冷徹秘書のムーンストーン
目覚めたときまた不機嫌にならないように、テーブルにメモを残して部屋を出る。腕時計に目を遣ればもう十時を過ぎていた。彼の部屋にいた方が楽だと分かっていて、それでもけじめとして泊まらないことにしている。
今日は疲れた。エレベーターで下りながら、もうずっと前のことのように思えるカメラマンとの事件を思い出す。大の大人が怒って物を壊すなど無茶苦茶だ。だがその堀内には決して真似できない無茶苦茶さ加減に惹かれてしまう。思えば、海の見える別荘で初めて会ったときから彼は異質で魅力的だった。
建物の灯りの下で習慣のように胸からムーンストーンを取り出してみる。不安定な青い輝きが現れるのもいつものことで、進歩のない現実が流石に空しくなる。
「弱気になってどうする」
思考のループから抜け出して敷地を出ていけば、短く二度クラクションを鳴らされた。
「堀内さん、こっちです」
「山瀬さん」
いつから待っていたのか、プライベートの車に乗り換えた彼が手招いてくれる。
「帰りは自腹でタクシーだろうなと思ったので、会えたら乗せて帰ろうと思って待っていたんです。泊まるようなら帰ろうと思ったんですけど」
「助かります。今日は流石に疲れたので」
乗り込みながら零せば、堀内よりずっと前から合田の世話をしている彼が控えめに笑った。
「堀内さんが秘書になってくれて、私も佐藤さんも本当に感謝しているんです」
車を発車させながら彼が言う。
「坊ちゃんが荒れ始めた当初は佐藤さんと私と家政婦さんでなんとかしようとしたんですけど、到底無理でね。家政婦さんは何人か辞めてしまうし。そこに神の助けのように堀内さんが現れたって、旦那様も仰っているんですよ」
「……前職が銀行員ですから、口の堅さだけは信頼してもらえたんでしょうね」
「それだけじゃありませんよ。堀内さんが傍にいるようになってから、坊ちゃんの状態も目に見えて落ち着いていますし」
器用に車を走らせながら、山瀬は子どものように可愛がってきた合田の話を続ける。
「甘いと思われるかもしれませんが、坊ちゃんには痛い苦しいなく過ごしてもらえれば充分だと思っているんです。子どもの頃から苦しんできたんです。大人になってから少しくらい我が侭を言ってもいいじゃないですか」
半分は同意なので頷いて返す。合田家の一人息子の彼は、長い間母親から虐待を受けてきたという。上手く隠されて何年も合田の苦しみに気づけなかった。それが山瀬の胸に後悔となって残っている。
「ああ、すみません。疲れさせないように迎えにきた筈なのに、嫌な話を」
「いえ。巧さんの話を聞けるのはありがたいです」
堀内の部屋の近くのコンビニで彼は車を止めてくれた。
「どうかあまり無理をしないでください。土日の『待機』もいつでも代わりますから」
「ありがとうございます」
じゃあ、また来週。そう言って彼は車を回して帰っていった。主は合田なのに、こうして堀内まで気遣ってくれるのがありがたい。
「味方がいる。大丈夫」
もう一度取り出したムーンストーンを眺めて、自身を鼓舞するように呟いていた。
今日は疲れた。エレベーターで下りながら、もうずっと前のことのように思えるカメラマンとの事件を思い出す。大の大人が怒って物を壊すなど無茶苦茶だ。だがその堀内には決して真似できない無茶苦茶さ加減に惹かれてしまう。思えば、海の見える別荘で初めて会ったときから彼は異質で魅力的だった。
建物の灯りの下で習慣のように胸からムーンストーンを取り出してみる。不安定な青い輝きが現れるのもいつものことで、進歩のない現実が流石に空しくなる。
「弱気になってどうする」
思考のループから抜け出して敷地を出ていけば、短く二度クラクションを鳴らされた。
「堀内さん、こっちです」
「山瀬さん」
いつから待っていたのか、プライベートの車に乗り換えた彼が手招いてくれる。
「帰りは自腹でタクシーだろうなと思ったので、会えたら乗せて帰ろうと思って待っていたんです。泊まるようなら帰ろうと思ったんですけど」
「助かります。今日は流石に疲れたので」
乗り込みながら零せば、堀内よりずっと前から合田の世話をしている彼が控えめに笑った。
「堀内さんが秘書になってくれて、私も佐藤さんも本当に感謝しているんです」
車を発車させながら彼が言う。
「坊ちゃんが荒れ始めた当初は佐藤さんと私と家政婦さんでなんとかしようとしたんですけど、到底無理でね。家政婦さんは何人か辞めてしまうし。そこに神の助けのように堀内さんが現れたって、旦那様も仰っているんですよ」
「……前職が銀行員ですから、口の堅さだけは信頼してもらえたんでしょうね」
「それだけじゃありませんよ。堀内さんが傍にいるようになってから、坊ちゃんの状態も目に見えて落ち着いていますし」
器用に車を走らせながら、山瀬は子どものように可愛がってきた合田の話を続ける。
「甘いと思われるかもしれませんが、坊ちゃんには痛い苦しいなく過ごしてもらえれば充分だと思っているんです。子どもの頃から苦しんできたんです。大人になってから少しくらい我が侭を言ってもいいじゃないですか」
半分は同意なので頷いて返す。合田家の一人息子の彼は、長い間母親から虐待を受けてきたという。上手く隠されて何年も合田の苦しみに気づけなかった。それが山瀬の胸に後悔となって残っている。
「ああ、すみません。疲れさせないように迎えにきた筈なのに、嫌な話を」
「いえ。巧さんの話を聞けるのはありがたいです」
堀内の部屋の近くのコンビニで彼は車を止めてくれた。
「どうかあまり無理をしないでください。土日の『待機』もいつでも代わりますから」
「ありがとうございます」
じゃあ、また来週。そう言って彼は車を回して帰っていった。主は合田なのに、こうして堀内まで気遣ってくれるのがありがたい。
「味方がいる。大丈夫」
もう一度取り出したムーンストーンを眺めて、自身を鼓舞するように呟いていた。