冷徹秘書のムーンストーン

「高井さん……」
「じゃあ、明日楽しみにしている」
 泊まるかと思ったのに、彼は手を振って帰っていった。恋人として何も返せない自分が申し訳ないが、それも今計画していることが済めば変わる。新作発表会が済んだらいい恋人になる。ずっと高井だけを想っていく。その気持ちで罪悪感を振り払う。
 高井の力を借りながら全ての準備を済ませて、その日はやってきた。
 合田金属販売(株)秋の新作発表会。美顔ローラーの最新モデルのプロモーションがメインで、午後からショー形式のアクセサリー発表会へと続く。美顔ローラーをPRした女優がそのまま午後のショーでモデルとして登場する。マスコミ関係の他に、抽選で選ばれた一般客も二百人程いて活気がある。女優の他に人気アイドルでも呼ばれていれば合田の注目度も下がると思ったのに、残念ながら男性はキャリアの浅いモデルが二名呼ばれただけだ。なんとかショーを終えて裏に引っ込んでくれればいい。その後の取材ならキャンセルしても悪く書かれないように手は打ってある。
 見れば手も口も出してしまいそうで、合田の指示通り有休中は彼と関わることを断っていた。やりたいようにやればいい。まだ回復途中の彼がどんな失敗をしようと自分が護ってみせる。そんな気持ちで、その日は観客として会場に入る。業績不振の時期を挟んで三年振りの開催だから、新作発表会を直に見るのは初めてだった。思った以上の盛況ぶりに圧倒されながら、隅の席で合田が登場するショーの開始を祈るようにして待つ。
 午後の部開始のアナウンスと共に照明が落ちて、メインの女優が颯爽とランウェイに見立てた舞台を歩き始めた。色もデザインも抑えた衣服の上に、ネックレスやピアスの新作を身につけてアピールする。メインの女優の他に女性モデルが三人と男性モデルが二人登場して、最後にもう一度女優が別のネックレスをつけて登場する。彼女が戻ったところで照明の色が変わった。
「本日の特別ゲストです」
 そんなアナウンスと共に、彼がまっすぐこちらに向かって歩いてくる。
「巧さん……」
 その姿に圧倒された。それを専門にやってきたモデルたちにも敵わないオーラで舞台上を闊歩する。サプライズゲストだったらしく、一瞬シンとした会場が、合田巧だと知った途端に歓声を上げる。その瞬間激しく焚かれたフラッシュに焦ったのは堀内だけだった。過去のトラウマなど忘れたというように、彼は表情も歩みも崩すことなく足を進める。そんな筈がないと分かっていて、堀内を見つけて見つめているような錯覚に捉われて、こちらもじっと彼の姿を見ていることしかできない。選ばれた男。運命の悪戯で一時悩みの中にいたが、それも糧にして彼はまた進んでいける。そう確信して胸に熱いものが込み上げる。
「これにて新作発表特別ショーを終了します。今後のイベントは……」
 惚けていて、アナウンスに我に返った。いけない。楽屋に向かわなければ。慌てて出口に向かおうとするが、興奮冷めやらない観客たちが扉の前で群れを作る。
「すみません。通してください」
 警備員やスタッフにも抑えられない観客の動きに呑まれて、たった数メートル先に辿り着けない。なんとか合間を縫って進んで、あと少しで出口というところで足元に何か落ちた感覚があった。足を動かしたところで続いたシャリという音にハッとしてしゃがみ込む。同じように帰ろうとしていた観客に迷惑そうに息を吐かれるが構っている場合ではない。夢中でそれを拾い上げて、手のひらの中で見たものに絶望する。
「そんな」
 合田から貰ったネックレスが切れていた。引き輪やプレートの部分ではなくチェーンが切れてしまっているから、素人には直しようがない。いい大人がこんなことでと思いながら泣きそうになった。彼との間にあった唯一の繋がりまで切れてしまったようで、哀しみの底に突き落とされる。そこで一気に人の波が進んでロビーに出ることができた。苦しさを振り切るようにネックレスをしまって、合田の楽屋へと急ぐ。
「巧さん!」
 想像通り、彼は一人そこにいた。ライトのついたメイク台に寄りかかるようにして目を閉じている。
「巧さん、しっかりしてください。薬は持っていますか?」
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