本気の恋は占術不能
翌日は海堂が来る前に二往復して、朝の郵便物運びを終えてしまおうと思った。だが二十分も早く来たというのに彼はいた。
「おはよう、神崎さん」
銀の郵便受けを背に美しい微笑みを見せられれば、もう彼とはビジネスライクに接していこうと誓った決意が散ってしまう。
昨夜、昼間起こったことをオコに報告したら『ミーン、ミンミン』と蝉の鳴き真似をされた。その、ある意味神崎を慰めようとしているオコの声を聞きながら思ったのだ。半端に親しくするから苦しい。もう彼とは仕事以外で口を利かない。藤原とどうなろうが気にしない。自分とは関係のない人間だと思って過ごせばいい。よし、明日は朝の荷物運びを一人で終えて、「来週から海堂さんは来なくていいです」と言おう。そう思っていたのに計画は見事に崩れた。
「今日はもう全部運び終えてしまったんだ」
「え?」
逆に彼の方が驚くようなことを言う。
「一人で二往復したんですか?」
「ううん。今日は比較的少なかったから、一回で全部運べてしまった」
「……それはありがとうございます」
イケメンのくせに筋力まであるのが憎らしい。
「ねぇ、まだ早いからカフェにでも行かない?」
「えっと」
断れ、と冷静な自分が忠告する。昨日彼と出掛けて傷ついたばかりだ。彼と話せばまた藤原の話をされてダメージを受けるだけだ。
「ダメ? ビルの裏のカフェ、ドリンクの新商品があるみたいだし」
そんな風に眉を下げて見ないでほしい。カフェなら藤原を誘えばいいではないか。
「……少しなら」
だが結局、まともな自分がまともでない自分に負けてしまう。
「よかった。なんでも奢るから」
だからそう綺麗に微笑まないでほしい。神崎と過ごせることが嬉しいのかと誤解してしまうではないか。心で不満を言い続けながら、結局彼についていく自分が一番腹立たしい。仕事前にコーヒーを買う習慣などないから、朝のカフェの混み具合など知らなかった。テーブル席が埋まっていればそれを理由に戻れると思ったのに、意外に空いていて、海堂が選んだ席に座る羽目になる。
「昨日、別れ際に元気がなかったなと思って」
無難に選んだコーヒーを挟んで向き合ったところで、これもまた意外なことを言われた。
「僕の趣味で連れまわして疲れさせちゃったかなって。だからせめて週明けの荷物運びくらいはやろうと思ったんだ」
その言葉にあっさり降参した。やはり好きだ。ビジネスライクに接することなんてできない。例え藤原が好きでも、こんな時間がゼロになるなんて嫌だ。そんな本音が溢れそうになる。
「いえ。楽しかったです。誘ってもらえて嬉しかったし」
とにかく昨日楽しくなかったと誤解されたくなかった。そして落ち込みの理由を深掘りされて、気持ちがバレるようなことになるのはもっとマズイ。だから元気なフリをしないといけない。
「本当? じゃあ、また誘うね」
「ぜひ」
ああ、また自滅に向かっている。だが仕方ない。近づけば彼の藤原への気持ちを実感して傷つくし、離れれば態度がおかしいと言って気持ちがバレる可能性が高くなる。一体どうしたらいいのだろう。片思いの身に平穏な精神状態など訪れないということだろうか。だとしたらなんて酷だ。いっそスッパリ気持ちを切ってしまえたらどんなに楽か。
「月曜の朝から神崎さんと話せてよかった」
神崎の気も知らないで、店を出たところで彼がそんな罪なことを言う。
「今週も一週間頑張れそう。一緒に頑張ろうね」
そう微笑まれて、俺を巻き込まないでくださいと言える人間がいるだろうか。朝の太陽がきらきらと光を放って、その方向に背を向けている海堂自身が弱い光を纏っているようだ。簡単に言うと今日も朝から抜群にいい男。その彼に美しい微笑みを向けられて、神崎の胸にはぎゅっと握られたような痛みが走る。
「……はい。頑張ります」
「うん。じゃあ戻ろう」
ぽんと一つ肩を叩かれて、ついびくりとしてしまった。今のは過剰反応だ。ただの上司と部下の触れ合いでおかしな奴だと思われただろうか。そう心配する神崎の気持ちに気づくことなく、彼は先に歩き出してしまう。よかった、なんとも思われていないという気持ちと、結局神崎などどうでもいいのかと思う気持ち。
「神崎さん?」
「あ、すみません」
小走りで彼のもとに向かいながら、苦しいなと思った。苦しい。でも好きだ。でもやはり苦しい。
誰かとても優秀な医学者が、片思いに効く薬を発明してくれないだろうか。医師の前で恋が叶わない理由と、叶わなくても傍にいなければならない理由を語れば処方してくれる。三日飲めば嫌な胸の痛みから解放される。そして一週間飲み続ければ恋心自体を忘れることができる。
「なるほど、好きな相手に想い人がいる、と。それも綺麗で仕事ができて病弱な男性ですか。それは叶わない恋ですね。じゃあ、一週間分薬を出しておきます。大丈夫、保険が効きますから」
真面目な顔で電子カルテに書き込む医師を想像して、馬鹿な想像と裏腹にまた苦しくなった。
「おはよう、神崎さん」
銀の郵便受けを背に美しい微笑みを見せられれば、もう彼とはビジネスライクに接していこうと誓った決意が散ってしまう。
昨夜、昼間起こったことをオコに報告したら『ミーン、ミンミン』と蝉の鳴き真似をされた。その、ある意味神崎を慰めようとしているオコの声を聞きながら思ったのだ。半端に親しくするから苦しい。もう彼とは仕事以外で口を利かない。藤原とどうなろうが気にしない。自分とは関係のない人間だと思って過ごせばいい。よし、明日は朝の荷物運びを一人で終えて、「来週から海堂さんは来なくていいです」と言おう。そう思っていたのに計画は見事に崩れた。
「今日はもう全部運び終えてしまったんだ」
「え?」
逆に彼の方が驚くようなことを言う。
「一人で二往復したんですか?」
「ううん。今日は比較的少なかったから、一回で全部運べてしまった」
「……それはありがとうございます」
イケメンのくせに筋力まであるのが憎らしい。
「ねぇ、まだ早いからカフェにでも行かない?」
「えっと」
断れ、と冷静な自分が忠告する。昨日彼と出掛けて傷ついたばかりだ。彼と話せばまた藤原の話をされてダメージを受けるだけだ。
「ダメ? ビルの裏のカフェ、ドリンクの新商品があるみたいだし」
そんな風に眉を下げて見ないでほしい。カフェなら藤原を誘えばいいではないか。
「……少しなら」
だが結局、まともな自分がまともでない自分に負けてしまう。
「よかった。なんでも奢るから」
だからそう綺麗に微笑まないでほしい。神崎と過ごせることが嬉しいのかと誤解してしまうではないか。心で不満を言い続けながら、結局彼についていく自分が一番腹立たしい。仕事前にコーヒーを買う習慣などないから、朝のカフェの混み具合など知らなかった。テーブル席が埋まっていればそれを理由に戻れると思ったのに、意外に空いていて、海堂が選んだ席に座る羽目になる。
「昨日、別れ際に元気がなかったなと思って」
無難に選んだコーヒーを挟んで向き合ったところで、これもまた意外なことを言われた。
「僕の趣味で連れまわして疲れさせちゃったかなって。だからせめて週明けの荷物運びくらいはやろうと思ったんだ」
その言葉にあっさり降参した。やはり好きだ。ビジネスライクに接することなんてできない。例え藤原が好きでも、こんな時間がゼロになるなんて嫌だ。そんな本音が溢れそうになる。
「いえ。楽しかったです。誘ってもらえて嬉しかったし」
とにかく昨日楽しくなかったと誤解されたくなかった。そして落ち込みの理由を深掘りされて、気持ちがバレるようなことになるのはもっとマズイ。だから元気なフリをしないといけない。
「本当? じゃあ、また誘うね」
「ぜひ」
ああ、また自滅に向かっている。だが仕方ない。近づけば彼の藤原への気持ちを実感して傷つくし、離れれば態度がおかしいと言って気持ちがバレる可能性が高くなる。一体どうしたらいいのだろう。片思いの身に平穏な精神状態など訪れないということだろうか。だとしたらなんて酷だ。いっそスッパリ気持ちを切ってしまえたらどんなに楽か。
「月曜の朝から神崎さんと話せてよかった」
神崎の気も知らないで、店を出たところで彼がそんな罪なことを言う。
「今週も一週間頑張れそう。一緒に頑張ろうね」
そう微笑まれて、俺を巻き込まないでくださいと言える人間がいるだろうか。朝の太陽がきらきらと光を放って、その方向に背を向けている海堂自身が弱い光を纏っているようだ。簡単に言うと今日も朝から抜群にいい男。その彼に美しい微笑みを向けられて、神崎の胸にはぎゅっと握られたような痛みが走る。
「……はい。頑張ります」
「うん。じゃあ戻ろう」
ぽんと一つ肩を叩かれて、ついびくりとしてしまった。今のは過剰反応だ。ただの上司と部下の触れ合いでおかしな奴だと思われただろうか。そう心配する神崎の気持ちに気づくことなく、彼は先に歩き出してしまう。よかった、なんとも思われていないという気持ちと、結局神崎などどうでもいいのかと思う気持ち。
「神崎さん?」
「あ、すみません」
小走りで彼のもとに向かいながら、苦しいなと思った。苦しい。でも好きだ。でもやはり苦しい。
誰かとても優秀な医学者が、片思いに効く薬を発明してくれないだろうか。医師の前で恋が叶わない理由と、叶わなくても傍にいなければならない理由を語れば処方してくれる。三日飲めば嫌な胸の痛みから解放される。そして一週間飲み続ければ恋心自体を忘れることができる。
「なるほど、好きな相手に想い人がいる、と。それも綺麗で仕事ができて病弱な男性ですか。それは叶わない恋ですね。じゃあ、一週間分薬を出しておきます。大丈夫、保険が効きますから」
真面目な顔で電子カルテに書き込む医師を想像して、馬鹿な想像と裏腹にまた苦しくなった。