本気の恋は占術不能
海堂が応じれば、彼女が彼のデスクに駆けていく。
「ビルの裏のカフェの横のベンチで、藤原さんが動けなくなっています。私が声を掛けても、大丈夫と言って逃げられてしまいそうな気がして」
瞬間、カタンッと彼が立ち上がった。素早い動きに胸を抉られる。直前の神崎とのやりとりなどすぐに頭から消えたのだろう。体調不良の部下を心配するのは当然だ。それでも藤原で思考を一杯にする彼を見ていたくなくて視線を逸らす。
「……俺が六時までいますから、行ってあげてください。そのまま帰ってくれていいので」
せめていい人のフリをしてそう言った。せっかく片付けた鞄から、もう一度仕事に必要なものを取り出していく。
「ありがとう。端川さんも。何か困ったことがあったら何時でもいいから電話して」
「承知しました」
手早く身の回りのものを片付けて、執務室を出ていく彼に声だけで応じた。架電終了リストを見るために、一度落としたパソコンをもう一度立ち上げる。
「すみません。神崎さんに残業をさせたかった訳じゃないんですけど」
「何言っているの。元々六時までいるつもりだったし、ただの折り返し待ちだから平気」
端川に詫びられて我に返った。困っている人間を助けるのは当然で、叶わない恋に拗ねている自分が大人げないのだ。そして同僚の体調不良を知らせるために戻ってきた端川には、なんの罪もない。
「早く帰ったと思ったけど、まだいたんだね」
色々と勘づかれないうちに、彼女のことへと話を逸らした。
「派遣さんたちと一緒にお茶してたんです」
斜め後ろの椅子を引いて座った彼女が、六時まで話し相手になりますよと態度で示してくれる。
「派遣さんも色々思うところがあるみたいで、大変なんだなって思いました」
「リーダーが頼りなくて気に入らないとか言ってない?」
「まさか」
割と本気で心配だったが、彼女に笑い飛ばされた。
「みんな、占いができる優しいリーダーって言っていますよ」
「うーん。どうせなら仕事の評価の方が嬉しいんだけど」
「それは言うまでもないんですよ。神崎さんよく働くし、いつも穏やかで、質問もトラブル報告もウェルカムって感じでいてくれるでしょう? だからみんな……」
そこで言おうかどうか迷うように、端川が言葉を止めてしまう。
「みんな?」
言いたくないと言われれば追及するつもりはなかった。寧ろそうであってほしい。何か大変なことを聞いてしまいそうだからと案じていたのに、少し迷ったあとで彼女は白状してしまう。
「派遣の管理、藤原さんじゃなく神崎さんがやってくれたらいいのにって言っているんですよ。派遣さん三人とも」
「ちょっと待って」
思った以上にまずい話に慌ててしまった。
「みんな藤原さんが好きだったよね? 格好いいし仕事もできるって」
「そう言えば空気がよくなるって分かっているからですよ。部下だって派遣だってみんなそれなりに気を遣っている」
達観した言い方だが、言葉に嘘は感じられない。
「なんて言えばいいかな。例えば藤原さんが遅刻や早退をしても、自分は文句を言うような子どもじゃないって思って冷静さを保つんですよ。うちはいい会社だし、体調不良の欠勤で人を責めるような時代でもない。それになんとなく、うちの部署は藤原さんを特別な人って位置付けにしておけば上手くいくっていう雰囲気があるでしょう?」
「まぁ」
分からないでもなかった。役員から褒められるときや総務部全体で表彰を受けるときは、代表して藤原が受け取るような空気がある。華やかな見た目だから、彼が褒められれば喜びも倍増しそうなイメージがあるのだ。部課長が出ていけば堅苦しくなりそうなときに、主任というポジョションがちょうどよかったりもする。もちろん本人が言い出したことではないし、彼が部下の前で大きな態度を取ったこともない。
「岩瀬さんなんかは無邪気に藤原さんに憧れているフリをしていますけど、あれも部内の空気をよくするための演技ですよ。藤原さんが遅れてきても誰も怒っていませんよという空気を作る。若い女の子が喜んでしまえば、そのあと文句を言おうと思う人なんていないでしょう? 誰も何も言わなければ藤原さんはすぐに仕事に入れる。それが自分の仕事にも影響するから、ミーハーな女の子を演じてくれているんです。ああ、今の人たちはミーハーなんて言い方しないんでしょうね」
「ビルの裏のカフェの横のベンチで、藤原さんが動けなくなっています。私が声を掛けても、大丈夫と言って逃げられてしまいそうな気がして」
瞬間、カタンッと彼が立ち上がった。素早い動きに胸を抉られる。直前の神崎とのやりとりなどすぐに頭から消えたのだろう。体調不良の部下を心配するのは当然だ。それでも藤原で思考を一杯にする彼を見ていたくなくて視線を逸らす。
「……俺が六時までいますから、行ってあげてください。そのまま帰ってくれていいので」
せめていい人のフリをしてそう言った。せっかく片付けた鞄から、もう一度仕事に必要なものを取り出していく。
「ありがとう。端川さんも。何か困ったことがあったら何時でもいいから電話して」
「承知しました」
手早く身の回りのものを片付けて、執務室を出ていく彼に声だけで応じた。架電終了リストを見るために、一度落としたパソコンをもう一度立ち上げる。
「すみません。神崎さんに残業をさせたかった訳じゃないんですけど」
「何言っているの。元々六時までいるつもりだったし、ただの折り返し待ちだから平気」
端川に詫びられて我に返った。困っている人間を助けるのは当然で、叶わない恋に拗ねている自分が大人げないのだ。そして同僚の体調不良を知らせるために戻ってきた端川には、なんの罪もない。
「早く帰ったと思ったけど、まだいたんだね」
色々と勘づかれないうちに、彼女のことへと話を逸らした。
「派遣さんたちと一緒にお茶してたんです」
斜め後ろの椅子を引いて座った彼女が、六時まで話し相手になりますよと態度で示してくれる。
「派遣さんも色々思うところがあるみたいで、大変なんだなって思いました」
「リーダーが頼りなくて気に入らないとか言ってない?」
「まさか」
割と本気で心配だったが、彼女に笑い飛ばされた。
「みんな、占いができる優しいリーダーって言っていますよ」
「うーん。どうせなら仕事の評価の方が嬉しいんだけど」
「それは言うまでもないんですよ。神崎さんよく働くし、いつも穏やかで、質問もトラブル報告もウェルカムって感じでいてくれるでしょう? だからみんな……」
そこで言おうかどうか迷うように、端川が言葉を止めてしまう。
「みんな?」
言いたくないと言われれば追及するつもりはなかった。寧ろそうであってほしい。何か大変なことを聞いてしまいそうだからと案じていたのに、少し迷ったあとで彼女は白状してしまう。
「派遣の管理、藤原さんじゃなく神崎さんがやってくれたらいいのにって言っているんですよ。派遣さん三人とも」
「ちょっと待って」
思った以上にまずい話に慌ててしまった。
「みんな藤原さんが好きだったよね? 格好いいし仕事もできるって」
「そう言えば空気がよくなるって分かっているからですよ。部下だって派遣だってみんなそれなりに気を遣っている」
達観した言い方だが、言葉に嘘は感じられない。
「なんて言えばいいかな。例えば藤原さんが遅刻や早退をしても、自分は文句を言うような子どもじゃないって思って冷静さを保つんですよ。うちはいい会社だし、体調不良の欠勤で人を責めるような時代でもない。それになんとなく、うちの部署は藤原さんを特別な人って位置付けにしておけば上手くいくっていう雰囲気があるでしょう?」
「まぁ」
分からないでもなかった。役員から褒められるときや総務部全体で表彰を受けるときは、代表して藤原が受け取るような空気がある。華やかな見た目だから、彼が褒められれば喜びも倍増しそうなイメージがあるのだ。部課長が出ていけば堅苦しくなりそうなときに、主任というポジョションがちょうどよかったりもする。もちろん本人が言い出したことではないし、彼が部下の前で大きな態度を取ったこともない。
「岩瀬さんなんかは無邪気に藤原さんに憧れているフリをしていますけど、あれも部内の空気をよくするための演技ですよ。藤原さんが遅れてきても誰も怒っていませんよという空気を作る。若い女の子が喜んでしまえば、そのあと文句を言おうと思う人なんていないでしょう? 誰も何も言わなければ藤原さんはすぐに仕事に入れる。それが自分の仕事にも影響するから、ミーハーな女の子を演じてくれているんです。ああ、今の人たちはミーハーなんて言い方しないんでしょうね」