
「いいな。僕も一つ貰っていい?」
「……どうぞ」
 恋する男に初めて手作りを食べてもらえる。それに喜ぶ元気もなかった。彼がどんな反応をするかに怯える必要はない。味はいいのだ。そこで人生の無駄知識を一つ増やす。料理が恋愛の武器になるのは、それ以外の条件が全て同じときだけだ。料理の腕は藤原よりずっと上だが、そんなものは焼け石に水だ。いや、焼け石に水は違う。では適切な言葉はなんだろう。オコなら答えを知っているだろうか。いつもの現実逃避に走ってしまう。
「おいしい。料理ができるなんて凄いね。ありがとう、神崎さん」
「いえ。それ全部あげますから、お二人でどうぞ」
 せっかく海堂がお礼を言ってくれたのに、素っ気ない返しになってしまった。二人から離れて、顔を上げないままデスクで仕事の準備に忙しいフリをする。
「飲みものが欲しくなったから買ってくる。二人とも紅茶でいい?」
 神崎の苦しい恋を知らない藤原が、ここ最近珍しいほど元気に言って執務室を出ていってしまう。彼は悪くない。だって海堂への気持ちを白状したことは一度もないから。
「ごめんね、神崎さん」
 不穏な空気に気づいたのか、立ち上がった海堂が神崎のデスクの傍に立った。
「もしかして藤原さんと内緒話するつもりだったかな? だとしたら邪魔しちゃったね」
「いえ」
 今度は快晴と言われなくて、少し冷静さが戻ってくる。
「こちらこそ、大事な話を邪魔してしまったんじゃないですか?」
「ううん、平気。ちょっとお説教をしていたところだから、切り上げるタイミングができてよかった。藤原さんも神崎さんのお陰でお説教が終わって、あんなに分かりやすく喜んでいるでしょう?」
「……説教?」
 意外な台詞に彼の顔を見上げて聞いた。ここで藤原の心配をしてしまう自分は破壊的な恋愛弱者だ。だが恋愛云々より先に藤原は友人なのだ。辛い思いはしてほしくない。
「それはご飯を食べないとか、身体を大事にしないとか、そんな話ですか?」
「ううん。あまりにも情けないことを言うから、いい加減にしろって怒っていたんだ」
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