冷徹秘書のムーンストーン
副社長というのは酷く曖昧なポジションだ。切れ者で社長以上に力を持つ副社長もいれば、使いものにならない身内の体裁のために、肩書きを与えられただけの者もいる。堀内 が世話をするのは残念ながら後者だ。
「合田 は到着が遅れておりますので、先に私の方でご説明させていただきます」
健康雑誌の出版社の会議室で資料を広げれば、向かいの二人の男が顔を見合わせて、苦笑のようなものを見せた。上司の方が鬼頭で若い方が杉村。仕事相手の顔と名前を記憶するのは秘書の必須スキルだ。
「やっぱりまだ体調はよくない感じですか?」
鬼頭が笑いながら聞いてくる。柔らかな言葉だが、直訳は「引き受けると決めた仕事の時間くらい守れよ」だ。だがそれに怯えるようでは合田金属販売の副社長兼ジュエリーデザイナー、合田巧 の秘書などやっていられない。
「体調に波があります。こちらに向かっていますので今日はだいぶいいのでしょう。ご心配なく」
合田の秘書になって一年。彼の素行に引け目を感じる時期などとうに過ぎた。遅刻しておいて体調がいいと言うのもおかしな話だが、下手に出ることはしない。
「では資料をご覧いただいて」
堀内がちょっとやそっとの嫌味に動じる男ではないと分かったのだろう。相手も大人しく資料を開く。元々、体調によっては最悪当日キャンセルもあると念押しして引き受けた仕事だ。朝から不機嫌だった合田も漸く運転手の車に乗ったと連絡が入った。問題はない。
「取材という形でこちらで記事を書かせていただくことになりますが」
「ええ。問題ありません。合田の答えが不充分でしたら私が補足しますし、内容のチェックも私の方でさせていただきます」
言い切れば鬼頭の眉がピクリと上がる。オファーがあったのは合田の副社長業務についてと、制作を再開したジュエリーについてだ。病気療養中だったのは周知の事実なので、感動的な闘病記にでも仕立て上げるつもりだったのだろうが、そんなことはさせない。合田本人がそんなものを好む筈がないから。
「ジュエリーの写真を何点か撮らせていただけるということでしたが、一枚だけでも、合田さんのお写真も撮らせてもらえないでしょうか?」
「本人の撮影は一律お断りしています」
静かな微笑みを湛えたまま言えば、相手が微かに肩を震わせた。男性にしては小柄な身体に陶器のように白い肌。癖のない黒髪は堀内をか弱く見せがちだが、心を読ませない目と赤い唇が雪女のようだと評判なのだ。相手を怯えさせるために目も眉も自在に動かすことができる。切れ者で冷徹。そして合田よりも厄介な男。そんな噂が広がってくれれば本望だ。
「写真を撮らないと記事にならないというのでしたら、今回はご縁がなかったということで」
スッと笑みを引いて立ち上がれば、二人の男が慌て出した。
「いえ、どうかそんなことを言わずに。有名人の闘病記は反響が大きいですし、新作ジュエリーの写真まで使わせてもらえるんですから」
「お引き受けしたのは副社長業務のインタビューで、闘病記にするとは聞いておりません」
「ええ、ええ。その通りです。休業明けの合田巧の言葉と作品を載せてくれるだけでありがたいです。内容には充分注意しますから」
そこまで聞いて漸く椅子に戻る。途端に胸ポケットのスマートフォンが震え出した。合田の専属運転手、山瀬 からだ。
「合田が到着したようですので連れてきます」
「でしたら私共も」
「いえ。あまり物々しいと彼が機嫌を損ねてしまいますので、一度失礼しますね」
全く、どこまで勝手で子どもなのだ。会議室を出て心で呟く言葉は、鬼頭と杉村の心の声と同じだろう。自分は寛大な心の持ち主でも菩薩でもない。だが秘書を引き受けると決めた以上、彼のことは護り抜く。心身の回復の手助けをして、有望なデザイナー兼次期社長として仕事を認められていた頃の彼に戻ってもらう。そう自分を鼓舞して一階に下りていく。
「ああ、瑛 、ここにいたんだ。会いたかった」
エントランス前で車から降りてきた彼を見て、早くも決意が揺らぎそうになった。ここに来る前に一度彼の部屋に寄って、遅くまで飲んでいたという彼を叩き起こして世話を焼いてきたのだ。シャワーを浴びさせて着替えも用意した。塞ぎがちなのが分かったから、少し落ち着いてから山瀬と来てもらおうと気まで遣った。それなのに堀内が彼のために稼いでいた時間で、彼はまた少し飲んだという。一応スーツを着ているが、堀内が用意したものでなく着慣れた古びたものを纏っている。
「秘書なのに俺を置いていくなよ」
「大事な打ち合わせの前にお酒を飲むなんて何を考えているんですか」
「
健康雑誌の出版社の会議室で資料を広げれば、向かいの二人の男が顔を見合わせて、苦笑のようなものを見せた。上司の方が鬼頭で若い方が杉村。仕事相手の顔と名前を記憶するのは秘書の必須スキルだ。
「やっぱりまだ体調はよくない感じですか?」
鬼頭が笑いながら聞いてくる。柔らかな言葉だが、直訳は「引き受けると決めた仕事の時間くらい守れよ」だ。だがそれに怯えるようでは合田金属販売の副社長兼ジュエリーデザイナー、
「体調に波があります。こちらに向かっていますので今日はだいぶいいのでしょう。ご心配なく」
合田の秘書になって一年。彼の素行に引け目を感じる時期などとうに過ぎた。遅刻しておいて体調がいいと言うのもおかしな話だが、下手に出ることはしない。
「では資料をご覧いただいて」
堀内がちょっとやそっとの嫌味に動じる男ではないと分かったのだろう。相手も大人しく資料を開く。元々、体調によっては最悪当日キャンセルもあると念押しして引き受けた仕事だ。朝から不機嫌だった合田も漸く運転手の車に乗ったと連絡が入った。問題はない。
「取材という形でこちらで記事を書かせていただくことになりますが」
「ええ。問題ありません。合田の答えが不充分でしたら私が補足しますし、内容のチェックも私の方でさせていただきます」
言い切れば鬼頭の眉がピクリと上がる。オファーがあったのは合田の副社長業務についてと、制作を再開したジュエリーについてだ。病気療養中だったのは周知の事実なので、感動的な闘病記にでも仕立て上げるつもりだったのだろうが、そんなことはさせない。合田本人がそんなものを好む筈がないから。
「ジュエリーの写真を何点か撮らせていただけるということでしたが、一枚だけでも、合田さんのお写真も撮らせてもらえないでしょうか?」
「本人の撮影は一律お断りしています」
静かな微笑みを湛えたまま言えば、相手が微かに肩を震わせた。男性にしては小柄な身体に陶器のように白い肌。癖のない黒髪は堀内をか弱く見せがちだが、心を読ませない目と赤い唇が雪女のようだと評判なのだ。相手を怯えさせるために目も眉も自在に動かすことができる。切れ者で冷徹。そして合田よりも厄介な男。そんな噂が広がってくれれば本望だ。
「写真を撮らないと記事にならないというのでしたら、今回はご縁がなかったということで」
スッと笑みを引いて立ち上がれば、二人の男が慌て出した。
「いえ、どうかそんなことを言わずに。有名人の闘病記は反響が大きいですし、新作ジュエリーの写真まで使わせてもらえるんですから」
「お引き受けしたのは副社長業務のインタビューで、闘病記にするとは聞いておりません」
「ええ、ええ。その通りです。休業明けの合田巧の言葉と作品を載せてくれるだけでありがたいです。内容には充分注意しますから」
そこまで聞いて漸く椅子に戻る。途端に胸ポケットのスマートフォンが震え出した。合田の専属運転手、
「合田が到着したようですので連れてきます」
「でしたら私共も」
「いえ。あまり物々しいと彼が機嫌を損ねてしまいますので、一度失礼しますね」
全く、どこまで勝手で子どもなのだ。会議室を出て心で呟く言葉は、鬼頭と杉村の心の声と同じだろう。自分は寛大な心の持ち主でも菩薩でもない。だが秘書を引き受けると決めた以上、彼のことは護り抜く。心身の回復の手助けをして、有望なデザイナー兼次期社長として仕事を認められていた頃の彼に戻ってもらう。そう自分を鼓舞して一階に下りていく。
「ああ、
エントランス前で車から降りてきた彼を見て、早くも決意が揺らぎそうになった。ここに来る前に一度彼の部屋に寄って、遅くまで飲んでいたという彼を叩き起こして世話を焼いてきたのだ。シャワーを浴びさせて着替えも用意した。塞ぎがちなのが分かったから、少し落ち着いてから山瀬と来てもらおうと気まで遣った。それなのに堀内が彼のために稼いでいた時間で、彼はまた少し飲んだという。一応スーツを着ているが、堀内が用意したものでなく着慣れた古びたものを纏っている。
「秘書なのに俺を置いていくなよ」
「大事な打ち合わせの前にお酒を飲むなんて何を考えているんですか」
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