本文

ズズン…



腹に響くような音と、人間には感知できないような微かな揺れを、確かに戴波は感じ取った。
地震ではない。もう74年も昔、ある時期に頻繁に聞いていた音に似ていたそれは、確かに爆発のソレ。

咄嗟に葵の身体を掬い上げ、抱き抱えて通路を走り出す。
尋常でない聴覚と鋭敏な第6感は戴波に訴え掛けていた。
急がないと――何を急かされているのかはわからないが、自分の手の付けられない事態に陥ると。


一方で葵も驚いていた。
何か聞こえた気がしたかと思えば、目の前の男がいきなり自分を抱え上げ走り出したのだから。
幾ら同級生の中でも小柄な方だとはいえ体重30㎏はある。幼稚園児程小さくもなければ軽くないと自負している。
それを、確かに成人男性ではあるが一見逞しいとは程遠い身体付きのこの男は、まるで重さを感じさせない動きで運んでいるのだ。

呆気に取られているうちに目的地に着いたのか、目の前に現れた扉を破る勢いで開けた。



「館長!!」

蹴り破る勢いで事務室の扉を開けば、そこには若干頭頂部が残念な事になっている初老の男がTVに釘付けになっていた。
つられて視線を画面に向ければ、見覚えのある建物が黒煙を上げていた。
「何があったんですか」
「この近くのホテルで首脳会談をやってるって話があっただろう、そこで爆弾テロが起こったらしい」
一カ所ではなく何箇所も。
一瞬、十数年前にアメリカで起こった同時多発テロを想起したが、目前の非常事態に思考を振り払う。
「今お客様がパニックを起こさないように皆で誘導している。浅月君も…その子は?」
うっかり頭からすっぽ抜けていた腕の中の少年を、その言葉でようやく思い出す。
迷子だと告げ、どうすればいいかと尋ねれば、戴波に保護者(実際には少年少女)を探すように任命する。
向こうも探しているだろうし、いつでも連絡を取れるように携帯電話のマナーモードを解除しておくように言い置いて。
「館長、何が起こるかわかりません。気をつけて下さい」
「浅月君もね」
会話に置いていかれていた葵を抱え直し、部屋を飛び出し再び走り出す。
背中を後押しする言いようのない不安と焦燥に駆られながら。








俺は、"抵抗する術を持たない弱者を、相手が弱いだけなのに自分は強いと思い込み虐げいたぶり、あまつさえ己は強い勝者なのだから正義なのだ、と勘違いしている愚者"が一番嫌いだ。


近年では、

琉球王朝政府
倭寇
明や清の交易商と称した海賊
薩摩藩軍
明治新政府軍
アメリカ軍
日本軍
役立たずの日本政府
在日アメリカ軍……



全て昨日の事のように覚えている。
そういったあらゆる物から彼らを守る為に、俺は存在していたのだから―――







『小学4年生の、中日の野球帽を被った迷子の少年を預かっています。同行者は小学6年生の男子と女子、中学3年生の男子です。見つけたら御一報お願いします。』

業務用の携帯電話を高速連打し、同僚たちに一斉送信する。
闇雲に探すより、この方が情報は早い。
「今は館内放送は使えないから、正面入口受付でカヲルさんに君を預ける事にするから」
メールでカヲルさんにもその旨を連絡し、再び早足で歩を進める。
相変わらず葵は腕の中に収まったままだ。

頭の中で鳴り響く警鐘の音がどんどん大きくなっていく。
再び走り出そうと床を蹴ろうとした時、刹那、何かの気配を捉えた。
ナニカ、あってはならない異物が侵入しようとするような―――
「ッチ」
無駄に広い索敵能力に舌打ちする。
毎日顔を合わせる従業員以外の気配がただでさえ乱雑に動き回っている上に、己の索敵範囲は水族館の外にも行き届いている。
第一、先程微かに捉えた気配を異物と感じたのは、説明しがたい第六感によるモノだ。

くいっと服の裾を引かれて思考の迷路から戻って来た。
ハッと我に返れば、立ち止まり頭を抱えている状態で。
「あぁ悪いな、今連れてくから」
「だいじょうぶだよ」
「?」
無垢な笑顔と共に返って来た言葉に、思わず頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「だいじょうぶ、必ず帰れるから」
その"言の葉"に何か引っ掛かるモノを感じ、改めて顔を見合わせたその時―――





何かが弾ける音、癖のある――おそらく外国人の喋る日本語で放たれた脅しを含んだ怒鳴り声、幾許かの間の後に群集の恐慌に陥った悲鳴が聞こえて来た。
この館内から。



血と火薬の臭いがする人間の気配が正面玄関と裏口にあり、同様の気配が館内に散らばって行く。
先の連続爆発テロとの関連性が瞬時に頭に浮かぶ。
テロリストに銃で脅されたのだろう、大分静かになった群集の合間に聞こえる外国語は、大分記憶の彼方で聞いた覚えはあるものの、残念ながら戴波はその意味を解していない。
だが取り敢えず、独特のどこかイラッとくるアクセントにより、彼等が何語を話しているのかは理解出来た。
「北朝鮮…いや韓国の過激派とかか?」
2012年に朝鮮半島の歴史を大きく変えたあの変事から5年以上経つが、統合への道を辿るその事実を受け入れる事が出来ない者も少なくはない。
それは南北国家双方に言える事だった。
テロ事件にしても今回に限ったものではない。

「……それがどうした」
どんな大義名分を掲げていようと、どれだけ大言壮語を吐こうと、無関係の一般人を巻き込んでいい筈がない。


「~~~~~ったく、俺も大概だな…」
がしがしと頭髪を掻き毟り天井を仰ぐ。
受け継いだのは記憶と能力だけではなく、どうやら性質も込みらしい。
取り敢えず腕の中にいる少年の安全を確保すべく、ある部屋へと走り出した。



幸か不幸か持っていた合鍵で第4備品庫の扉を開ける。
次いで目に飛び込んで来たのは、当水族館のマスコットキャラクター(のオブジェ)。
何故かずんぐりむっくりの体型のそれは台座と一体化し、全長1m程のそれは運びやすいように上下二つに分かれる作りになっていて、上を外せば身長140cm未満の小柄な小学生が隠れて座るにはちょうどいいサイズとなっていた。

「きっと…必ず警さ…おまわりさんが見つけてくれるから、ここで待っていてくれないかな?」
「……………」
つぶらな瞳に無言で見つめられると、何も(まだ)していないのに後ろめたい気持ちになるのは何故だろう。



グシャグシャと少年の帽子の上から頭を撫で、くるりと先程入って来たドアに顔を向け――少年に背を向ける。
一度瞑った瞳は、次に見開いた時には、暗褐色からターコイズブルーへとその色を変えていた。


警備室とドアにプレートが掲げられた部屋の中、そこには二人の男がいた。
一人は入り口の傍で銃を構え、一人は監視カメラに映される映像を見ている。
この警備室の扉前を映していた映像が切り替わり数秒後、ふと異臭がする事に気付いた二人は辺りを見回す。
そしてほぼ同時に二人は見付けた、最初に部屋に入室した時には存在していなかったソレに。

「プルガサリ?」

彼らにとって皮肉な事に、そこにあったのは、数年前朝鮮半島で起こった革命の、ある意味立役者となったGと同じモノだった。
………韓国語で言うならば。

日本語で言えばヒトデ――に類似したその生物は、おどろおどろしい青紫色をしており、星形の部分だけでも成人男性の顔をすっぽり覆える程に大きかった。
扉の傍に立っていた男が銃口でソレを突いた。
その瞬間、

「「ギャ………………………………」」





不自然な悲鳴が警備室内で響いてから暫し、警備室のドアが映る防犯カメラの映像が再びその場を映し、数十秒後にまた別の場面に切り替わった直後、警備室の扉が開かれた。
現れた男――戴波は部屋の惨状に目もくれず、寧ろ嘲るかの如く口角だけを上げて嗤う。

「ご苦労さん」

戴波の視線の先にあるのは、二つの屍体。
その顔面にはグロテスクなヒトデに酷似した生物――ベーレムが張り付いていたが、戴波が顎で促すと離れた。
そこから現れたのは当然先程までこの部屋の中にいた男たち、の筈だったが、その顔は酸で焼いたかのように爛れていた。
戴波はそれを見ても眉一つ動かさず、厚手のゴム手袋を嵌めた手で男たちの一人から銃を奪い取り、銃口の方を持って振りかぶる。

「さて、いっちょやるとすっか」
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