本気の恋は占術不能
藤原と初めて話したのは新人研修の週だった。まだ正式に配属先も決まっていなくて、新入社員全員が二階のホールに集まって一週間座学研修をする。その初日に、たまたま藤原が神崎の斜め前の席にいたのだ。その彼が午後からケホケホと咳をし出すのに気づいた。軽い感じの空咳。多分風邪じゃない。喘息かなと、妹の喘息を見てきた神崎は冷静に観察してしまう。
マスクはしているが、研修中は音が響くからできるだけ我慢しているのだろう。だが喉の反射のようなものだから完全に我慢できるものではない。そのうち近くの席の人間が、わざと彼に嫌な顔を向けるようになって、ああ、これはなんとかしなければと思ってしまった。そうなれば抑えられなくなって、次の休憩時間に光の速度で本社を出て、傍のコンビニにのど飴と水を買いに行ったのだ。
「これ、どうぞ。よかったら一番後ろの隅の席に二人で座らない?」
今思えばナンパのような言い方をした。相手が驚きに目を見開くから、余計なことをしたかなと後悔する。だが心配は杞憂だった。
「ありがとう。ちょうど飴が欲しいと思っていたんだ。この短時間で外のコンビニまで行ってきたの?」
頷けば彼がぱっと花が咲くように笑う。おっと、これは綺麗な男だなと、おかしな意味ではなく驚いてしまった。
「周りの視線が痛くて、今日は帰らなきゃいけないかなって思い始めていたんだけど、親切にしてもらったからもう少し頑張れそう。お言葉に甘えて、近くの席に座ってもいい?」
どうやら見た目だけでなく性格もいい男のようだと思った。素直に言われれば神崎も嬉しい。そんな訳で彼と一緒に後ろの席に移動したのだ。
「移らないから隣の席でもいい?」
「もちろん。それ喘息だろ? 大変だな」
「ねぇ、君って超能力者?」
そんな風に言い合う頃には、彼が入社後の友人一号になっていた。まともに生きてきた人間には当たり前すぎてつまらないコンプラ研修の間、筆談でどうでもいいやりとりをして楽しんだのだ。
「今度飴のお礼をしたいから、連絡先を聞いてもいい?」
一週間の研修が終わったところで言われて、断る理由がないので連絡先を交換した。仮配属先は神崎は本社で藤原は支店の美容部門。気軽に待ち合わせできるような距離ではないが、別にべったりくっついていたい訳でもない。
「お互い仕事に慣れた頃、近況報告でもしよう」
そう程よい距離間で別れたのだ。
それから半年に一度くらい二人で飲みに行ったし、仕事で失敗したときには電話やメールで慰め合った。育ちのいい藤原が綺麗な毛筆の年賀状をくれたりして、容姿だけでなく質のいいオプションをいくつも持った男なのだと感心した。本人はその凄さを自覚していないところがまた凄い。
「俺、職場で友達なんて一人もできないと思っていたから、神崎に出会えてよかった」
そんなことをさらりと言う彼に、神崎の方こそ会えてよかったと思った。いいことも悪いことも、本音を呑み込んでしまう癖のある神崎だから、彼の素直さが羨ましい。こんなに素直で綺麗な男なのに、何故友達ができないなんて言うのだろうと、当時は不思議に思っていたのだ。
そうして二年前同じ総務部に配属になったときには、二人喜んで、普段行かないような料亭なんかを予約して祝杯をあげた。二人で総務部を盛り上げよう。酔ってそんなことを言い合って笑ったものだ。
実際に一緒に働いてみて、やはり彼の仕事ぶりは一流だと知った。だが傍で働いていればウィークポイントも見えてくる。彼は人に仕事を頼むのが苦手。後輩を褒めたり自分がピエロになって場の空気をよくすることはもっと苦手。そして以前より発作の回数が増えたという喘息。厚かましくならない程度にフォローするが、彼が他の社員たちと距離を置くようなところは変わらない。
「神崎が俺のことを分かってくれればいいんだ」
社員同士のちょっとした心のすれ違いが起こったとき、そう言って気にする様子のない彼が気掛かりだった。だが本人が気にしていないというものをわざわざ大袈裟にするのもどうかと思う。そうこうするうちに主任試験の話がやってきて、それどころではなくなってしまったのだ。
筆記と面談とそれまでの勤務態度。神崎も藤原も余程のことがなければ落ちないと分かっている試験だった。
「試験なんて何年振りだろう。験を担いで今夜はカツ丼でも作ろうかな」
帰りに冗談でも本気でもどちらでもいい感じで言えば、藤原がおもしろそうにに眉を上げる。
「試験の前日に揚げ物をするなんて余裕だね。俺の夕飯はサプリと栄養ドリンクだ」
「藤原は今日だけじゃなく日頃から偏食だろ?」
マスクはしているが、研修中は音が響くからできるだけ我慢しているのだろう。だが喉の反射のようなものだから完全に我慢できるものではない。そのうち近くの席の人間が、わざと彼に嫌な顔を向けるようになって、ああ、これはなんとかしなければと思ってしまった。そうなれば抑えられなくなって、次の休憩時間に光の速度で本社を出て、傍のコンビニにのど飴と水を買いに行ったのだ。
「これ、どうぞ。よかったら一番後ろの隅の席に二人で座らない?」
今思えばナンパのような言い方をした。相手が驚きに目を見開くから、余計なことをしたかなと後悔する。だが心配は杞憂だった。
「ありがとう。ちょうど飴が欲しいと思っていたんだ。この短時間で外のコンビニまで行ってきたの?」
頷けば彼がぱっと花が咲くように笑う。おっと、これは綺麗な男だなと、おかしな意味ではなく驚いてしまった。
「周りの視線が痛くて、今日は帰らなきゃいけないかなって思い始めていたんだけど、親切にしてもらったからもう少し頑張れそう。お言葉に甘えて、近くの席に座ってもいい?」
どうやら見た目だけでなく性格もいい男のようだと思った。素直に言われれば神崎も嬉しい。そんな訳で彼と一緒に後ろの席に移動したのだ。
「移らないから隣の席でもいい?」
「もちろん。それ喘息だろ? 大変だな」
「ねぇ、君って超能力者?」
そんな風に言い合う頃には、彼が入社後の友人一号になっていた。まともに生きてきた人間には当たり前すぎてつまらないコンプラ研修の間、筆談でどうでもいいやりとりをして楽しんだのだ。
「今度飴のお礼をしたいから、連絡先を聞いてもいい?」
一週間の研修が終わったところで言われて、断る理由がないので連絡先を交換した。仮配属先は神崎は本社で藤原は支店の美容部門。気軽に待ち合わせできるような距離ではないが、別にべったりくっついていたい訳でもない。
「お互い仕事に慣れた頃、近況報告でもしよう」
そう程よい距離間で別れたのだ。
それから半年に一度くらい二人で飲みに行ったし、仕事で失敗したときには電話やメールで慰め合った。育ちのいい藤原が綺麗な毛筆の年賀状をくれたりして、容姿だけでなく質のいいオプションをいくつも持った男なのだと感心した。本人はその凄さを自覚していないところがまた凄い。
「俺、職場で友達なんて一人もできないと思っていたから、神崎に出会えてよかった」
そんなことをさらりと言う彼に、神崎の方こそ会えてよかったと思った。いいことも悪いことも、本音を呑み込んでしまう癖のある神崎だから、彼の素直さが羨ましい。こんなに素直で綺麗な男なのに、何故友達ができないなんて言うのだろうと、当時は不思議に思っていたのだ。
そうして二年前同じ総務部に配属になったときには、二人喜んで、普段行かないような料亭なんかを予約して祝杯をあげた。二人で総務部を盛り上げよう。酔ってそんなことを言い合って笑ったものだ。
実際に一緒に働いてみて、やはり彼の仕事ぶりは一流だと知った。だが傍で働いていればウィークポイントも見えてくる。彼は人に仕事を頼むのが苦手。後輩を褒めたり自分がピエロになって場の空気をよくすることはもっと苦手。そして以前より発作の回数が増えたという喘息。厚かましくならない程度にフォローするが、彼が他の社員たちと距離を置くようなところは変わらない。
「神崎が俺のことを分かってくれればいいんだ」
社員同士のちょっとした心のすれ違いが起こったとき、そう言って気にする様子のない彼が気掛かりだった。だが本人が気にしていないというものをわざわざ大袈裟にするのもどうかと思う。そうこうするうちに主任試験の話がやってきて、それどころではなくなってしまったのだ。
筆記と面談とそれまでの勤務態度。神崎も藤原も余程のことがなければ落ちないと分かっている試験だった。
「試験なんて何年振りだろう。験を担いで今夜はカツ丼でも作ろうかな」
帰りに冗談でも本気でもどちらでもいい感じで言えば、藤原がおもしろそうにに眉を上げる。
「試験の前日に揚げ物をするなんて余裕だね。俺の夕飯はサプリと栄養ドリンクだ」
「藤原は今日だけじゃなく日頃から偏食だろ?」