冷徹秘書のムーンストーン
「分かりました。相手がお金を受け取っている以上、酷いことにはならないでしょう。任せてください」
「元々本格的な撮影はNGだと伝えてあったのに、押し切るつもりでカメラマンを用意していました。それも攻撃材料になれば」
「助かります」
仕事一つダメになるくらいはどうってことないが、悪い噂が立つのは困るから佐藤に動いてもらう。彼は優秀だから上手くやってくれる筈だ。
「堀内さん、こっちです。早く坊ちゃんを」
車を寄せてくれた山瀬に声を掛けられて、合田と素早く乗り込んだ。
「派手にやってしまいました。後始末は佐藤さんにお願いしましたが、心配なので病院に向かってもらえますか?」
「いらない」
山瀬が応える前に、後部座席に背中を預ける合田に拒否されてしまった。
「念のためです。点滴をしながら先生と話せば、気分も落ち着くでしょう?」
「俺は落ち着いている」
こうなれば合田が言うことを聞かないのは分かっていた。
「分かりました。それなら部屋で俺がしばらく監視します」
物騒な言葉を使ってしまったが、それは別に構わなかったらしく、彼は目を閉じた。
「……黒の革紐がダメなんだ」
眠ったかと思えば、ぽつりとそんなことを言う。
「革紐?」
「昔、母親がよく黒の革紐で俺を打った。だから」
さっきのインタビュアーがしていたものだ。そうか。きちんと遅刻せずにやってきたのに、突然調子が悪くなったのはそのせいだったのか。
「知らなくてすみません。次からはきちんとNG項目に入れておきますから」
「……うん」
堀内が怒らなかったことに安堵したのか、彼は今度こそ眠ってしまった。すぐに眠くなるのは朝晩飲む薬の影響だ。心を安定させる薬を処方されている。飲んでいなければもっと悲惨なことになっていただろう。革紐の話は彼も初耳だったのか、ミラー越しに山瀬が痛ましそうな顔をしているのが分かる。
「あの、ほんとに遠慮しなくていいので、必要ならいつでも呼び出してください」
ありがたいことを言ってくれる彼と別れて、寝起きのぼんやりした合田を七階の部屋まで連れていった。気分の激しい上下が影響しているのか、まだ明るい時間だというのに彼は眠ってしまう。しばらくベッドの傍で見守っていたが、陽が落ち始めたところで、今夜彼が食べるものはあるだろうかと気になった。いつものようにハウスキーパーを頼んであるが、体調が悪くなったのは出掛けたあとだ。冷蔵庫を開ければ重たい肉料理が入っていて、これだと彼は食べないだろうと思う。
ここで手際よく料理ができれば格好いいが、生憎料理は専門外だった。一度寝室を覗いて彼がぐっすり眠っていることを確認してから、近所のコンビニに出ることにする。パウチのお粥とバランスバーやジュースを買って、五分で戻ってくる。
「……巧さん?」
玄関を開けた途端、らしくもなくびくりと肩を震わせてしまった。
「どこに行っていた?」
声を聞いた途端に、ああ、まずいなと思う。向けられる目が、さっきのカメラマン相手のように鋭い。一度落ち着いたのにまた興奮してしまっている。多分、目覚めて堀内がいなかったことが気に入らなかったのだ。
「コンビニに行っていただけです。あなたの食事を買いに行っていたんですよ」
興奮状態は体力を消耗するしメンタルにもよくない。とにかくこれ以上怒らせないようにと静かに応じた。
「お前、俺を捨てて逃げる気だろう?」
メンタルの調子は最悪らしい。調子が悪いときほど、彼はあり得ない妄想をする。
「そんなことはしません」
「父親に頼まれたから仕方なく俺の面倒を見ているんだろ? 本当はもっとマシな仕事をしたいと思っているんだろ?」
「副社長秘書になりたいと言ったのは俺です」
「じゃあ、俺に呆れたのか?」
これじゃ、駄々っ子と一緒だ。
「寝室に戻りましょう。そこで話せばいいでしょう?」
毎日飲む薬の他に、緊急事態のときに飲む安定剤がある。ここは薬で落ち着いてもらうしかない。そう思って連れていこうとするが彼は従わなかった。体格も力も上の彼が逆に堀内の腕を引いて、短い廊下の壁に堀内の背を押しつけてしまう。音がするほど勢いよく背中が壁に当たって痛みに眉を顰める。
「いいか? 俺から逃げられると思うな」
「元々本格的な撮影はNGだと伝えてあったのに、押し切るつもりでカメラマンを用意していました。それも攻撃材料になれば」
「助かります」
仕事一つダメになるくらいはどうってことないが、悪い噂が立つのは困るから佐藤に動いてもらう。彼は優秀だから上手くやってくれる筈だ。
「堀内さん、こっちです。早く坊ちゃんを」
車を寄せてくれた山瀬に声を掛けられて、合田と素早く乗り込んだ。
「派手にやってしまいました。後始末は佐藤さんにお願いしましたが、心配なので病院に向かってもらえますか?」
「いらない」
山瀬が応える前に、後部座席に背中を預ける合田に拒否されてしまった。
「念のためです。点滴をしながら先生と話せば、気分も落ち着くでしょう?」
「俺は落ち着いている」
こうなれば合田が言うことを聞かないのは分かっていた。
「分かりました。それなら部屋で俺がしばらく監視します」
物騒な言葉を使ってしまったが、それは別に構わなかったらしく、彼は目を閉じた。
「……黒の革紐がダメなんだ」
眠ったかと思えば、ぽつりとそんなことを言う。
「革紐?」
「昔、母親がよく黒の革紐で俺を打った。だから」
さっきのインタビュアーがしていたものだ。そうか。きちんと遅刻せずにやってきたのに、突然調子が悪くなったのはそのせいだったのか。
「知らなくてすみません。次からはきちんとNG項目に入れておきますから」
「……うん」
堀内が怒らなかったことに安堵したのか、彼は今度こそ眠ってしまった。すぐに眠くなるのは朝晩飲む薬の影響だ。心を安定させる薬を処方されている。飲んでいなければもっと悲惨なことになっていただろう。革紐の話は彼も初耳だったのか、ミラー越しに山瀬が痛ましそうな顔をしているのが分かる。
「あの、ほんとに遠慮しなくていいので、必要ならいつでも呼び出してください」
ありがたいことを言ってくれる彼と別れて、寝起きのぼんやりした合田を七階の部屋まで連れていった。気分の激しい上下が影響しているのか、まだ明るい時間だというのに彼は眠ってしまう。しばらくベッドの傍で見守っていたが、陽が落ち始めたところで、今夜彼が食べるものはあるだろうかと気になった。いつものようにハウスキーパーを頼んであるが、体調が悪くなったのは出掛けたあとだ。冷蔵庫を開ければ重たい肉料理が入っていて、これだと彼は食べないだろうと思う。
ここで手際よく料理ができれば格好いいが、生憎料理は専門外だった。一度寝室を覗いて彼がぐっすり眠っていることを確認してから、近所のコンビニに出ることにする。パウチのお粥とバランスバーやジュースを買って、五分で戻ってくる。
「……巧さん?」
玄関を開けた途端、らしくもなくびくりと肩を震わせてしまった。
「どこに行っていた?」
声を聞いた途端に、ああ、まずいなと思う。向けられる目が、さっきのカメラマン相手のように鋭い。一度落ち着いたのにまた興奮してしまっている。多分、目覚めて堀内がいなかったことが気に入らなかったのだ。
「コンビニに行っていただけです。あなたの食事を買いに行っていたんですよ」
興奮状態は体力を消耗するしメンタルにもよくない。とにかくこれ以上怒らせないようにと静かに応じた。
「お前、俺を捨てて逃げる気だろう?」
メンタルの調子は最悪らしい。調子が悪いときほど、彼はあり得ない妄想をする。
「そんなことはしません」
「父親に頼まれたから仕方なく俺の面倒を見ているんだろ? 本当はもっとマシな仕事をしたいと思っているんだろ?」
「副社長秘書になりたいと言ったのは俺です」
「じゃあ、俺に呆れたのか?」
これじゃ、駄々っ子と一緒だ。
「寝室に戻りましょう。そこで話せばいいでしょう?」
毎日飲む薬の他に、緊急事態のときに飲む安定剤がある。ここは薬で落ち着いてもらうしかない。そう思って連れていこうとするが彼は従わなかった。体格も力も上の彼が逆に堀内の腕を引いて、短い廊下の壁に堀内の背を押しつけてしまう。音がするほど勢いよく背中が壁に当たって痛みに眉を顰める。
「いいか? 俺から逃げられると思うな」