本気の恋は占術不能
デスクに着いた彼に声を掛けられて我に返った。
「あ、そうですよね。すみません、藤原さんじゃなくて」
しまった!! 何を馬鹿なことを言っているのだと、大失言に気づいたのは言い終えたあとだ。ぼんやりしていたところに声を掛けられて、本音が出てしまった。藤原さんじゃなくて。それじゃただの嫌味だ。
「えっと、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて」
「ねぇ、さっきから何を一人で慌てているの?」
挙動不審の神崎に、海堂が大らかに笑う。
「急いで帰らなくていいなら、ちょっとこっちに来てみない?」
よかった、怒っていない。安堵で深く考えずに、手招きされた窓側の席に向かう。
「残業をしてくれた神崎さんを、特別に部長の席に座らせてあげよう」
「……何故に?」
「僕の権限でご褒美」
「怒られますって」
「大丈夫。気づかれないから。僕もよく座っているし」
お茶目な言い方をされて、直前まであった緊張も解けた。
「いい椅子だよ。みんな同じ椅子にすればいいのに、部長だけ高級品」
「それは酷いですね。じゃあ、遠慮なく」
本音は部長の椅子になど興味はないが、海堂が勧めてくれたのが嬉しいから座る。ぐるりと回ってみれば、遠くに赤くなり始めた空が見える。
「感想は?」
「落ち着きません」
「そう? 僕は一人の残業のときは遠慮なく座っているよ。たまに電話まで使っているし」
それは彼なら似合うだろう。窓側の中央が部長の席。海堂はいずれ冗談ではなく本気でこの椅子に座ることになる。では自分はどうだろう? 希望はいつも本社事務部門。どころかずっと総務部にいられないかと思っている。
「チョコ食べる?」
考え込んでしまった神崎の心を読んだ訳ではないだろうが、空気を変えるように彼がからりと言った。
「手を出して」
食べると言わないうちにデスクから小さな缶入りのチョコレートを取り出して、神崎の手のひらに向ける。
「この間プリンを食べていたから、甘いものは嫌いじゃないでしょう?」
「その理論で行くと、コーヒーしか飲まなかった海堂さんは甘いものは嫌いという理屈になりますけど、チョコは食べるんですね」
「面白いね、神崎さん」
缶を傾けて出てきた四粒を、本当は持ち帰って取っておきたかった。だがそんなことをすれば変質者認定されてしまうので、四つ一度に食べてしまう。ビターなのかと思ったが、意外にしっかり甘くておいしい。
「僕はかなりの甘党だよ。この間デザートをコーヒーにしたのは、神崎さんの前で少しでも格好よく見せたかったから」
「格好よくって……」
声に動揺が混じってしまう。
「本当だよ。神崎さんは綺麗で仕事もできるから、少しでも格好いい上司でいようと実は必死」
そんな、都合よく解釈してしまいそうなことを言わないでほしい。誤解するな。部下全員の前で格好よくありたいのだ。彼が恋愛感情で好きなのは藤原だ。心で繰り返して気持ちを鎮める。
「小細工はいらないと思います。海堂さんは立っているだけで素敵ですから」
冗談にも本心にも聞こえる言い方をして立ち上がった。本音はもう少し彼と話していたい。そんな素振りを見せないように、デスクに戻って帰り支度を始める。
「帰っちゃうの?」
「え? はい。二人もいらないと思うので」
顔を向けて、なんだその表情はと思った。さっき「折り返し待ちはやっておくよ」と言ってくれたではないか。
「せっかく褒めてくれたのに、素敵というのはお世辞かな?」
「いえ。そんなことは……」
なんだこれは。質問の意図はなんだ? ボロを出す訳にはいかない片思いだから、必死に思考を巡らせる。
「なんてね」
答えに辿り着く前に彼がいつもの調子に戻ってしまった。安堵の気持ちと、言葉の意味を知りたかったという二つの感情が渦になる。だが深入りすれば傷つく可能性が高い。だから何も聞かなかったことにして帰ってしまおう。
「そういえばこの間気づいたんだけど、神崎さんってもしかして……」
「──海堂さんいますか?」
彼が何か言いかけたところで、とっくに帰ったと思っていた端川が戻ってきた。
「どうかした?」
「あ、そうですよね。すみません、藤原さんじゃなくて」
しまった!! 何を馬鹿なことを言っているのだと、大失言に気づいたのは言い終えたあとだ。ぼんやりしていたところに声を掛けられて、本音が出てしまった。藤原さんじゃなくて。それじゃただの嫌味だ。
「えっと、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて」
「ねぇ、さっきから何を一人で慌てているの?」
挙動不審の神崎に、海堂が大らかに笑う。
「急いで帰らなくていいなら、ちょっとこっちに来てみない?」
よかった、怒っていない。安堵で深く考えずに、手招きされた窓側の席に向かう。
「残業をしてくれた神崎さんを、特別に部長の席に座らせてあげよう」
「……何故に?」
「僕の権限でご褒美」
「怒られますって」
「大丈夫。気づかれないから。僕もよく座っているし」
お茶目な言い方をされて、直前まであった緊張も解けた。
「いい椅子だよ。みんな同じ椅子にすればいいのに、部長だけ高級品」
「それは酷いですね。じゃあ、遠慮なく」
本音は部長の椅子になど興味はないが、海堂が勧めてくれたのが嬉しいから座る。ぐるりと回ってみれば、遠くに赤くなり始めた空が見える。
「感想は?」
「落ち着きません」
「そう? 僕は一人の残業のときは遠慮なく座っているよ。たまに電話まで使っているし」
それは彼なら似合うだろう。窓側の中央が部長の席。海堂はいずれ冗談ではなく本気でこの椅子に座ることになる。では自分はどうだろう? 希望はいつも本社事務部門。どころかずっと総務部にいられないかと思っている。
「チョコ食べる?」
考え込んでしまった神崎の心を読んだ訳ではないだろうが、空気を変えるように彼がからりと言った。
「手を出して」
食べると言わないうちにデスクから小さな缶入りのチョコレートを取り出して、神崎の手のひらに向ける。
「この間プリンを食べていたから、甘いものは嫌いじゃないでしょう?」
「その理論で行くと、コーヒーしか飲まなかった海堂さんは甘いものは嫌いという理屈になりますけど、チョコは食べるんですね」
「面白いね、神崎さん」
缶を傾けて出てきた四粒を、本当は持ち帰って取っておきたかった。だがそんなことをすれば変質者認定されてしまうので、四つ一度に食べてしまう。ビターなのかと思ったが、意外にしっかり甘くておいしい。
「僕はかなりの甘党だよ。この間デザートをコーヒーにしたのは、神崎さんの前で少しでも格好よく見せたかったから」
「格好よくって……」
声に動揺が混じってしまう。
「本当だよ。神崎さんは綺麗で仕事もできるから、少しでも格好いい上司でいようと実は必死」
そんな、都合よく解釈してしまいそうなことを言わないでほしい。誤解するな。部下全員の前で格好よくありたいのだ。彼が恋愛感情で好きなのは藤原だ。心で繰り返して気持ちを鎮める。
「小細工はいらないと思います。海堂さんは立っているだけで素敵ですから」
冗談にも本心にも聞こえる言い方をして立ち上がった。本音はもう少し彼と話していたい。そんな素振りを見せないように、デスクに戻って帰り支度を始める。
「帰っちゃうの?」
「え? はい。二人もいらないと思うので」
顔を向けて、なんだその表情はと思った。さっき「折り返し待ちはやっておくよ」と言ってくれたではないか。
「せっかく褒めてくれたのに、素敵というのはお世辞かな?」
「いえ。そんなことは……」
なんだこれは。質問の意図はなんだ? ボロを出す訳にはいかない片思いだから、必死に思考を巡らせる。
「なんてね」
答えに辿り着く前に彼がいつもの調子に戻ってしまった。安堵の気持ちと、言葉の意味を知りたかったという二つの感情が渦になる。だが深入りすれば傷つく可能性が高い。だから何も聞かなかったことにして帰ってしまおう。
「そういえばこの間気づいたんだけど、神崎さんってもしかして……」
「──海堂さんいますか?」
彼が何か言いかけたところで、とっくに帰ったと思っていた端川が戻ってきた。
「どうかした?」