本気の恋は占術不能
苦しい本音はともかく、藤原をフォローする機会はすぐにやってきた。
美容部門、金属部門合同の支店長研修会の開催が二ヵ月後に決まって、その準備に掛かることになったのだ。本社ビル二階には大型スクリーンつきの小ホールがあって、そこで著名人の講演会のようなこともしたいという。
美容部門の研修会はまだいいが、金属部門と合同となれば総務部の気苦労は倍増する。金属部門には勤務年数にプライドを持つ社員が多いし、美容部門など邪道だと見下すタイプが少なくないのだ。本社の限られた駐車スペースをどこの支店長が使うかという馬鹿馬鹿しいマウント合戦まで発生する。電話とメールで全て折り合いをつけて、参加人数を確定するのは主任の藤原。これもまた面倒な話だが、役付きでない社員が電話をすると、自分の扱いが軽いと不満を言う者が出てくるのだ。子どもじゃないんだからくだらないことでごねるなよと、内情を知っている総務部員はみなそう思っている。
ということで電話連絡のメインは藤原、厄介な人物に遭遇した場合のエスカレーション先は海堂、その後の名簿作成は神崎という形で業務は進んだ。
流石に仕事のできる藤原は、年上の支店長たちの心を掴んで短時間で電話を終えていく。二人厄介なタイプがいたようだが、そこは海堂がフォローして定時前には一巡してしまった。だがそこで、藤原がいつも鞄に入れている吸入薬を持って席を外すのに気がつく。
「折り返し待ちは俺がやっておくよ」
戻ってきた彼の席に近づいて、周りに聞こえないように言った。
「いや、でも」
顔色がよくない。二年以上同じ部署で働いているのだ。もう彼の体調のいい悪いは顔を見ただけで分かる。
「夜に発作が出ると困るだろ? 早く帰って休んだ方がいい。どうせこの時間に掛かってこなければ、今日は折り返す気なんてないよ」
それでもたまに気紛れな支店長がいるから、掛かってきた場合に無視をすることがないように礼儀として一時間待つというだけの話なのだ。体調不良を押してまでする仕事ではない。
「海堂さんには上手く言っておくから」
「いつもありがと。今度奢る」
「じゃあ、石倉屋の天ぷら御膳で」
「それは大きく出たね」
そんなやりとりで藤原は帰っていった。良子が小児喘息で入院したことがあるから、喘息の苦労も少しは分かるつもりだ。仕事のできる男だから、本当はもっとやれるのにと歯痒いだろう。彼が喘息でなければ自分との差はもっと開いていただろうか。それを思えば胸にヒュッと冷たい風が吹く。そして多分、病弱でなくても海堂は藤原を好きになっていた。それも考えてしまって、どこからどこまで勝ち目のない自分が哀しくなる。せめて何一つ悪くない藤原を恨むような人間にはならずにいよう。そこだけは気持ちを強くする。
「あれ? 神崎さん?」
そこに打ち合わせを終えて海堂が戻ってきた。
「一人で残業? 何か面倒な作業でもあった?」
「……営業部の連絡がもたついて、遅れていた作業があったんです」
藤原は体調が悪くなったことを知られたくない様子だった。だから、『ごめん、営業部』と心で詫びながら思いつきの言葉を並べてみる。
「あとは入力だけなので、入力しながら折り返し待ちしておくよって、俺から藤原に言ったんです」
「なるほど。二人も残業していると上からお叱りを受けるから、気を遣ってくれたんだね」
「仰る通り」
ああ、とっくに見抜かれているなと思った。見抜いていながら神崎の嘘に乗ってくれる。聡い彼だから、明日藤原に「体調は大丈夫?」と嘘を無駄にするようなことは言わないだろう。
「打ち合わせ、お疲れさまです」
「ふふ。ありがとう」
ふと目を遣れば、一日中蛍光灯が点いているオフィスでも、彼の後ろの窓からは夕刻の空が見えた。この時期はまだ明るいが、これから暗くなりますよという気配を感じるから不思議なものだ。もうすぐ空が赤く染まり出す。その空をバックに、海堂が上着を脱いで椅子の背凭れに掛ける仕種がいいなと思う。好きな相手だから些細なことも三割増しに見えるのだろうが、それでもやはりいい男だ。いつも穏やかな表情をしているが、課長として、彼は神崎よりずっと多くのことを考えている。自身の仕事だけでなく、部下の仕事も上司の希望も全て把握して、上手くやるために声音や表情にまで気を配っている。それが何かの拍子に外れた瞬間、表情が少しきつくなる。それが強烈に神崎の気持ちを引いて、恋心に繋がった。
美容部門、金属部門合同の支店長研修会の開催が二ヵ月後に決まって、その準備に掛かることになったのだ。本社ビル二階には大型スクリーンつきの小ホールがあって、そこで著名人の講演会のようなこともしたいという。
美容部門の研修会はまだいいが、金属部門と合同となれば総務部の気苦労は倍増する。金属部門には勤務年数にプライドを持つ社員が多いし、美容部門など邪道だと見下すタイプが少なくないのだ。本社の限られた駐車スペースをどこの支店長が使うかという馬鹿馬鹿しいマウント合戦まで発生する。電話とメールで全て折り合いをつけて、参加人数を確定するのは主任の藤原。これもまた面倒な話だが、役付きでない社員が電話をすると、自分の扱いが軽いと不満を言う者が出てくるのだ。子どもじゃないんだからくだらないことでごねるなよと、内情を知っている総務部員はみなそう思っている。
ということで電話連絡のメインは藤原、厄介な人物に遭遇した場合のエスカレーション先は海堂、その後の名簿作成は神崎という形で業務は進んだ。
流石に仕事のできる藤原は、年上の支店長たちの心を掴んで短時間で電話を終えていく。二人厄介なタイプがいたようだが、そこは海堂がフォローして定時前には一巡してしまった。だがそこで、藤原がいつも鞄に入れている吸入薬を持って席を外すのに気がつく。
「折り返し待ちは俺がやっておくよ」
戻ってきた彼の席に近づいて、周りに聞こえないように言った。
「いや、でも」
顔色がよくない。二年以上同じ部署で働いているのだ。もう彼の体調のいい悪いは顔を見ただけで分かる。
「夜に発作が出ると困るだろ? 早く帰って休んだ方がいい。どうせこの時間に掛かってこなければ、今日は折り返す気なんてないよ」
それでもたまに気紛れな支店長がいるから、掛かってきた場合に無視をすることがないように礼儀として一時間待つというだけの話なのだ。体調不良を押してまでする仕事ではない。
「海堂さんには上手く言っておくから」
「いつもありがと。今度奢る」
「じゃあ、石倉屋の天ぷら御膳で」
「それは大きく出たね」
そんなやりとりで藤原は帰っていった。良子が小児喘息で入院したことがあるから、喘息の苦労も少しは分かるつもりだ。仕事のできる男だから、本当はもっとやれるのにと歯痒いだろう。彼が喘息でなければ自分との差はもっと開いていただろうか。それを思えば胸にヒュッと冷たい風が吹く。そして多分、病弱でなくても海堂は藤原を好きになっていた。それも考えてしまって、どこからどこまで勝ち目のない自分が哀しくなる。せめて何一つ悪くない藤原を恨むような人間にはならずにいよう。そこだけは気持ちを強くする。
「あれ? 神崎さん?」
そこに打ち合わせを終えて海堂が戻ってきた。
「一人で残業? 何か面倒な作業でもあった?」
「……営業部の連絡がもたついて、遅れていた作業があったんです」
藤原は体調が悪くなったことを知られたくない様子だった。だから、『ごめん、営業部』と心で詫びながら思いつきの言葉を並べてみる。
「あとは入力だけなので、入力しながら折り返し待ちしておくよって、俺から藤原に言ったんです」
「なるほど。二人も残業していると上からお叱りを受けるから、気を遣ってくれたんだね」
「仰る通り」
ああ、とっくに見抜かれているなと思った。見抜いていながら神崎の嘘に乗ってくれる。聡い彼だから、明日藤原に「体調は大丈夫?」と嘘を無駄にするようなことは言わないだろう。
「打ち合わせ、お疲れさまです」
「ふふ。ありがとう」
ふと目を遣れば、一日中蛍光灯が点いているオフィスでも、彼の後ろの窓からは夕刻の空が見えた。この時期はまだ明るいが、これから暗くなりますよという気配を感じるから不思議なものだ。もうすぐ空が赤く染まり出す。その空をバックに、海堂が上着を脱いで椅子の背凭れに掛ける仕種がいいなと思う。好きな相手だから些細なことも三割増しに見えるのだろうが、それでもやはりいい男だ。いつも穏やかな表情をしているが、課長として、彼は神崎よりずっと多くのことを考えている。自身の仕事だけでなく、部下の仕事も上司の希望も全て把握して、上手くやるために声音や表情にまで気を配っている。それが何かの拍子に外れた瞬間、表情が少しきつくなる。それが強烈に神崎の気持ちを引いて、恋心に繋がった。