冷徹秘書のムーンストーン
そう応じて、また掃き出し窓から帰ることになった。
「さっきの貸して」
窓の傍までやってきた彼がネックレスを受け取り、堀内の首に下げてくれる。
「やっぱり似合う」
「ありがとう。大事にします」
「うん。ずっとつけていて」
約束を交わして堀内は帰っていく。自分の人生で、こんな現実離れしたことが起きるなんて思わなかった。よく知らない男と過ごして後悔していないなんて自分らしくない。けれどそんな自分が嫌いではない。ずっと彼の姿が頭から離れなくて、鼓動はいつもより少し速めを保ったままだ。こんなことで敬助に隠し通せるだろうか。知らん顔でもう一度合田に会いに行けるだろうか。そう悩むことすら、中毒性のあるお菓子のように胸を昂らせる。そっとホテルのフロントを通過して部屋に戻った。シャワーを浴びてベッドに横になってもドキドキが消えない。敬助と合流してまたあの別荘に向かう。女神だと言った男がまた現れたら、彼はどんな反応をするだろう。いや、反応などどうでもいい。堀内がただ彼に会いたいのだ。一時間は寝られるのに、鎮まらない胸を抱えて全く眠れない時間を過ごす。
現実を知る羽目になったのは数時間後だ。予定通り敬助と合流して別荘に向かって、別人のように冷たい彼と再会してしまった。
「誰だ、お前?」
そう言い放った彼に、初めなんの冗談だと思った。
「いい加減にしろよ。勝手に他人を連れてくるなと言っただろ?」
あっさりと彼は敬助へと視線を逸らしてしまう。息ができないほど傷ついた。退職にすら動じなかった自分が、今は苦しくて、行き場のない感情を巡らせている。
「帰れ」
「待って」
玄関を閉められそうになって、慌ててドアを掴んだ。
「さっき……」
「俺に近づくな」
凍りつくような声で言って、乱暴に手を払ってドアを閉められた。
「すまない。嫌な思いをさせてしまった」
敬助にいいえと応じながら、これが彼の病なのだと思い知った。病が彼の正常な感情や記憶まで奪っている。堀内と過ごした時間を覚えていないのは病のせいだ。せめてそう思いたい。
「すまないね。無駄足になってしまった」
もう一度詫びる彼に首を振って、ホテルに戻ることになった。警備会社とハウスキーパーを頼んでいて、彼の身の回りのことは心配ないのだという。
「荒れているときは一人にしてほしいみたいでね」
自分が世話をしたくない訳ではない。彼は誰より息子のことを分かっているのだ。
「お詫びに少し観光でもしようか」
その提案に付き合うことにしたのは、彼がまだ息子の傍を離れたくないだろうと思ったから。というのは言い訳で、一瞬でまたよくなった彼が、追いかけてきてくれるのではないかと僅かな希望に縋ったからだ。だがそんな都合のいいことは起こらない。ぽつぽつと息子のことを語る彼と街を巡って、もう一度会うことはできずに帰ることになったのだ。
堀内と合田の間に残ったのは、弱い輝きを宿す石のネックレスだけ。高い石ではないし、輝きも揺らぐものに、何故ここまで惹かれるのだろう。無職ですることがないから、部屋で石を眺めながら彼を想う。想えば苦しい。せめてもう一度会いたい。想いだけが募っていく。
敬助にもう一度別荘に行きたいと言ってみようか。そう思い始めた頃、意外にも動いたのは合田だった。別荘の空調設備が古くて、暑さに耐えきれなくなった彼が元のマンションに戻る。それに合わせて敬助が彼に副社長のポジションを用意するという。
「甘いと思うだろうが、デザイン部でも企画部でも働けない息子に、なんとかやりがいを見つけてほしくてね。副社長なら、私が社長のうちはある程度自由に仕事が選べるから」
また食事に誘ってくれた敬助が打ち明けてくれた。好都合だ。今日を逃がせばこんな機会はもうない。その気持ちが堀内を大胆にさせる。
「俺を彼の秘書にしてくれませんか?」
どうすれば再会できるだろうと考えて、見つけ出した答えだった。
「きっとお役に立てる筈です。秘書が無理なら運転手でも掃除係でもなんでも構いません。俺に合田さんの傍で働かせてもらうことはできないでしょうか?」
体裁など構っていられない。個室の座敷でほとんど土下座の状態で頼み込んだ。
「頭を上げてくれ」
慌てた彼が堀内の肩に触れて顔を上げさせてくれる。
「実はこっちから頼もうと思っていたんだ。君の仕事ぶりは知っているから」
「さっきの貸して」
窓の傍までやってきた彼がネックレスを受け取り、堀内の首に下げてくれる。
「やっぱり似合う」
「ありがとう。大事にします」
「うん。ずっとつけていて」
約束を交わして堀内は帰っていく。自分の人生で、こんな現実離れしたことが起きるなんて思わなかった。よく知らない男と過ごして後悔していないなんて自分らしくない。けれどそんな自分が嫌いではない。ずっと彼の姿が頭から離れなくて、鼓動はいつもより少し速めを保ったままだ。こんなことで敬助に隠し通せるだろうか。知らん顔でもう一度合田に会いに行けるだろうか。そう悩むことすら、中毒性のあるお菓子のように胸を昂らせる。そっとホテルのフロントを通過して部屋に戻った。シャワーを浴びてベッドに横になってもドキドキが消えない。敬助と合流してまたあの別荘に向かう。女神だと言った男がまた現れたら、彼はどんな反応をするだろう。いや、反応などどうでもいい。堀内がただ彼に会いたいのだ。一時間は寝られるのに、鎮まらない胸を抱えて全く眠れない時間を過ごす。
現実を知る羽目になったのは数時間後だ。予定通り敬助と合流して別荘に向かって、別人のように冷たい彼と再会してしまった。
「誰だ、お前?」
そう言い放った彼に、初めなんの冗談だと思った。
「いい加減にしろよ。勝手に他人を連れてくるなと言っただろ?」
あっさりと彼は敬助へと視線を逸らしてしまう。息ができないほど傷ついた。退職にすら動じなかった自分が、今は苦しくて、行き場のない感情を巡らせている。
「帰れ」
「待って」
玄関を閉められそうになって、慌ててドアを掴んだ。
「さっき……」
「俺に近づくな」
凍りつくような声で言って、乱暴に手を払ってドアを閉められた。
「すまない。嫌な思いをさせてしまった」
敬助にいいえと応じながら、これが彼の病なのだと思い知った。病が彼の正常な感情や記憶まで奪っている。堀内と過ごした時間を覚えていないのは病のせいだ。せめてそう思いたい。
「すまないね。無駄足になってしまった」
もう一度詫びる彼に首を振って、ホテルに戻ることになった。警備会社とハウスキーパーを頼んでいて、彼の身の回りのことは心配ないのだという。
「荒れているときは一人にしてほしいみたいでね」
自分が世話をしたくない訳ではない。彼は誰より息子のことを分かっているのだ。
「お詫びに少し観光でもしようか」
その提案に付き合うことにしたのは、彼がまだ息子の傍を離れたくないだろうと思ったから。というのは言い訳で、一瞬でまたよくなった彼が、追いかけてきてくれるのではないかと僅かな希望に縋ったからだ。だがそんな都合のいいことは起こらない。ぽつぽつと息子のことを語る彼と街を巡って、もう一度会うことはできずに帰ることになったのだ。
堀内と合田の間に残ったのは、弱い輝きを宿す石のネックレスだけ。高い石ではないし、輝きも揺らぐものに、何故ここまで惹かれるのだろう。無職ですることがないから、部屋で石を眺めながら彼を想う。想えば苦しい。せめてもう一度会いたい。想いだけが募っていく。
敬助にもう一度別荘に行きたいと言ってみようか。そう思い始めた頃、意外にも動いたのは合田だった。別荘の空調設備が古くて、暑さに耐えきれなくなった彼が元のマンションに戻る。それに合わせて敬助が彼に副社長のポジションを用意するという。
「甘いと思うだろうが、デザイン部でも企画部でも働けない息子に、なんとかやりがいを見つけてほしくてね。副社長なら、私が社長のうちはある程度自由に仕事が選べるから」
また食事に誘ってくれた敬助が打ち明けてくれた。好都合だ。今日を逃がせばこんな機会はもうない。その気持ちが堀内を大胆にさせる。
「俺を彼の秘書にしてくれませんか?」
どうすれば再会できるだろうと考えて、見つけ出した答えだった。
「きっとお役に立てる筈です。秘書が無理なら運転手でも掃除係でもなんでも構いません。俺に合田さんの傍で働かせてもらうことはできないでしょうか?」
体裁など構っていられない。個室の座敷でほとんど土下座の状態で頼み込んだ。
「頭を上げてくれ」
慌てた彼が堀内の肩に触れて顔を上げさせてくれる。
「実はこっちから頼もうと思っていたんだ。君の仕事ぶりは知っているから」