本気の恋は占術不能

 だが一瞬で仕事モードに入った藤原にストップが掛かった。高速でキーボードを打ち始めた彼の後ろに、いつのまにか海堂が立っている。クールで余計なことを話さない藤原が、たった一度の謝罪で仕事に入ってしまったことを案じてフォローにやってきたのだ。普通はこんなとき、周りの社員と少し雑談でもした方が関係は上手くいく。
「……すみません。仕事の割り振りもありがとうございました。みなさんも」
 海堂が間に入ったことで、同じ島の社員たちの空気がふっと和らぐ。「無理しないで」とか「病院は混んでなかった?」というやりとりがいくつか交わされれば、こっそり観察していた神崎も安心できるというものだ。
「みんな心配しているからね。今日は無理しないこと」
 藤原に念押しして海堂が離れていく。その顔に一瞬ただの部下に向ける以上のものが表れるのを神崎は見逃さない。入口から一連の流れを眺めていたが、海堂の表情を見た瞬間背を向けた。これが神崎の恋が叶わない理由の一つ。海堂は藤原が好きなのだ。
 四月に着任した海堂を好きになって、五月には仕事で信頼してもらえるようになった。時々プライベートの話もするようになったが、親しくなれば知りたくないことも知ってしまうものだ。執務室でも、彼は藤原に対してほんの少し態度が違う。周りと距離を置きがちな藤原が人間関係に困らないように、何かとフォローしている。さりげなく聞けば、以前同じ支店にいたことがあって、その頃から気になる存在だったという。それで充分。つまり好きなのだろう。だから失恋確定だ。
「藤原さんも神崎さんにだけは心を開いているようだから助かる。ありがとう。神崎さんの人柄だね」
 そんな言葉を貰ったが全く嬉しくなかった。何故あなたに恋する自分に言うのだ。切れ者のくせに神崎の気持ちに気づかないとはどういうことだ。そう心に渦巻く言葉を封じて「光栄です」と言った自分が哀しすぎた。
 予感はあった。占いにそう出ていたから。だが哀しいものは哀しい。
 そうして恋を自覚して約一ヵ月で失恋した訳だが、梅雨を過ぎる頃には立ち直った。正確には完全に立ち直った訳ではないが、海堂が想う相手が藤原でよかったと思えるようになった。元々同期で、ここでも二年以上一緒に働いている藤原の魅力は神崎もよく知っている。華やかな見た目だけでなく彼には実力がある。繁忙期は早朝から出勤して業務を熟したり、空き時間にビジネス本を読んでいたりと、見えないところで努力している。綺麗で仕事ができて努力家で病弱。そして主任。人付き合いが少し苦手。自分が海堂でも護ってやりたいと思う。だからどうしようもない。ただ神崎にとっても藤原は大事な人間だから、嫉妬で人を恨むようなことにならなくてよかったとは思う。藤原ならいい。寧ろ早く藤原とくっついてしまえ。今はそう思っているのだ。
「──研修会の要望リストは俺が入力しておくから、今日は帰ってゆっくりすれば?」
 その日も、五時過ぎにサービス残業するつもりでいたらしい藤原に声を掛けた。
「いや。午前休だったのに、流石にそれは甘えすぎ」
「無理すれば明日も休む羽目になるかもしれないだろ? あ、ちょうどいい。海堂さん」
 タイミングよく打ち合わせから戻ってきた彼に手を上げる。
「藤原さんを家まで送ってあげてください」
 流石というのか、藤原の話となれば彼は内容を聞く前にやってくる。
「いいけど、どうした? また体調でも悪くなった?」
 自分で呼んでおいて、彼が神崎より先に藤原に目を遣るのに傷つく。だが傷は浅いからどうってことない。最近は胸をサクリとやられるような感覚も快感だ。というのは嘘だが、とにかく藤原には安静にしてほしい。
「体調が悪くならないようにですよ。入力は俺が引き受けます。集中するのに邪魔なので、二人でさっさと帰ってください」
 本音を隠すために酷い言い方になってしまうが、これくらいは許されていいだろう。
「上司に対して随分生意気だね」
 眉を上げて返したあとで、彼が目顔でありがとうと言うのが分かる。
「じゃあ、お言葉に甘えようか」
「はい。ありがと、神崎。明日はどんどん仕事を回してくれていいから」
 まだ遠慮がちな藤原に手を振って、ほとんど追い出すように二人を帰らせた。
「……手間の掛かる二人だ」
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