冷徹秘書のムーンストーン

「医者の相槌や質問なんて、もう丸暗記しているっての。こう言えばああ返ってくると思えば大抵当たる」
 これだから頭のいい人間は厄介だ。だがこれまで三度病院を変えた彼が、今度の病院にはなんだかんだで通い続けてくれているのだから、嫌いなタイプの医師ではないのだろう。それならこれからも引っ張っていくまでだ。
「二週間に一度なんですから耐えてください。では俺は帰りますから、あとは自由に過ごしてください」
「ねぇ、待って」
 制作部屋の入り口で鞄を持ち上げたところで、部屋の中央に直に座っていた彼が顔だけ振り向いてみせる。
「これ、どう?」
 できたばかりらしいネックレスを持ち上げるから、見にいってやらなければという気持ちになる。いつもこうだ。彼は子どものように、帰ろうとする人間を引き止める。堀内以外にもそうなのかは分からないが、そうされるたびに、高価な金属に混じった不純物のような思いを抱えてしまう。
「……いい出来じゃないですか」
 ネックレスを手にして褒めるのはいつものことだ。お世辞ではなくトップの石に巻きつけるようなデザインが素敵だと思う。だがチェーンはシルバー900だ。意図的かどうか分からないが、彼はやはり純度の高い金属を避けている。それはそのまま、彼の復帰が遠いことを意味している。
「ほんと? じゃあ、会社の九月の新作発表会に俺も出してもらえるかな?」
 無邪気に問われて、胸に刺すような痛みが走った。無理に決まっている。そんなものを出せば笑いものになって、ジュエリーデザイナー合田巧の過去の功績まで消してしまう。そんなことも分からなくなったのか。行員時代の自分ならそう言っただろう。
「それはあなたの素行次第じゃないですかね」
 だが今は副社長秘書だから、ネックレスを返してそう誤魔化した。
「お酒を飲んで遅刻したり、病院に行くのを嫌がったりするようではダメでしょうね。そうそう。俺が取材に合わせて準備したスーツを着ないことも」
「きっちりしすぎる格好は苦しくなるんだよ」
 それも心の病の重い人間の特徴だ。とにかくジュエリーの出来ではなく素行に話を逸らして、新作発表会の話を有耶無耶にしてしまう。記憶力がいい彼だ。その場しのぎは傷つけるだけだと知っているから、無理だと思えば些細な約束もしない。それで冷たいと思われるのなら本望だ。
「じゃあ、今度こそ帰ります。キッチンのタイマーが鳴ったら薬を飲んでください。ちゃんと残りの数を数えますから、飲み忘れていたら叱りますよ」
「分かっているよ。子どもじゃないんだから」
 子どもじゃないと子どものような口調で言われれば、もう苦笑するしかない。その大きな子どもを残して、漸く彼のマンションを出ることになった。六階までは二部屋ずつだが、最上階だけは間取りの違う広い部屋が一つと、独占できる屋根付きの屋上スペース。拘りのマンションは敬助のものだから家賃もない。完全に父親の庇護の下にいる。父親の罪滅ぼしを長引かせるために弱ったフリをしているのではないかと思うこともあるが、オファーを貰った仕事にさえ遅刻してくる様子を見ていれば、壊れているのは間違いないと認めざるを得ない。そんなことを考えて振り返れば、シックな黒い外壁の建物が恐ろしい監獄に見えてくる。
「……俺までおかしくなってどうする」
 頭を振って、なんとか運転して帰った。
 部屋に戻って部屋着に着替えたところで、漸くほっと息がつける。明日も何かあればすぐに駆けつけなければならない『待機』だが、それでも一応は休むことができる。
 どうか明日は呼び出されませんように。いや、本音は彼に会いたい。うーん、それも違う。
 自分のためにお茶を淹れて座椅子の背凭れに背中を預けてみても、結局考えるのは彼のことだ。メンタルが完全に回復して、秘書とは違う形で呼び出されるなら幸せだろう。だがその可能性はとても低い。
「……何が冷徹秘書だ」
 部屋着だろうと仕事着だろうと、必ずその中に隠してぶら下げているものを服の外に出してみる。手のひらに乗せた石が青いシラーを見せるのを眺めながら、人は何故不安定で妖しげなものに惹かれるのだろうと、現実逃避気味にそんなことを思った。
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