冷徹秘書のムーンストーン

 そんな常連らしいことを言って、ごく自然に給仕にきた仲居にねだってしまう。裏メニューというものは本当に存在するらしく、三つの産地の茶葉をブレンドしたオリジナルの煎茶と、それをソーダで割った煎茶ソーダが出てきて驚いた。合田が日々しでかす事件以外で驚くのは久しぶりだ。驚いたあと頭を悩ませなくていいのはなんて楽なのだろう。そんな、多分当たり前のことをしみじみと感じる。
 高井が選んでくれた手毬寿司懐石は見た目も美しかった。海老や錦糸卵が華やかで、流石彼のセンスだと思う。
「おいしい」
「よかった。堀内さんに喜んでほしくて、約束してからずっとどの店がいいか考えていたんだ」
 子どものような笑顔に困ってしまう。
「さっきも言いましたけど、俺相手にそんな労力を掛けることはないのに。碌に挨拶もせずに辞めて、連絡もしなかった失礼な奴なんですから」
 そこのところをどう思っているのか知りたくて言ってみるが、彼の態度は変わらない。
「失礼だなんて。落ち着いたら連絡すると言われていたのに、落ち着く前に我慢できなくて会いに来てしまった僕の方がずっと失礼だしね」
 その言い方に瞬いてしまう。
「合田金属販売の副社長秘書をしているんでしょう?」
「まぁ」
「それならまだまだ大変な筈だから」
 何故こちらの内情を知っているのだろう。その疑問が顔に出ていたらしく、彼が眉を下げて笑う。懐かしい、泣きそうに見える笑顔だ。
「ごめん。父の知り合いには色々な業種の社長がいて、聞こうとしなくても情報が入ってくるんだ」
 ああ、なるほどと思う。
「うちの副社長についてどれだけ知っているんですか?」
 聞けば彼が珍しく困り顔になった。だがすぐに覚悟を決めたように堀内をしっかりと見据える。
「メンタルを弱らせて、あちこちでトラブルを起こしているって聞いた。副社長というのも肩書だけだって。秘書や弁護士がトラブル収束に奔走しているって噂もね」
 ごめん、気を悪くした? と聞かれて首を振る。残念だが全て事実だ。
「彼については色々話せないから、初めから知っていてくれる人は気が楽かな」
「それだけいつも張り詰めているんだ」
「そうでもないけど」
 少なくとも行員時代よりは楽に生きている。それは本音だが、胸に複雑なものを抱えているから、無理をしているように見えてしまったかもしれない。
「本当に仕事に不満はないんだ」
 悩むとすれば、これだけ傍にいても全く掴めない合田の気持ちについてだ。ただの秘書としか思っていないのならそれでいい。堀内と過ごした一夜を忘れたと言うなら諦めもつく。だが彼の態度はあのときくれたムーンストーンのシラーのように曖昧だ。見る人によって色も輝きも違う。高価な金属を扱えないのに、どうして俺にはプラチナのネックレスをくれたんですか? そう聞いてやったらどんな答えが返ってくるだろう。彼の我が侭に疲れたとき考えてしまう。けれどそれが彼を傷つけてしまうかもしれないから思い留まる。扱えないとはっきり認識している訳ではなく、ただなんとなく避けているだけかもしれない。ある日ふっと回復するかもしれないのに、「高価な宝石や金属で制作ができない」という現実を突きつければ、彼が再起不能になる可能性だってあるのだ。堀内の想いなどあとでいい。今はとにかく合田に少しでも回復してほしい。
「デザートを運んでもらおうか」
 らしくもなく自分の思考に入ってしまっていた堀内を、高井の声が連れ戻してくれる。
「甘いものは大丈夫だったよね? 夏限定のデザートなんだ」
 合田の話は続けない方がいいと判断したのだろう。その気遣いと運ばれてきたデザートに、柄にもなく穏やかな気持ちになった。彼には人を心地よくする力がある。彼を求める人間はいくらでもいるだろうに、堀内のような不愛想な男とつるんでいてくれることがありがたい。
「綺麗だな」
「でしょう?」
 青い寒天に白餡が入った綺麗なデザートを楽しんで、もう一度頼んだ煎茶のソーダの感想を言い合ったところで、お開きにすることにした。高井がカードでスマートに支払いを済ませてしまうが、レジに出てきた女将の唇の動きからおおよその料金は分かってしまう。
「俺の想像以上の金額でしたから、少しでも出させてください」
18/46ページ
スキ