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プロローグ

高校アイドル界最大のイベント【SS】。
それに出場するユニットを決める【DDD】で見事優勝を飾ったのはTrickstarだった。
司がそれを知ったのは、嵐を通してだった。
結局あの後、司は嵐が呼びに来るまで教室で一人の時間を過ごした。
静かな場所で一人で居なければ、また誰かに怒鳴り散らしていたかもしれなかったからだ。それほどまでに司は苛立ちを抑えられなかった。
Knightsは騎士道を重んじる気高く、そして強力なユニットだ。パフォーマンスも歌も、学院頂点と謳われる『fine』にも引けを取らない…否、それ以上の力を持っているという自信と誇りが司にはあった。
騎士道を重んじると言うKnightsのユニット方針は、幼い頃から厳しい教育を受けてきた司にとってどのユニットよりもしっくり来たし、自分がアイドルを目指すならこのユニットしかないとまで思った。
……だが、それがたった一つの出来事で穢された気分なのだ。
しかもその自体を引き起こした本人は全く悪びれる素振りを見せず、更には自分を責めた。
理不尽だと思う度に、司は心に浮かぶ苛立ちに震えそうになった。


  ****


【DDD】が終わり一週間が経過した。
学院内はTrickstarの『SS』出場に向けて新たな動きを見せている。
特に、Trickstarが学院カーストの頂点に立っていたfineを打ち破ったことでそのカースト制が崩壊。それによってユニットによる優劣がなくなり、学院のユニットは自由な活動が許されるようになった。様々なユニットが活気づいており、先に向けて前向きな活動を始めている。
そんな中でKnightsだけは…主に司は、【DDD】のことを引きずっているのだが。
クラスでも一部の生徒には、Knightsの犯した行為を咎められたし、名も知らないどころか授業ですら関わらない普通科の生徒にも後ろ指を差されたこともあるほどだった。
中には司を気の毒に思ってか慰めの言葉を掛けてくれる者もいたが、そんなものはかえって司を惨めにさせるだけだった。
そういったものから逃れるように人目を避けて行動していると、いつの間にか昼休みの時間に入っていることに司は気づいた。

(…Lunch Timeですか……どうしましょう)

名門校なだけあって中々学食が美味い、と評判のガーデンテラスに食事を摂りに行こうと迷った。
…が、司は結局、一人で屋上に来ることにした。
向かう途中で遭遇した嵐が心配して(恐らく偶然ではない。司が気がかりで探しに来てくれたのだろう)、司に同行しようと申し出てきたが、やはり今は一人でいたいし断った。
そして、人目にあまりつきたくない。
実は【DDD】から食欲もあまりわかなくなった。ガーデンテラスの食事は魅力的だが、今は食べたい気分になれない。行きたいとは思っても、行こうと決断するまでに至らない。
適当に座れるような場所に腰掛けて、ため息をつきながら司は考えていた。
…これからKnightsは、自分達はどうすればいいのだろう。
正々堂々として決して汚れた真似はしない、騎士道を重んじる…そんなイメージを全面に出していたユニットであるKnightsのメンバーが犯罪行為をしたとなれば、人気は文字通り、地に落ちたようなものだ。
熱狂的なファンは残るかもしれないが、行いは人々の記憶に残る。Knightsを見る度に、あのユニットのメンバーは犯罪行為をした、と口にする人だって少なからずいるはずだ。
失った信用を取り戻すのは、信用を積み上げるよりも遥かに難しく、道が険しい。
どうすればKnightsのイメージを取り戻せるか、考えるだけ考えても、中々思い浮かばない。
司は心にずしんと重りが乗る感覚を覚え、そして再びため息をつくのだった。

「…あっれ?見たことない子だ」

ふと、第二者の声が上がった。
司が顔を上げると、そこにはいつの間にか生徒が立っていた。
身長は、見た所司より10センチほど大きいだろうか。ネクタイはしていなかったので学年はわからないが、司より年上ではあるだろう。
着崩したワイシャツからはインナーであろう黒のシャツが覗いており、首元には銀に輝くネックレスをかけている。
金の髪を靡かせて司を見つめると、黄土色の瞳を瞬きさせてその生徒が近づいてきた。
そして司と目が合うなり、残念そうに肩を竦めてため息をついたのだった。

「……あぁ、これが女の子だったらなぁ。運命の出会いってやつなのに。よりによって男なんだもんね〜…ゲロゲロ」
「は?」

目を合わせるやいなや、生徒の口から出てきた言葉に司は違う意味で苛立ちを覚えた。
開口一番、なんなのだこの男は。
生徒は司の視線が鋭くなるのを気にしていないのか、それとも気づいていないのか、更に声を掛けてきた。

「ま、仕方ないか。…で?どうしたの、キミ。屋上こんなところでなにしてるの?興味無いけど。あ、俺のボードには触らないでね」
「……Board?」

興味がないなら聞かないでください、と言葉にする前に、司の口からは別の疑問が出ていた。
尋ねると、生徒は軽く頷いて司の背後へと人差し指を向ける。
振り返ると、その先にはサーフボードが立てかけてあった。
司が確認したのを見届けると、生徒はサーフボードが自分のものであると言った。
生徒に向き直ると、司は次の疑問を口にする。

「Surfingをなさるのですか?」
「ん?まぁね。やってると女の子が喜ぶし。それに海、好きだからさ」
「そこは普通に海が好きだから、だけで良いのではないですか…?」

司は呆れ気味にそう答えた。
生徒は軽く笑ってみせると、人差し指を口に当てて軽くウインクしてみせる。
何気ない仕草なのだが、彼がやると顔が整っているためかどことなく様になっていた。(まぁこの夢ノ咲学院…司が在籍しているアイドル科に顔の整っていない人間などいないのだが、目の前の生徒はその中でも特に整った顔立ちをしていると思った。)

「だって女の子のことも、同じくらい好きだからさ♪好きなものはやっぱり、アピールしたいでしょ。キミには好きなものってないの?」
「え、私…ですか。……Sweetsが好きですが」
「へ〜甘いもの好きなんだ?見た目に対してなんか意外だね。…あーあ、これでキミの姿形性格が可愛い女の子ならなぁ……「パフェの一つでもご馳走してあげるよ。元気出して子猫ちゃん♡」ってなるんだけど」
「………」
「よりによって男なんだもんね〜…」

女性でなくて悪かったですね、と口から出かかったが、司は唇を噤み無言でジト目を向けた。
…変な人物だ。会話をするだけ、無駄だったかもしれない。
昼休みが終わる前に教室へ戻りたいし、頃合いだろう。早々にこの人物の前から立ち去ろうと、司は腰を上げて立ち上がる。
そして司は一言、「失礼します」と断ると生徒から視線を逸し、屋上の出入り口へとつま先を向けた。
背後から視線を感じる気がするが、ここで振り返ったら負けだと目線を自分のつま先へと落とすと、司はそのまま屋上を後にして階段を足早に降りていく。
一階下の踊り場まで降りると、司はふと、足を止めた。何故か脳内で、先程の生徒の言葉の一部が、引っかかった。

『ーーー「元気出して子猫ちゃん♡」ってなるんだけど』
(………いや、まさか)

あの生徒はもしかしたら落ち込んでいた自分に気付き、気を紛らわせようと業と茶化してみせたのではないか…と一瞬だけ思い浮かんだ。
その証拠か、Knightsのこれからを考えて先程まで沈みがちだった気持ちが、僅かだが軽くなっている気がした。
思考が別のことに向いたからだろうか?
司は屋上へ続く階段を見上げ、しばらくその場で考え込む。
…が、次には肩を竦めて苦笑いをこぼした。

「気のせいですよね。気のせい」


  ****


放課後。司は例の防音練習室へやってきていた。嵐から呼び出されたためである。
そこには【DDD】以来顔を合わせていなかった瀬名と凛月の姿もあった。(ただし凛月はいつものように寝息を立てている)
正直、瀬名とはもう少し時間を置いてから顔を合わせたかった。その顔を見るだけで己が受けた理不尽な扱いを思い出し、不愉快になる。
なるべく瀬名を視界に入れないようにと、司は嵐へ視線を集中させた。
司は、嵐が自分達を呼び出した理由になんとなく察しが付いていた。
タイミングを図っていたらしく、司と瀬名の視線が自分に向いたのを感じ取ったのか、嵐は両手を合わせて口を開いた。

「今日はみんなに相談したいことがあるのよォ。ほら、この前の【DDD】で、うちのイメージ、ガタ落ちしちゃったでしょ?そのイメージを取り戻すために、アタシたちで校内アルバイトをやってみるのはどうかしらって」

校内アルバイト。
入学の際にそれの説明を受けはしたが、実際に話を持ちかけられるとは思わなかった。
校内アルバイトとは、学院側が提示している学院内で行うアルバイトのことである。
外での活動もあるが、そのほとんどが学院に関係のある仕事だ。ちゃんと給料も出るため、ユニットの活動資金を得るために利用している生徒も多い。人気の仕事は競争が起きるほどである。
司は首を傾げて嵐に問いかけた。

「アルバイト…ですか。それが何故Image回復に繋がるのです?」
「うふふ、この学院ってこれからね、学院祭やお茶会といった行事が待ってるの。そこでね?夢ノ咲学院の『名物』になるようなお菓子の案が募集されてるのよォ。ほらほら、チラシだって持ってきたわ!」

懐から折り畳まれたチラシらしき紙を取り出すと、嵐はそれを司に手渡した。
それを受け取り司が広げると、紙には確かに、嵐が今しがた喋った内容のことが書かれてあった。
それを眺めていると、嵐が続けて口を開く。

「去年いなかった司ちゃんが知らないのは当たり前だけどね、アタシたちってライブしかしてこなかったの。こういう企画にも参加したことなんてなかったわ。Knightsは硬派なイメージがあるし、実際そうだから。それに『王さま』はすっごーく自由奔放な人で、そのせいもあってね。まぁ、アタシも『王さま』のことはそんなに詳しく知ってるわけじゃないんだけど。そ・れ・で!つまりはプライベートやライブ外の姿を見せたこと、あんまりないのよねェ。だからね?今までのイメージに付いちゃったマイナスな面を、新しい面で塗り替えちゃいましょ!って作戦なのよォ」

どうかしら〜♡と体をくねらせて嵐がウインクしてくる。普段ならば気持ち悪い、と司はつっぱねるのだが……それよりも、嵐が用意してくれた提案のほうが大事だった。
嵐もまた、自分と同じようにKnightsのこれからを気にかけてくれているのだと思うと、胸が熱くなってきた。
司は両手拳を強く握ると、前のめりになりつつ少々興奮気味に、嵐に頷いてみせた。

「……いいと思います!やりましょう、先輩!この司、どんなお仕事も、必ずや、こなしてみせようではありませんか!」
「きゃあんっ、司ちゃんならそう言ってくれると思ってたわァ…!」
「ぐえっ!?」

(男にしては精一杯の)黄色い声を上げて嵐が抱きつくと、司はこの前のように潰れたカエルのような声を上げた。
嵐の力は普段くねくねしている彼とは結びつかないほどに強かったりするのだ。
自分を抱きしめたまま頬を擦り寄せてくる嵐を必死に押しのけようとしていると、ふと視界の端に呆れた表情を浮かべている瀬名が入ってきた。
先日のこともあり喧嘩腰になりそうになるが、無理矢理冷静を保ちながら司は瀬名に対して声を上げた。

「…瀬名先輩、何やら不満そうですね……?」
「別に不満ってワケじゃないけど。たださぁ……そういうの、俺はやらないよぉ?やるなら俺抜きでやって。趣味じゃないんだよねぇ」
「は?」

司は思わず心の中で発するべき声を口から出してしまった。
しかもその声はしっかりと聞こえていたようで、瀬名は不服なのかと言いたげにこちらを睨んでくる。
いや、不服どころか不満が今にも爆発しそうなのだが。しかし、ここで爆発させては前回のようにただの言い合いになってしまう。
耐えようと口を震わせていると、ふと目の前に影が現れた。司が視線を上げると、そこには嵐の背中があった。
背中越しからだったので嵐の表情はよく見えなかったが、明らかに瀬名に対して不満であることだけは伺えた。

「ちょっと、泉ちゃん?誰のおかげでKnightsの評判が地の底に落ちたのか、わかってるのかしら?」
「かさくんのせいでしょ。俺は悪いことはしてない」
「……泉ちゃん、それ本気で言ってるの?」
「本気も何も、事実でしょ。……あのさぁ、俺忙しいの。1年のくだらない尻拭いに付き合ってられるほど暇じゃないんだよねぇ。だからさぁ、やるなら二人でやってくれる?ああ、くまくんもいるから三人か。俺、ゆうくん探さなきゃいけないし。なんでか知らないけどあれからずーっと避けられててさぁ…。じゃあねぇ」
「泉ちゃん、話は終わってないわ!?」

嵐が呼び止めるものの、聞く耳も持たずにさっさと瀬名は出ていってしまった。
その場に残されたのは嵐と司、そして言い合いをしていた横でぐっすりと眠る凛月だけだった。
嵐と司はちらりとお互いを見やると、同時に重々しいため息をつく。

嵐が持ってきた校内アルバイトは、結局残った三人でやることになった。
意外だったのは、凛月が菓子づくりを得意としていたところである。しかし凛月が拵えた菓子は人が食べるにはどうも敬遠したくなる見た目で、学院へは提出し難かった。
ちなみに御曹司である司もこれまで料理などしたことなどなく、結果まともな菓子を作れるのは日々女子力を磨いている嵐だけだった。


  ****


「はぁ」

司は今日何度目になるかわからない溜息を付きながら、静まり返った廊下を歩いている。少し前までは生徒たちの声と足音で賑やかだった学院の廊下も、放課後を過ぎてしまえば寂しいほどに静かだ。
溜息を付いた司の手には、小さな包が抱えられていた。先程まで嵐や凛月と共に作っていた菓子なのだが、いかんせん初心者が作り上げたものである。一応食べられるものの、見た目は散々だった。
司は幼い頃から厳しい躾を受け、なんでも完璧にこなせる様にと教育を受けてきた。そのためか、散々な結果に終わった菓子作りに…上手くできなかった自分に、憂鬱な気分を隠せずにいるのだ。
そして、やはり瀬名のことである。ユニットのことよりも私情を優先するどころか、自身が監禁した相手を追いかけていると本人の口から聞いたときは呆れ果ててしまった。
避けられていると言っていたが、やったことを考えれば当然のことだろう。

(何故わからないのでしょうね。あの方は)

普通ならばわかるはず…なのである。
なのに、それが何故瀬名はわからないのか、司には理解できなかった。
重々しく再び溜息をつく。ああ、今日学校に来てから、これは何度目の溜息になるだろうか。
落としがちな視線を上に向けようと意識しようとしたところで、司はふと、目の前に影が差したことに気がついた。
視線を上げると、そこには青のネクタイをした男子生徒が二人程立っていた。
しかし気づくのが若干遅く、司はその二人の生徒に正面からぶつかってしまった。その拍子に手に持っていた菓子袋が廊下の床に落下する。
ネクタイの色からするに、相手は2年だ。此方がよそ見をしていたのだし、ここは素直に謝っておくべきだろう、と司は二人の生徒に対し軽く会釈した。

「すみません。その、よそ見をしていまして」

言いながら菓子袋を拾おうと、しゃがみ手を伸ばす。
その瞬間、目の前で何かが潰れる音がした。
一体何が起こったのかと思考が一瞬停止したが、一つ呼吸すると止まった思考が回りだす。
目の前の生徒の足が、菓子袋を踏み潰していたのだ。
胸の奥が途端に握りつぶされたように苦しくなる。司は言葉にする前に、視線で何故、と足の主に問いかけるように見上げた。
生徒は二人共、ニヤニヤと笑いながら司を見下ろしていた。

「あ、ごめんね〜?まさか足元になんかあるとは思わなくてさ。もしかしてキミの落とし物だった?悪い悪い」
「……いえ、落としたのは…私、なので。……私の、不注意です」

きっと態とだろう。卑しい笑みで告げる男子生徒に、言い返したい気持ちを奥歯を噛み締める事で抑えながら、司は緩く首を横に振る。
そして再び視線落とす。とにかく、菓子を踏みつけるその足をどけてほしかった。

「……あの、失礼とは思いますがお願いします。この足をどけてくださいませんか」
「なぁお前ってさ、Knightsの1年だろ?」
「え?」

生徒の口から唐突に出た自身のユニット名に、司はハッと再び顔を上げる。
今までの流れの中で何故ユニット名を出してきたのだろうか。しかし、司がKnightsに所属していることは紛れもない事実であるし、隠す必要も理由もない。

「……えっと、そうですが。それが、何か?」
「やっぱな!ステージ見てたし。やっぱ犯罪集団Knightsのメンバーかよ。関わったら俺らまで監禁されちまいそうだな。ヤバすぎ」
「………!?」
「マジマジ!あー怖!何が騎士道だよ。お高く止まってるからっていい気になりやがって。とっとと捕まって学院から消えろよ犯罪者」
「……痛っ……!」

菓子を踏んでいない方の生徒に足で肩を蹴られ、司はその場に尻もちをつく。
司は思わず生徒たちを睨み上げた。
すると、その反応が気に障ったのか、生徒は舌打ちすると再び司の肩に足をかけ、思い切り床目掛けて踏みつけた。
踏みつけられたことによる肩への痛みと、床に倒されたことによる背中の痛みに、司は小さな悲鳴を上げる。
生徒は足に力を込めながら司の顔を覗き込むと、けらけらと嘲笑ってみせた。

「犯罪者のくせに何睨んでんだよ。うぜーな」
「なぁなぁ、こいつさ、被害者の立場になれば自分達がやったことの重さがわかるんじゃね?」
「あー、かもな。俺らが監禁してやろうか」
「は……!?」

とんでもないことを言い始める生徒たちに、司は顔を引きつらせる。そもそも自分は監禁などしていないし、逆にその事実のせいで被害を受けている側のようなものだ。
それを何故咎められ、挙げ句監禁されなければならないのか……と、考えたところまで来て思い至った。これが、ユニットに所属するという事なのか、と。
自分の行いの一つ一つがユニットに影響を与える。だから気を遣わなければならない。何故ならユニットやそのメンバーに、自分のした行いが返ってくるのだから。
司個人からすれば理不尽もいいところだが、これがユニットに所属するということなのだ。
司は甘く見ていた。Knightsへの憧れだけで、このユニットに所属を決めた自分はとんでもなく甘かったのだ。
誇りや憧れだけではユニットに所属できない。
もっと覚悟を決めるべきだった。
どうやら司が本気と捉えたことに気がついたのか、生徒たちは笑い声を上げた。

「やるかっつーの。お前らみたいになりたくねぇし」
「犯罪者になって将来真っ暗はちょっとなぁ」
「……っ、私は!」

間違いなど犯していません!
そもそもそのような行いをしたのは……!
そう司が叫ぼうとした、その時だった。
頭上に影が差し、その影の主であろう誰かが、司が叫ぶ前に声を発したのだ。

「お前たち、何をやってる?小さいものをいじめるのは感心しない」
「あ?なんだよ……って…!?」
「お、お前は…!」

先程まで人を嘲笑っていた態度とは一変し、目の前で狼狽え始める生徒二人に不思議に思いつつ、司は影の主を見上げた。
最初に抱いた印象は、大きい人物、だった。自分は現在、廊下の床に背を付けている状態だ。そんな状態で見上げれば、この学院の生徒なら大きく取れるかも知れない。しかしそれでも、その生徒を大きく感じた。
その生徒は紫の髪を揺らしながら、黄土色の瞳はじっと自分の前に立つ二人へと向けられている。
何より特徴的なのは、その肌の色だ。褐色で、彼の中には少なからず日本人以外の血が混ざっているとすぐに理解できた。
そして締めているネクタイの色は青。つまり、二人の生徒と同学年の、2年の生徒ということになる。
司がその生徒をまじまじと見つめている間に、ふと肩にあった足の重みが消える。
はっとすると、司は咄嗟に体を起こし、先程まで踏み潰されていた袋をすかさず手の中に収めた。
そうしているうちに二人の生徒はバツが悪そうに立ち去ってしまっていた。どうやらあの二人にとって、この生徒の存在は厄介なものらしい。
その背中を見つめてぼうっとしていた司だったが、視線を感じ見上げると褐色肌の生徒と目が合い我に返る。そのつもりはなくても、彼は自分の危機を救ってくれたのだ。礼を早く言わなければ。
しかし自分は未だ廊下の床に尻を付けている状態である。流石に失礼だろうと、司は慌てて立ち上がろうとするものの、先程蹴り倒されたときの背中の痛みに顔を歪ませた。
それに気づいたのか、褐色肌の生徒はその場にしゃがみ、司に視線を合わせてくる。

「大丈夫か。怪我をしたのか?あいつらには後で言っておく」
「あっ、私は、大丈夫です…!少し背中を打っただけなので。あの、助けていただいて、ありがとうございました…っ」

早く礼を述べなければと半ば焦りながら礼を述べると、ぽん、と温かいものが頭に触れた。どうやら生徒の手だった。
司が目を瞬きさせていると、その生徒は綺麗に微笑んでみせた。

「あいつらとお前を見つけた時、お前は俺が守らなければと思った。だから当然のことだ」
「………!?」

司は大きく目を見開いた。入学してからまだそんなに経過していないが、まさか出会ったばかりの2年にそう言われるとは思っていなかった。
Knightsの先輩である面々からも言われなかった言葉である…というか、そのようなことを言われるほど自分は弱くないと思っていたし、しっかりしていると自負していたのだ。
だから、全く以て不意打ちだった。
まっすぐ見つめられ、自分が守らなければーーなどと告げる目の前の生徒。そう、それはまるで自分の考える“騎士”のイメージの一つそのもので……司は顔が熱くなり、胸が大きく脈打つのを感じた。

「痛むようだが、立てるか?」
「あ、は、はい……」

内心戸惑っていると、目の前に生徒の手が差し出される。その手を取ると、まるで軽いものを持ち上げるかのように、その生徒は司を簡単に立ち上がらせてしまった。
床から見上げていた時はただ彼が大きいと思っただけだったが、普段の視線で見つめるとその身長の高さとガタイの良さから、司は生徒の大きさを改めて感じた。

「それは?さっき、踏み潰されてたな」
「え?」

ふたたび、ぼうっと生徒を見上げていたらしい。
そのためか、司は彼の視線が自分の手元の菓子袋に注がれていることに気づかなかった。
無意味だとわかっていても、司は慌ててそれを自分の後ろに隠した。踏み潰され、中身はきっと原型をとどめていないだろう。
もともと褒められた見た目に出来上がっていなかったそれを見せるのは、恥ずかしいと思った。
しかし彼の目を見れば、隠さずに話せと強く訴えてくるのがわかる。司は羞恥心を噛み殺しながら菓子袋をおずおずと生徒の前に出した。

「…その、Cookieです。初めて作ったんですが……でも、もういいんです。褒められた見た目ではないですし、こうなっては捨てるだけですから」

司は苦笑すると、無意識に菓子袋を持つ手に力を込めながら生徒から目を逸らした。
するとふと、手に人肌を感じた。
逸した目を自身の手に向けると、司は自分の手に彼の手が重ねられていることを知り、驚き目を見張った。
そして手を司の手に重ねている本人は、首をやるく横に振る。

「食べ物を捨てるのはもったいない。捨てるなら、俺が食べよう」
「へ?」
「多少形が崩れていても俺は気にしない。大切なのは味と気持ちだ」
「え…え!?ちょ、あの」

司が我に返り静止する頃には、生徒はその手に菓子袋を収め、中を開いていた。そして司がその手を掴む前に、粉々になったクッキーをそのまま口に運ぶ。
司は生徒が口を動かすその光景を唖然として見ていた。しかもそれは一度で終わらず、何度も彼の手が口と菓子袋とを往復する。
それが一通り繰り返されると、司の手の中に菓子袋が返された。空気の抜けた風船のように手の中でぺしゃんこになった袋が、中身が入っていないことを告げている。
つまり、彼はクッキーを完食したのだ。踏まれて無残に成り果てた、お世辞にもうまい出来とは言えない、司が作ったクッキーを。
未だ唖然としている司に、生徒は微笑んだ。

「とても美味かった。ありがとう」

もう遅いから早めに帰るんだぞ、と言いながら司の頭で手を軽く弾ませると、生徒はそのまま歩き出す。
生徒の姿が廊下の向こうへ遠ざかり、完全に消えた後…そこでようやく司ははっと我に返った。その直後覚えたのは、頬へ集まる熱だった。
先程のことを思い出す。自分のピンチに颯爽と助けに入ってきてくれた姿、嫌な顔一つせずに自分のクッキーを食べてくれた姿…それらを思い出しながら、司は菓子袋を間に挟みながら、片手で自分の頬へ手を当てる。
袋越しだというのに、頬が熱を帯びていることがはっきりわかった。

「……なんて素敵な、方なのでしょう……」

ぼそりとほぼ無意識に呟く。
ああ、名前を聞けばよかった。クッキーを食べてもらった礼だってまだ言っていないのに!
そうだ、明日2年の教室へ顔を出そう。幸いアイドル科のクラスはAとBの二組までと定められている。探すのは簡単だ。
司は一人強く決意すると、荷物を取るために教室への廊下を歩き出した。その途中で、スマホで迎えの車を呼びながら。
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