冷徹秘書のムーンストーン

 芸術家特有の感性を向けられて、リアリズムの塊のような堀内は困ってしまう。彼の瞳に人をからかう色はない。
「俺は……」
 敬助の知り合いだと告げようとして、そこでふと、心を弱らせた人間の言葉は否定してはいけないと、以前どこかで読んだ気がした。『彼の父の知り合い』は否定ではないが、ここは話に乗ってやった方がいいかもしれないと思う。
「今日は波が静かですから」
 そう言えば、彼が満足げに目を細めた。その顔に心を掴まれる。決して女性のような顔立ちではない。堀内と比べてずっと男らしい顔立ちが、親に褒められた少年のような顔を見せる。嬉しいのに、それをそのまま表わすのは恥ずかしい。でも隠せないという感じの、とても好ましい顔。だが実際少年ではないから、その美しい男性がそんな表情を見せる様が、堪らなく魅力的に見える。
「やっぱりここに来て正解だった。都会じゃ女神になんて会えないから」
 警戒もなく堀内を中に入れてくれた彼の言葉は、とても危ういものだった。精神の病について詳しい訳ではないが、言葉も視線も現実感がない。だが見た目や所作が美しいから、まるで彼の方が正しいような錯覚に陥りそうで、気を抜けば引き摺り込まれてしまいそうだ。
「……何を作っているんですか?」
 部屋に入れておきながら、また座り込んで作業に戻ってしまった彼に、そっと聞いてみた。
「なんでもいい。でも綺麗なものがいい」
 堀内を拒絶する感じはないから更に彼に近づいた。フローリングにスタンドライトだけという空間で、彼が座る部分にだけマットが敷いてある。細かな部品が入っているベロア素材のケースが開いていて、傍に先端の形が違うペンチがいくつも置かれている。その隣にプラスチックケース。ベロアケースの中には一目で高価だと分かる材料が沢山入っているのに、観察していれば、彼が手にするのはプラスチックケースの材料ばかりだ。天然石だろうか。色と形がバラバラの石とシルバーのボールチェーンは、扱いの差から見てそれほど高価なものではない。
「こっちの材料は使わないんですか?」
 ベロアケースの方を指して聞いてみた。
「今の俺が触ると怒るから」
「怒るって誰が?」
「石もチェーンも」
 また不思議な台詞が返ってきて困った。そういえば高価な石や金属を扱えなくなったと敬助が言っていた。シルバーが扱えるならプラチナだって似たようなものだろう。堀内の感覚ではそうだが、彼の中には譲れないルールがあるのだろう。
「残念。女神が来たから大丈夫だと思ったのに」
 然程落ち込みのない声で言って、彼は天然石を握ったまま床にころんと横になってしまった。
「眠るなら寝室の方がいいんじゃないですか?」
「ここでいい。寝室まで行くのが面倒だから」
 子どもかよ。心でそう突っ込んで、彼の身体を支えるようにして立ち上がらせた。
「運んであげます。寝室はどこですか?」
 特に反抗もせず左のドアを指すから、彼の腕を肩に回して連れていった。ベッドの毛布は起きたときのままという感じだし、脱いだ衣服がそのまま放り出してあるが、物が多くないから嫌な感じはしない。剥き出しのコンクリートが斬新な寝室で、簡素なベッドの上に彼を寝かせてやった。毛布を掛けてやってベッドの端に座る。そのまま親が子にするように胸元を優しく叩き続けた。年齢は彼の方が四つ上だが、今の彼はずっと年下に見える。幼少期から多くのものを一人で背負ってきた彼だ。少しくらい、こうして人に甘えて休む時期があってもいい。力になれるのならなってやりたい。利己的な自分には珍しく、眠る彼の顔にそんなことを思う。
「……っ」
 すっかり油断していて、彼に手を掴まれて本気で驚いた。
「俺が寝たら帰る?」
 意外なほど強い力で堀内の身体の自由を奪ってしまう。
「しばらくいるつもりです」
「でも朝になったら帰るつもりだ」
 突然強い調子で言ったかと思うと、彼はいとも簡単に堀内をベッドに引き摺り込んでしまう。
「ちょっと、何するんですか!」
 毛布を除けて覆い被さってくる彼に厳しい声を向けるが、その表情は変わらなかった。獲物でも見るように見下ろされて、今夜初めてここに来たことを後悔する。もしかしたら、堀内が思うよりずっと病んでいるのではないか。人ではないものだから命を奪ってもいいと思っていたら? 相手の行動が読めずに、冷静さを保つ顔と裏腹に、胸がバクバクと音を立てる。
「ごめん。欲しくなった」
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