冷徹秘書のムーンストーン
気を張って本番はやり遂げた。だがやはりまだ身体は万全ではなかったのだ。不調のきっかけとなったカメラのフラッシュを浴びて、自分の作品ではないアクセサリーを身につけてPRする。売り言葉に買い言葉とはいえ、秘書でありながら苦しめてしまったことを後悔する。
「……見に来てくれたのか?」
「ええ。格好よくて驚きましたよ。他のモデルなんて相手にならないほど」
「それはよかった。じゃあモデルごっこは今日でお終い」
膝をついて汗を拭ってやる傍で、彼があっさり宣言する。
「どうして?」
「会社の仕事とデザイナーに戻る。時間は掛かると思うけど、絶対元の俺に戻ってみせるから」
そこでハンカチを持つ手を取られる。
「瑛」
見つめられて目を逸らせなかった。求められればこの状況も二人の関係も忘れて受け入れる。そう抗えない自分を感じていて、そこで手首を握っていた手を離される。
「悪い。人様のものに手を出すのはよくないな。今日で有休は終わりだろ? 最後の夜くらい恋人と過ごせばいいんじゃないか?」
彼に言われて自分も正気を取り戻す。物事には順序がある。ムーンストーンのシラーみたいに揺れる気持ちに呆れられるかもしれない。それでも今、気持ちに素直になりたいと思う。
「スタッフを呼んできますからソファーで休んでいてください。このあとの取材はキャンセルしても悪く書かれないように手配してありますから、体調が落ち着いたら帰っても問題ありません」
「密室の取材じゃなくイベントなんだから、ドタキャンはまずいだろ?」
「いえ。力のある人間を買収しましたから。あなたが今からどんな無様な姿を見せようと、記事に書かれるのは成功したショーのことのみです」
にっこり笑って言えば、合田がきょとんと見上げてきた。堀内が買収などという言葉を使うのが意外だったのかもしれない。だが自分は合田のためならどんなことでもする。
「では、俺はこれで」
待っていてくれとは言えなかった。だが感じたものが全て誤解だとしても後悔はない。久しぶりにすっきりとした気持ちで会場を出て、目についたタクシーを止めて乗り込む。
「これから会いに行ってもいいでしょうか?」
「……うん。待っている」
ラインではなく電話で聞けば、既に察していたような彼が静かに応じてくれた。
「これをお返しします」
ダイヤの時計を返して頭を下げれば、そんなことしないでと顔を上げさせられた。
「俺は上手くいかない恋のもやもやを高井さんで晴らそうとしました。今日のイベントだって、巧さんのために高井さんの力を利用した」
とにかく座ってと言う彼の言葉を聞かずに、もう一度頭を下げる。彼にはいくら謝っても足りない。穏やかな恋人関係を築いていけたらいいと思った。だが心の奥では、合田以上に好きになることはないと分かっていたのだ。
「利用したのは僕の方だよ」
気持ちを告げても彼が怒るようなことはなかった。もう一度堀内の顔を上げて、穏やかな表情のまま返してくる。
「合田さんのことが好きなのはすぐに分かった。上手くいっていないってこともね。だから傷ついたタイミングで近づいて僕のものにしようとした。本当は人を使って副社長さんの詳細まで調べていた。ね? 嫌な奴でしょう?」
何を言われても高井を悪く思うことはない。だが彼の恋人を続けていくことはもうできない。
「すみません」
「ううん。分かっていたから」
彼がいつもの泣きそうな笑顔を見せる。慣れた表情だが、いつもより哀しげに見えることに罪悪感が募る。
「堀内さんは何度か僕に『ちゃんとする』って言った。でもそれは惚れた相手に言う言葉じゃない」
心を誤魔化そうとしていいことなんてないと今更気づいた。こうして他人まで巻き込んでしまったことを後悔する。
「時計、返そうと思ったんですけど、返されても困りますよね。せめてこの分のお金を払わせてください」
「ううん。返してもらうよ。使い道を思いついたから」
そう言われれば断る理由はなかった。もう一度頭を下げて彼の部屋を出ていく。
「ごめん。今日は送ってあげられなくて」
「……見に来てくれたのか?」
「ええ。格好よくて驚きましたよ。他のモデルなんて相手にならないほど」
「それはよかった。じゃあモデルごっこは今日でお終い」
膝をついて汗を拭ってやる傍で、彼があっさり宣言する。
「どうして?」
「会社の仕事とデザイナーに戻る。時間は掛かると思うけど、絶対元の俺に戻ってみせるから」
そこでハンカチを持つ手を取られる。
「瑛」
見つめられて目を逸らせなかった。求められればこの状況も二人の関係も忘れて受け入れる。そう抗えない自分を感じていて、そこで手首を握っていた手を離される。
「悪い。人様のものに手を出すのはよくないな。今日で有休は終わりだろ? 最後の夜くらい恋人と過ごせばいいんじゃないか?」
彼に言われて自分も正気を取り戻す。物事には順序がある。ムーンストーンのシラーみたいに揺れる気持ちに呆れられるかもしれない。それでも今、気持ちに素直になりたいと思う。
「スタッフを呼んできますからソファーで休んでいてください。このあとの取材はキャンセルしても悪く書かれないように手配してありますから、体調が落ち着いたら帰っても問題ありません」
「密室の取材じゃなくイベントなんだから、ドタキャンはまずいだろ?」
「いえ。力のある人間を買収しましたから。あなたが今からどんな無様な姿を見せようと、記事に書かれるのは成功したショーのことのみです」
にっこり笑って言えば、合田がきょとんと見上げてきた。堀内が買収などという言葉を使うのが意外だったのかもしれない。だが自分は合田のためならどんなことでもする。
「では、俺はこれで」
待っていてくれとは言えなかった。だが感じたものが全て誤解だとしても後悔はない。久しぶりにすっきりとした気持ちで会場を出て、目についたタクシーを止めて乗り込む。
「これから会いに行ってもいいでしょうか?」
「……うん。待っている」
ラインではなく電話で聞けば、既に察していたような彼が静かに応じてくれた。
「これをお返しします」
ダイヤの時計を返して頭を下げれば、そんなことしないでと顔を上げさせられた。
「俺は上手くいかない恋のもやもやを高井さんで晴らそうとしました。今日のイベントだって、巧さんのために高井さんの力を利用した」
とにかく座ってと言う彼の言葉を聞かずに、もう一度頭を下げる。彼にはいくら謝っても足りない。穏やかな恋人関係を築いていけたらいいと思った。だが心の奥では、合田以上に好きになることはないと分かっていたのだ。
「利用したのは僕の方だよ」
気持ちを告げても彼が怒るようなことはなかった。もう一度堀内の顔を上げて、穏やかな表情のまま返してくる。
「合田さんのことが好きなのはすぐに分かった。上手くいっていないってこともね。だから傷ついたタイミングで近づいて僕のものにしようとした。本当は人を使って副社長さんの詳細まで調べていた。ね? 嫌な奴でしょう?」
何を言われても高井を悪く思うことはない。だが彼の恋人を続けていくことはもうできない。
「すみません」
「ううん。分かっていたから」
彼がいつもの泣きそうな笑顔を見せる。慣れた表情だが、いつもより哀しげに見えることに罪悪感が募る。
「堀内さんは何度か僕に『ちゃんとする』って言った。でもそれは惚れた相手に言う言葉じゃない」
心を誤魔化そうとしていいことなんてないと今更気づいた。こうして他人まで巻き込んでしまったことを後悔する。
「時計、返そうと思ったんですけど、返されても困りますよね。せめてこの分のお金を払わせてください」
「ううん。返してもらうよ。使い道を思いついたから」
そう言われれば断る理由はなかった。もう一度頭を下げて彼の部屋を出ていく。
「ごめん。今日は送ってあげられなくて」