冷徹秘書のムーンストーン
「大変だと思うけど、今日中に一度連絡をくれるかな? 心配だし、助けが必要ならいつでも向かうから」
ありがたい言葉に頷いて、その後は振り向かずにマンションに向かった。かなりご立腹のようだから、今日は合鍵を使って入ってしまう。七階に向かって、直接彼の部屋のインターフォンを鳴らした。
「堀内です」
返事がないからドアノブに手を掛ければ、難なくドアは開いた。シンとした廊下を進んで、リビングの向こうの制作部屋を開ける。そこにも彼はいない。
「……っ」
まさか出掛けたのか? と思った瞬間、腕を引かれて寝室に連れ込まれた。なんの冗談かベッドに押し倒されて覆い被さられる。呆然としたのは一瞬で、唇が触れたところで引っ叩いた。
「なんのつもりです!」
素早くベッドから降りて、乱れた衿を直しながら睨みつける。ダメージはそれほどでもないようで、彼はベッドの端に座ったまま視線を返してくる。
「あの男といたんだろ?」
激情ではなく静かな声が逆に恐ろしかった。だが高井と付き合うことにした以上、隠しても仕方がない。
「ええ。彼のところにいました。連絡にすぐに気づけず申し訳ありません」
「別れろ」
極端な発言に驚いた。
「秘書にもプライベートはあります」
「お前にそんなもの必要ない」
「俺も一人の人間です」
呼び出しに気づけなかった引け目などすぐに消えた。彼に寄り添ってきたつもりだし、これからも懸命に支えるつもりだ。だが堀内だって心が折れる夜くらいある。何故高井のような男に救いを求めてはいけないのだ。
「奴が好きなのか?」
立ち上がってこちらに向かってくる彼に、思わず後退った。
「……好きだから恋人になりました」
「どうすれば別れる?」
ああ、メンタルの調子が悪くなったと思った。玩具を離したくない子どもと一緒だ。堀内に特別な感情がある訳ではない。今日の暴挙もあの日のキスもただの気紛れ。気持ちの波によって欲しいものが変わる。そんな彼に振り回されるのはもう沢山だ。
「以前のあなたに戻れば考えます。デザインだけでなく広報部でも活躍していた、その頃のあなたを見せてください。無理だと思うから言っていますが」
怒った彼に殴られることも覚悟した。だが彼は何も言わずに、ただ堀内を見下ろしている。
「……分かった」
背中にゾクリとしたものが走った。細められた目の奥に青い炎が見える。本気になった彼と対峙するのは初めてかもしれない。極上の容姿に選ばれた者だけが持つオーラを纏う彼が、容赦なく堀内の心を惑わしに掛かる。だがここで負ければ同じことの繰り返しだ。彼は期待させるだけさせて突き落とす。きっと今度もそうだ。だから自分は高井といると決めた。
「九月の新作発表会にゲスト出演する」
「今から新作なんて無理です」
「デザイナーとしてじゃない。モデルとして、イベントを盛り上げるのに協力する」
彼はちゃんと分かっていた。自分が高価な宝石や金属を扱えないことも、シルバーと天然石で作った作品が新作発表会に相応しくないことも。感情の波に引き摺られることはあっても、思考能力までは落ちていない。だがそれはつまり、正常な思考の中で、堀内を特別な存在にするつもりはないと切り捨てていたということだ。
「マスコミが沢山やってきます。どれだけのフラッシュが焚かれると思っているんですか? あなたに耐えられる筈がない」
「母親と話したことで克服した。当日まで訓練すれば問題ない。イベントは土曜だからお前は来なくていい。奴と好きに過ごせばいい。だが俺の称賛記事が出たところで別れろ。俺のところに戻ってくるんだ」
「称賛って……」
そんな言い方ができる人間が一体どれほどいるだろう。選ばれた者だけが許される台詞。傲慢なのに少しも嫌な感じがしない。
「これまでの謝罪として、イベント終了まで有休を取っていい」
続いた言葉にグサリとやられた。
「今まで土日もなく働かせ続けたからな。せいぜい楽しんでおけばいい」
「副社長秘書はもう必要ないってことですか?」
「聞いていなかったのか? イベント終了後は奴と別れて俺の傍で働いてもらう」
「どうして」
「理由は自分で考えればいい」
最悪の物別れだった。彼が制作部屋に籠もってしまったから、堀内も黙って部屋を出るしかない。
「それなら休んでやります」
分厚いドアの向こうに聞こえはしないと分かっていながら、そう言い捨てずにいられなかった。
ありがたい言葉に頷いて、その後は振り向かずにマンションに向かった。かなりご立腹のようだから、今日は合鍵を使って入ってしまう。七階に向かって、直接彼の部屋のインターフォンを鳴らした。
「堀内です」
返事がないからドアノブに手を掛ければ、難なくドアは開いた。シンとした廊下を進んで、リビングの向こうの制作部屋を開ける。そこにも彼はいない。
「……っ」
まさか出掛けたのか? と思った瞬間、腕を引かれて寝室に連れ込まれた。なんの冗談かベッドに押し倒されて覆い被さられる。呆然としたのは一瞬で、唇が触れたところで引っ叩いた。
「なんのつもりです!」
素早くベッドから降りて、乱れた衿を直しながら睨みつける。ダメージはそれほどでもないようで、彼はベッドの端に座ったまま視線を返してくる。
「あの男といたんだろ?」
激情ではなく静かな声が逆に恐ろしかった。だが高井と付き合うことにした以上、隠しても仕方がない。
「ええ。彼のところにいました。連絡にすぐに気づけず申し訳ありません」
「別れろ」
極端な発言に驚いた。
「秘書にもプライベートはあります」
「お前にそんなもの必要ない」
「俺も一人の人間です」
呼び出しに気づけなかった引け目などすぐに消えた。彼に寄り添ってきたつもりだし、これからも懸命に支えるつもりだ。だが堀内だって心が折れる夜くらいある。何故高井のような男に救いを求めてはいけないのだ。
「奴が好きなのか?」
立ち上がってこちらに向かってくる彼に、思わず後退った。
「……好きだから恋人になりました」
「どうすれば別れる?」
ああ、メンタルの調子が悪くなったと思った。玩具を離したくない子どもと一緒だ。堀内に特別な感情がある訳ではない。今日の暴挙もあの日のキスもただの気紛れ。気持ちの波によって欲しいものが変わる。そんな彼に振り回されるのはもう沢山だ。
「以前のあなたに戻れば考えます。デザインだけでなく広報部でも活躍していた、その頃のあなたを見せてください。無理だと思うから言っていますが」
怒った彼に殴られることも覚悟した。だが彼は何も言わずに、ただ堀内を見下ろしている。
「……分かった」
背中にゾクリとしたものが走った。細められた目の奥に青い炎が見える。本気になった彼と対峙するのは初めてかもしれない。極上の容姿に選ばれた者だけが持つオーラを纏う彼が、容赦なく堀内の心を惑わしに掛かる。だがここで負ければ同じことの繰り返しだ。彼は期待させるだけさせて突き落とす。きっと今度もそうだ。だから自分は高井といると決めた。
「九月の新作発表会にゲスト出演する」
「今から新作なんて無理です」
「デザイナーとしてじゃない。モデルとして、イベントを盛り上げるのに協力する」
彼はちゃんと分かっていた。自分が高価な宝石や金属を扱えないことも、シルバーと天然石で作った作品が新作発表会に相応しくないことも。感情の波に引き摺られることはあっても、思考能力までは落ちていない。だがそれはつまり、正常な思考の中で、堀内を特別な存在にするつもりはないと切り捨てていたということだ。
「マスコミが沢山やってきます。どれだけのフラッシュが焚かれると思っているんですか? あなたに耐えられる筈がない」
「母親と話したことで克服した。当日まで訓練すれば問題ない。イベントは土曜だからお前は来なくていい。奴と好きに過ごせばいい。だが俺の称賛記事が出たところで別れろ。俺のところに戻ってくるんだ」
「称賛って……」
そんな言い方ができる人間が一体どれほどいるだろう。選ばれた者だけが許される台詞。傲慢なのに少しも嫌な感じがしない。
「これまでの謝罪として、イベント終了まで有休を取っていい」
続いた言葉にグサリとやられた。
「今まで土日もなく働かせ続けたからな。せいぜい楽しんでおけばいい」
「副社長秘書はもう必要ないってことですか?」
「聞いていなかったのか? イベント終了後は奴と別れて俺の傍で働いてもらう」
「どうして」
「理由は自分で考えればいい」
最悪の物別れだった。彼が制作部屋に籠もってしまったから、堀内も黙って部屋を出るしかない。
「それなら休んでやります」
分厚いドアの向こうに聞こえはしないと分かっていながら、そう言い捨てずにいられなかった。