冷徹秘書のムーンストーン

 七月半ばの平日の夜、敬助に食事に連れていってもらった。いつも合田の世話をする堀内、佐藤、山瀬を労いたいという気遣いだ。三人ともプライベートでは縁がないような高級中華料理店の個室で、円卓を囲んで和やかな時間になった。だが単に楽しむための時間でないことは、しっかり防音の利いた個室が予約されていることから分かっている。
「この間は派手に暴れたようだね。迷惑を掛けて申し訳なかった」
「いえ。私が秘書として未熟でした。もう少し仕事相手を選べばよかったです」
 敬助に頭を下げられて慌てて否定する。
「フラッシュが苦手で、当日は家庭で使うようなカメラでプライベートに近い写真を撮るという約束だったのですが、押し切って本格的な撮影をするつもりでいたようです。フラッシュを使われた時点でストップして帰ることになっていたと思いますので、どのみち巧さんは悪くありません。佐藤さんが上手く処理もしてくれましたし」
「ああ、佐藤くんにも迷惑を掛けて悪かったね」
「とんでもない。僕は巧さんの専属弁護士ですから」
 卵型のレンズの眼鏡がよく似合う彼が、控えめに笑って応じる。静かな彼だが腕は確かで、先日の合田のトラブルは完全に闇に葬られた。お金を受け取った以上、守秘義務を守らなければどうなるか分からないと言って脅したらしい。
「三人のことは仕事振りも口の堅さも信頼している。巧がよくなるまで、どうか見捨てずに世話をしてやってくれ」
 もう一度頭を下げられて三人も同じように返す。そこで話が一区切りついたから、革紐の件は胸にしまうことにした。元々敬助はずっと、合田が虐待を受けていたことを知らなかったのだ。合田がメンタルの調子を崩して暴露したとき初めて知って、その後探偵を使って調べたという。革紐で打たれたことなどとっくに知っていても不思議ではない。
 母親の虐待を隠した子どもと、二十年以上経ってから知る羽目になった父親。どちらの気持ちを思っても胸が痛む。おまけにそれが原因の一つとなって、合田は今心を病んでいる。
 合田本人と山瀬から聞いたところによれば、母親の華子は周りにバレないように計画的に合田を痛めつけていたらしい。毎日会う運転手の山瀬ですら何年も気づかなかったのだから、相当周到だったのだろう。
 元々身体の弱い女性だったという。ほとんど会社のための見合い結婚だったが、いい病院を探したり、気の合う家政婦を雇ったり、時々自社のアクセサリーを贈ったりして、敬助は妻の彼女を大事にした。だがお嬢様育ちの彼女にとっては、満足のいく生活ではなかった。帰宅が遅く、仕事柄女性のいる店に飲みに行くことも少なくない。そんな夫に不満を募らせるが、夫を責め立てることは気位が許さない。その鬱憤が全て合田に向かったという訳だ。
 半袖でもバレない肩や背中や太腿を打たれたと合田は言った。お嬢様だった彼女は自分の手を使うような真似はしない。学校で使う縄跳びや、荷物を縛ってあるロープで子どもを打つ。金属は夫の商売道具だから使わないが、合田の身体には痣や擦り傷が絶えなかった。健康診断や予防接種で肌を見せなければならない時期には上手く隠す。そして合田も、母親に打たれていることを隠し通した。合田を打っていれば母親は機嫌よく過ごせる。聡い子どもだった彼はそれをよく分かっていた。たまに父親が早く帰った日に、ごく普通の家族団欒が過ごせる。それを楽しみに痛みと傷に耐える日々が続いてしまった。
 小学校高学年にもなれば身体も大きくなって、反撃を恐れた華子が彼を打つのをやめた。山瀬に勘付かれたというのもあるのだろう。だが虐待がなくなったからといって仲のいい母子になれる訳ではない。冷戦状態。合田はそんな言葉を使う。その頃創業者だった父を亡くした敬助はますます忙しくなり、合田の細やかな希望だった一家団欒もなくなった。それでも合田は腐らなかった。学業の傍らジュエリーデザインを学び、父親の会社に入って、デザイナー兼広報として活躍する。そのルックスを生かしてモデルの仕事も熟し、国家検定の貴金属装身具制作技能士の資格も取った。堀内には、母親に喜んでもらおうと藻掻く、若い彼の姿が見えるようだ。だが、そんな彼の努力を嘲笑うかのように不幸が襲う。週刊誌に敬助の不倫報道が出てしまったのだ。
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