冷徹秘書のムーンストーン
「職場の人間関係に失敗して退職した人間です」
「そんなことは人間の本質とは関係ない」
言い切られてしまえば反論しようがない。
「とにかく、ずっと一人きりでいる状況は避けてやりたいんだ。会って少し話してみるだけでいい」
別荘の近くに知り合いが経営するホテルがあるから、観光だと思ってくれていい。合田が拒絶反応を見せるようなら、すぐに回れ右をしてくれていい。危険な目には遭わせないし、費用は全てこちらが出す。そこまで言われれば断れなかった。おこがましい気持ちだろうが、華やかに活躍してきた彼が、今は古びた別荘に籠もっているというのが不憫に思えた。できることがあるなら協力すればいい。どうせ暇だ。
そんな事情で海の傍の街への一泊旅行になった。夕方到着して夕食だけ一緒に摂って、翌朝ロビーで待ち合せて合田の別荘に向かう。そんなざっくりした予定だったから、夜は一人で観光してみようと思っていた。
だが当日、敬助が仕事のトラブルで来られなくなった。経営者ならそんなこともあるだろう。別荘行きは中止かと思ったが、翌朝合流するから予定通りホテルで寛いでくれと言われて、素直に向かうことにする。「世話になった人だから、手厚くもてなしてやってくれ」
敬助が事前にそう言っていたらしく、部屋にしても料理にしても、堀内にはもったいないほどの扱いだった。もし自分がまだ行員なら、接待を疑われるだろう。そんなおかしなことを思いながら、食後に散歩に出てみることにする。
偶然、すぐ傍の商店街で夜市が開かれる夜だった。飲食物をメインに沢山の出店が出ているという。だが生憎堀内は捻くれ者で混雑嫌いだ。ホテルの人間に教えられた街へのルートとは逆に歩いて、気がつけば海の傍まで出ていた。ごつごつした岩が浜辺にも海面にも多くて、遊泳にも観光にも向かないような一角。その岩陰に身を隠すように、コンクリートの平屋建てが見えた。おおよその場所は聞いていたから、それが合田の別荘に違いないと分かる。
さて。予定より早く、それも一人で来てしまったが、どうしようか。勝手なことをするなと叱られるだろうか。そう逡巡したのは僅かな時間で、堀内は建物を目指して進んでいた。地図もなく勘に頼って歩いた結果辿り着いたのなら、今夜合田と会うという巡り合わせなのかもしれない。規則的に聞こえてくる波音と、青い空間に降り注ぐ月明かりのせいで、そう非科学的なことを考える。そんな幻想的な夜も悪くない。
敬助は古びた別荘と言っていたが、全くそんな印象はなかった。寧ろモダンなコンクリート造りという表現がぴったりな建物。足場はあまりよくなくて、有り合わせの石を並べて造ったような階段を上っていく。
「流石……」
建物前に着いたところで思わず零れた。敬助が拘って造らせたものなら流石のセンスだ。無駄のないコンクリートの外壁を間接照明が照らしている。平らの屋根も太い柱も、お洒落なのに災害に強い造りになっている。堀内が持つ別荘のイメージとは全く違う。
しばらく建物に見惚れていたが、ふとここに来た目的を思い出した。部屋の灯りが点いているから在宅なのだろう。夜分にすみません。お父様の知人の堀内といいます。頭でシミュレーションをしながら、玄関と思われる部分まで歩いていく。
だが玄関チャイムは鳴らなかった。多分壊れているのではなく電源を切っている。なるほど、それなら鍵を持っている敬助と一緒でなければ彼に会えない。それでも諦めきれずに、玄関を離れて壁伝いに歩いてみる。リビングだろうか、広い掃き出し窓の部屋を覗いて、そこにフローリングに直に座って作業する彼を見つける。合田巧だと分かった瞬間、自分でも驚くほど気持ちが昂ぶった。
Webニュースで写真を見たことがある程度だが、そんな堀内さえ惹きつけてしまうほど、写真より更に美しい男。手元で何やら金属を弄っている。休業中だと聞いたが、アクセサリー作りをしているのだろうか。作業をするのに不便だろうに、スタンドライトの光だけで手を動かし続ける。部屋が薄暗いから、青白い空間に月明かりが差し込むようだ。
「……っ」
突然こちらに顔を向けた彼に、心臓が止まるかと思った。動けないでいるうちに、立ち上がった彼がこちらにやってくる。彼に見惚れていただけだが、何をしていたと聞かれればなんと答えていいか分からない。それでも逃げ去ろうとは思わない。
「女神?」
窓を開けた彼が放った言葉は、堀内の想像を超えていた。
「海から来たの?」
「そんなことは人間の本質とは関係ない」
言い切られてしまえば反論しようがない。
「とにかく、ずっと一人きりでいる状況は避けてやりたいんだ。会って少し話してみるだけでいい」
別荘の近くに知り合いが経営するホテルがあるから、観光だと思ってくれていい。合田が拒絶反応を見せるようなら、すぐに回れ右をしてくれていい。危険な目には遭わせないし、費用は全てこちらが出す。そこまで言われれば断れなかった。おこがましい気持ちだろうが、華やかに活躍してきた彼が、今は古びた別荘に籠もっているというのが不憫に思えた。できることがあるなら協力すればいい。どうせ暇だ。
そんな事情で海の傍の街への一泊旅行になった。夕方到着して夕食だけ一緒に摂って、翌朝ロビーで待ち合せて合田の別荘に向かう。そんなざっくりした予定だったから、夜は一人で観光してみようと思っていた。
だが当日、敬助が仕事のトラブルで来られなくなった。経営者ならそんなこともあるだろう。別荘行きは中止かと思ったが、翌朝合流するから予定通りホテルで寛いでくれと言われて、素直に向かうことにする。「世話になった人だから、手厚くもてなしてやってくれ」
敬助が事前にそう言っていたらしく、部屋にしても料理にしても、堀内にはもったいないほどの扱いだった。もし自分がまだ行員なら、接待を疑われるだろう。そんなおかしなことを思いながら、食後に散歩に出てみることにする。
偶然、すぐ傍の商店街で夜市が開かれる夜だった。飲食物をメインに沢山の出店が出ているという。だが生憎堀内は捻くれ者で混雑嫌いだ。ホテルの人間に教えられた街へのルートとは逆に歩いて、気がつけば海の傍まで出ていた。ごつごつした岩が浜辺にも海面にも多くて、遊泳にも観光にも向かないような一角。その岩陰に身を隠すように、コンクリートの平屋建てが見えた。おおよその場所は聞いていたから、それが合田の別荘に違いないと分かる。
さて。予定より早く、それも一人で来てしまったが、どうしようか。勝手なことをするなと叱られるだろうか。そう逡巡したのは僅かな時間で、堀内は建物を目指して進んでいた。地図もなく勘に頼って歩いた結果辿り着いたのなら、今夜合田と会うという巡り合わせなのかもしれない。規則的に聞こえてくる波音と、青い空間に降り注ぐ月明かりのせいで、そう非科学的なことを考える。そんな幻想的な夜も悪くない。
敬助は古びた別荘と言っていたが、全くそんな印象はなかった。寧ろモダンなコンクリート造りという表現がぴったりな建物。足場はあまりよくなくて、有り合わせの石を並べて造ったような階段を上っていく。
「流石……」
建物前に着いたところで思わず零れた。敬助が拘って造らせたものなら流石のセンスだ。無駄のないコンクリートの外壁を間接照明が照らしている。平らの屋根も太い柱も、お洒落なのに災害に強い造りになっている。堀内が持つ別荘のイメージとは全く違う。
しばらく建物に見惚れていたが、ふとここに来た目的を思い出した。部屋の灯りが点いているから在宅なのだろう。夜分にすみません。お父様の知人の堀内といいます。頭でシミュレーションをしながら、玄関と思われる部分まで歩いていく。
だが玄関チャイムは鳴らなかった。多分壊れているのではなく電源を切っている。なるほど、それなら鍵を持っている敬助と一緒でなければ彼に会えない。それでも諦めきれずに、玄関を離れて壁伝いに歩いてみる。リビングだろうか、広い掃き出し窓の部屋を覗いて、そこにフローリングに直に座って作業する彼を見つける。合田巧だと分かった瞬間、自分でも驚くほど気持ちが昂ぶった。
Webニュースで写真を見たことがある程度だが、そんな堀内さえ惹きつけてしまうほど、写真より更に美しい男。手元で何やら金属を弄っている。休業中だと聞いたが、アクセサリー作りをしているのだろうか。作業をするのに不便だろうに、スタンドライトの光だけで手を動かし続ける。部屋が薄暗いから、青白い空間に月明かりが差し込むようだ。
「……っ」
突然こちらに顔を向けた彼に、心臓が止まるかと思った。動けないでいるうちに、立ち上がった彼がこちらにやってくる。彼に見惚れていただけだが、何をしていたと聞かれればなんと答えていいか分からない。それでも逃げ去ろうとは思わない。
「女神?」
窓を開けた彼が放った言葉は、堀内の想像を超えていた。
「海から来たの?」