冷徹秘書のムーンストーン

 無駄にクラクションを鳴らして叫び出したかった。手のひらの石が陽の光を受けて妖しい光を見せる。その不安定な輝きに惹かれるように、堀内はあの日からずっと合田の虜なのだ。
「──息子に会ってみてくれないだろうか?」
 そんなきっかけをくれたのは敬助だった。予定外の退職で時間を持て余していた時期だ。辞めた事情が事情だから、気が済むまでぼんやりしようと思っていた。
「銀行を辞めたと聞いた。よければ食事に行かないか?」
 電話でそう言われたとき、堀内に断る理由はなかった。
「聞いているかもしれませんが、職場の人間関係で上手く立ち回れなかったんです。随分な悪者になってしまったので、面倒になって辞めました」
 部屋ごとに石燈籠の庭が見渡せる料亭で会って、食事をしながら白状した。人生経験豊富な彼に隠しても仕方がないと思ったのだ。
「それは気の毒だったけど、それほど落ち込んでいる感じはないね。寧ろすっきりしている印象だ」
「はい。自分でも不思議なほど気持ちが穏やかなんです」
 伊勢海老のお造りのあと、和牛のロースト、鯛茶漬けと続く料理は、以前仕事で会っただけの若造に振る舞うには贅沢すぎた。だが美容ローラーのヒットで乗りに乗っている会社社長に支払いの話をするのも失礼というものだ。ここは素直にご馳走になろう。そう腹を決めて、見た目も味も申し分ない料理を堪能する。
「実は私も君に白状したいことがあってね」
 デザートの和栗と安穏芋のティラミスにスプーンを入れたところで、彼が初めから決めていたように言った。
「息子がいるんだが、このところずっと体調がよくないんだ」
「合田巧さんですよね? デザイナーの活動も会社の仕事もお休みしているとニュースに出ていましたけれど」
 彼は人気ジュエリーデザイナーというだけでなく、会社の広報としてモデルのようなこともしていたのだ。自身の作品や会社の新商品を纏って、美しく立つ姿が女性誌に何度も取り上げられた。あくまで広報で芸能人ではないからとポーズは控えめだが、その雑誌の他の誰より人の心を惹きつける。合田金属販売の御曹司で、そこらの芸能人より美しい男。ジュエリーデザインの才能だけでなく、次期社長としての才覚も持ち合わせた宝石王子。宝石に興味のない堀内でさえ知っていたのだ。
「何かご病気なのですか?」
 聞いてもいいものだろうかと思いながら聞けば、静かに微笑んだ彼が煎茶の茶碗を置いた。
「心の病気なんだ」
「えっと、それは」
 流石に返す言葉に困ってしまう。
「全部私の不甲斐なさが招いたことなんだが」
 そう切り出された話は、堀内の退職事情とは比べものにならない重さだった。敬助の不倫スキャンダルで妻の華子が倒れてしまった。彼女の病院にマスコミが押し掛けたことで、居合わせた合田がキレて、そのまま彼までメンタルの調子を崩してしまった。彼は子どもの頃から虐待してきた母親ではなく、ずっと家族を護れなかった父親を恨んでいる。そうして会社の仕事もデザイナーの仕事もできなくなった。もう悩むだけ悩んだということなのか、淡々と彼の言葉は続いていく。
「それで、今彼はどこにいるんですか?」
「私が所有する別荘にいる。古い建物なんだが、海の傍にあって、妻が転院した先の病院からも近いんだ」
 そこで誰も寄せつけず、彼は一人過ごしているという。
「不安障害の診断が出たんだが、病院に通おうとしない。体格や体力は普通の男性だから、引っ張っていく訳にもいかないだろう? 一応、週に一度医師や家政婦を向かわせてはいるが、とにかく人の好き嫌いが激しいんだ。法則性が分かれば好かれるような人間に行ってもらうんだが、父親なのに、なかなか巧の感覚は難しくてね」
「……なるほど」
 そこまで他人に話してしまっていいのだろうか。そう案じる堀内に、彼が改めてまっすぐ視線を向ける。
「一度息子に会ってみてくれないだろうか?」
 思いも寄らない申し出だった。
「俺は医学のことなんて何も分かりません。巧さんのことだって、以前マスコミに出ていた程度のことしか知りませんし、とても役に立つとは思えません」
「何かしてほしいという訳じゃないんだ。今は会いに行く人間のほぼ全てを拒絶しているから、少しでも味方だと思えるような人間と会わせてやりたい」
 何故それが堀内だと思うのだろう。その疑問を読んだように、彼が眉を下げて笑ってみせる。
「堪のようなものだ。君は誠実でとても気持ちのいい人間だ」
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