冷徹秘書のムーンストーン
高井素直とは同期だった。新人研修のあと同じ営業店に配属になって、一年目はほぼ同じ仕事をしていたのだ。
余計な人間関係に悩まされるつもりはない。俺が嫌いなら悪口でも嫌がらせでも好きにすればいい。そんな一匹狼の変わり者だった堀内に、高井は邪気の欠片もなく近づいてきた。
「堀内さんは凄いね。同期なのに、ずっと前からいる先輩みたい」
そんな風に言う彼を、初めは本気で何かの罠なのかと思った。だが彼のバックボーンを知るにつれ、その天真爛漫さの理由を理解する。
彼は日本有数の建築関連会社の御曹司だった。それも成り上がりの経営者一族ではなく、世が世なら話をすることもできないような家柄。そんな家で、辛い苦しいはもちろん、悪意とも無縁に育った彼が堀内には眩しかった。世間ではよく『金持ちは性格が悪い』などと言うが、堀内は逆だと思う。日々の暮らしに困らない者は人を恨んだりしない。余りある時間で精神の鍛練を積んだりするのだから、更に素晴らしい人間ができあがって当然だ。そんな今時マンガにも出てこないような彼は、何故か堀内に懐いた。仕事はできるのに、キャパ以上の仕事を抱えて困っているときには手を貸してやりたくなる。
「嬉しいな。手伝ってくれてありがとう、堀内さん」
仕事をてきぱきと片付けてしまえる自分より、そう言って笑う彼が羨ましかった。仕事はお金を稼ぐ手段で、この先も一人で生きていく。そう信じて疑わなかった堀内が、彼のお陰で少し気持ちを変えた。人生で一人か二人くらい、高井のような人間がいてもいいのかもしれないと、そう思えるようになっていたのだ。
そんな彼が窮地に立たされることになったのが、去年の四月。部署は変わっても同じ営業店のまま高井ともいい友人関係を続けていて、らしくもなく穏やかな日々に浸っていた時期に、彼を不幸が襲った。
よくある話だ。四月に配属された新入社員歓迎会で、高井がある後輩女性のターゲットになった。そして策略というものに慣れていない彼が立ち回りを失敗する。
居酒屋の座敷席で営業店全員で歓迎会にしようということになって、堀内も気乗りしないままその日の仕事を早回しで片付け終えた時間だった。ロッカーに向かう途中の廊下で、聞かれたくないのか聞いてほしいのか分からない声量で話す女性たちの話を耳にする。
「えー、顔はいいけど、あの純粋少年、落としても面白くなさそう。というか出世しなさそうじゃない?」
ロッカー室は下の階にあって、エレベーターでも階段でも、今彼女たちがいる場所を通らなければ遠回りになる。仕方なく踵を返そうとするが、そこで高井の名前が出た気がして足を止めた。
「それが、高井さんっていいとこのお坊ちゃんなんだって」
「あー、なんかそんな感じ」
「でしょ? 私今日烏龍茶しか飲まないから。それで酔ったフリをして送ってもらうんだ」
馬鹿馬鹿しい。面と向かってそう言ってやろうかと思うほど不快な会話だった。だがここで堀内が出しゃばれば、あとで高井が嫌な思いをするかもしれない。とにかく危ない計画だけは聞いておこうと、立ち聞きを続ける羽目になった。だが会場の居酒屋では女性陣が高井の周りを陣取ってしまい、傍で護ることができない。
『女性社員が高井さんを落としてやると躍起になっていました。念のため飲みすぎには気をつけて』
仕方なく、そんなメッセージを送って様子を見ることにしたのだ。彼は以前から職場の女性と恋愛する気はないと言っていた。少なくても余計なお世話にはならないだろう。時間を見て彼を連れて帰れば、恨まれるのは堀内だけで済む。そう思っていたのに、飲み会の場というのは不測の事態が起こるものだ。
新入社員の男性が飲みすぎで体調不良になり、堀内が病院に連れていくことになった。高井のことは心配だが、聡い彼だし、上司たちもいるから大丈夫だろう。そう思って、病院で点滴を受けた彼を家まで送って、堀内も帰宅したのだ。
だが大丈夫ではなかった。週明けに出社してみれば、そこに高井の姿がない。同じ部署の若手に聞いてみれば、「高井さんが重大なコンプラ違反を犯したらしい」と返ってくる。
「コンプラ違反?」
「それで一度来たんですけど、支店長に呼ばれて話をしたあとすぐ帰ったみたいですよ。噂だと自宅待機だとか」
余計な人間関係に悩まされるつもりはない。俺が嫌いなら悪口でも嫌がらせでも好きにすればいい。そんな一匹狼の変わり者だった堀内に、高井は邪気の欠片もなく近づいてきた。
「堀内さんは凄いね。同期なのに、ずっと前からいる先輩みたい」
そんな風に言う彼を、初めは本気で何かの罠なのかと思った。だが彼のバックボーンを知るにつれ、その天真爛漫さの理由を理解する。
彼は日本有数の建築関連会社の御曹司だった。それも成り上がりの経営者一族ではなく、世が世なら話をすることもできないような家柄。そんな家で、辛い苦しいはもちろん、悪意とも無縁に育った彼が堀内には眩しかった。世間ではよく『金持ちは性格が悪い』などと言うが、堀内は逆だと思う。日々の暮らしに困らない者は人を恨んだりしない。余りある時間で精神の鍛練を積んだりするのだから、更に素晴らしい人間ができあがって当然だ。そんな今時マンガにも出てこないような彼は、何故か堀内に懐いた。仕事はできるのに、キャパ以上の仕事を抱えて困っているときには手を貸してやりたくなる。
「嬉しいな。手伝ってくれてありがとう、堀内さん」
仕事をてきぱきと片付けてしまえる自分より、そう言って笑う彼が羨ましかった。仕事はお金を稼ぐ手段で、この先も一人で生きていく。そう信じて疑わなかった堀内が、彼のお陰で少し気持ちを変えた。人生で一人か二人くらい、高井のような人間がいてもいいのかもしれないと、そう思えるようになっていたのだ。
そんな彼が窮地に立たされることになったのが、去年の四月。部署は変わっても同じ営業店のまま高井ともいい友人関係を続けていて、らしくもなく穏やかな日々に浸っていた時期に、彼を不幸が襲った。
よくある話だ。四月に配属された新入社員歓迎会で、高井がある後輩女性のターゲットになった。そして策略というものに慣れていない彼が立ち回りを失敗する。
居酒屋の座敷席で営業店全員で歓迎会にしようということになって、堀内も気乗りしないままその日の仕事を早回しで片付け終えた時間だった。ロッカーに向かう途中の廊下で、聞かれたくないのか聞いてほしいのか分からない声量で話す女性たちの話を耳にする。
「えー、顔はいいけど、あの純粋少年、落としても面白くなさそう。というか出世しなさそうじゃない?」
ロッカー室は下の階にあって、エレベーターでも階段でも、今彼女たちがいる場所を通らなければ遠回りになる。仕方なく踵を返そうとするが、そこで高井の名前が出た気がして足を止めた。
「それが、高井さんっていいとこのお坊ちゃんなんだって」
「あー、なんかそんな感じ」
「でしょ? 私今日烏龍茶しか飲まないから。それで酔ったフリをして送ってもらうんだ」
馬鹿馬鹿しい。面と向かってそう言ってやろうかと思うほど不快な会話だった。だがここで堀内が出しゃばれば、あとで高井が嫌な思いをするかもしれない。とにかく危ない計画だけは聞いておこうと、立ち聞きを続ける羽目になった。だが会場の居酒屋では女性陣が高井の周りを陣取ってしまい、傍で護ることができない。
『女性社員が高井さんを落としてやると躍起になっていました。念のため飲みすぎには気をつけて』
仕方なく、そんなメッセージを送って様子を見ることにしたのだ。彼は以前から職場の女性と恋愛する気はないと言っていた。少なくても余計なお世話にはならないだろう。時間を見て彼を連れて帰れば、恨まれるのは堀内だけで済む。そう思っていたのに、飲み会の場というのは不測の事態が起こるものだ。
新入社員の男性が飲みすぎで体調不良になり、堀内が病院に連れていくことになった。高井のことは心配だが、聡い彼だし、上司たちもいるから大丈夫だろう。そう思って、病院で点滴を受けた彼を家まで送って、堀内も帰宅したのだ。
だが大丈夫ではなかった。週明けに出社してみれば、そこに高井の姿がない。同じ部署の若手に聞いてみれば、「高井さんが重大なコンプラ違反を犯したらしい」と返ってくる。
「コンプラ違反?」
「それで一度来たんですけど、支店長に呼ばれて話をしたあとすぐ帰ったみたいですよ。噂だと自宅待機だとか」