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夏休み後半と言えどやはり家族連れが多く、回遊魚が廻る180度大パノラマ水槽がある広場に設置された"磯のふれあい広場"では、小学生や幼稚園くらいの小さな子たちが職員(流石に普通にツナギの制服を着ていた)に厚いゴム手袋を渡され、カニやナマコ等を突いたり触ったりして遊んでいた。
「美味そーだなー」
「ヨダレ出てるよー」
大パノラマ水槽を悠然と泳ぐマグロの大群を見てそう思ったのは、火輪だけでは無いと思う。
のほほんとした空気が一瞬漂っていたが、ハッと口元を拭くと葵と顔を見合わせてちらりと後ろを振り返る。
そこには少し離れた所で水槽を見上げる少女と、微妙に距離を置いて隣に立っているヘタレの姿が。
「チッ、折角お膳立てしてやってんのにあのヘタレ」
「だねー」
"妙に小心者の兄と天然の姉をくっつけて(間接的に)兄弟になってしまおう"作戦を元に自分たちの弟たちが画策している事を知らない2人は、初対面した2年前から距離が全く縮まっていない気がする。
一馬の悪友たち曰く「小学生相手の時点で立派なロリコン」が理由で何も出来ないという言い訳が通用するのは後半年しかないというのに。
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―――瞼を閉じれば今でも浮かんで来る。
碧い空と蒼い海に挟まれた、南海に沈む前の繁栄したいにしえの王国を………
「ボサッとしてんじゃねぇっ!」
「アイタッ!」
スタッフ専用通路を通り段ボールを運んでいた戴波だったが、いつの間にかボーッとして先輩の話を聞き流していたらしい。
後ろからラリアットを喰らってしまった。
「もう昼だから、これ片付けたら先に昼休憩入っとけって言ってんだよ」
「あ、すみません」
腕時計を見れば11時57分を差していた。
「お前最近へんだぞ。何かあったのか」
もはや疑問形ですらない問い掛けに苦笑するしかない。
原因は分かっている。
刻々と近付いて来る家族の命日と、館内に設置された海洋研究所の研究成果の一部を公開しているディスプレイの内容だ。
題材は『海に沈んだ古代文明』。
最近G関係で話題に上がっているアトランティス、ムー大陸、シートピア等海外の物から、近くは沖縄辺りにあったという"ニライ・カナイ"まで。
トラウマをざっくりえぐるには充分過ぎる内容だった。
「何でもないんです、本当に…」
傷付いて心が張り裂けそうになっているのは、浅月戴波(オレ)ではなく、あの国と共に滅ぶ筈だったあの海獣の心なのだから。
夏休みだからと、小中高校生向けに自由研究や課題の足しになるような展示がそこかしこに設置されていて、7・8月限定とされている件の展示内容もその一つだった。
奈良の平城京、京都の平安京は四神相剋の地であった事から建てられた物であり、四神に因んだG――青森の玄武(ガメラ)、九州の朱雀(ギャオス)、四国の白虎(バラン)、青龍はまだ未確認――が昨今出没しており、尚且つ件の四神とアトランティス文明が密接な関係にあることから、今回の展示内容になったのだとか。
偶然か必然か、他の3つの文明にも恐らくGだと思われる守護神がそれぞれ存在していたらしい。
その中で戴波の目に留まったのが、沖縄の海に沈んだ亡国、ニライ・カナイの伝承だった。
『ダガーラ
ニライ・カナイの守護獣としてアトランティスの四神同様、人間の手で造りだされた怪獣――Gの名称。
語源は彼の国の神話に記される海の神から取られたとされる。
(中略)
発達した文明の弊害――公害による海洋、大気、土壌汚染を浄化する能力を持っていたと言われている。
200年程の歳月を生きていたと文献には伝えられているが、ニライ・カナイの滅亡と共に行方はようとして知れない。
彼の者を後世に伝う神話は咏う。
―――――其の者、南海の海神にして王家の守護者
王家に創られ王家の為に存在し王家の代わりに穢れを受け死せし者
ひとたび命を失おうと、名を変え姿を変えて王家の傍に有り続ける、真の守人
例え国が滅べど王家に仕え命を捧げ、輪廻を巡り続ける者也―――――』
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館内に設置されたレストランで昼ご飯を食べた後、かいじゅう館で13:00に始まるイルカショーを見学した。
まあイルカショーと言っても、前座にアシカやオタリア等のショーもあったのだが。
そして現在、キョーちゃんとトットくんという名前の2頭のイルカのアクロバットを眺めている。
「ツッコんだら駄目だ、ツッコミ入れたらおしまいだ、ツッコんだら何か負ける気がする」
「五月蝿いよ兄貴」
尤も、子供を引率している保護者の大半が、イルカの名前を聞くと同じ反応を示していたが。
五条姉弟が喜んでいるからまあいいか、と結論づけてしまう辺り、2人のそれぞれに対する溺愛具合の程が伺えるというものだ。
小学生以下の子供に配られていたシールを3枚貰い、ショーの会場を出たところでもよおし、火輪が手を引いて葵をトイレに連れていく。
混んでいた為、先に出た葵を入り口で待つように言付けて、火輪が待っている一馬と梓の元に行くべく入り口付近で葵の姿を探すが、小さな影はどこにも見当たらなかった。
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一方葵は、二方向あるトイレの入り口の反対側から出た事に気付かず、更に間の悪い事に人混みと団体客に流され、気が付けば全く現在地がわからなくなっていた。
「お姉ちゃ~ん」
歩けど歩けど3人の姿はどこにもなく、何故かあれだけいた人影も疎らになってゆく。
心細さにどんどん拍車がかかり、大きな瞳に涙が滲んできた。
「皆どこ~?」
ひっくひっくとしゃくりあげ、その場にうずくまったその時、
「ボウヤ、迷子か?」
ネイビーブルーのツナギ(制服)と帽子を身に纏った青年――戴波がそこに立っていた。
建物自体がかなり入り組んだ造りをしている為、staff onlyと書かれた扉を潜り、従業員通路を通って迷子を知らせる為に放送室へと向かう。
今頃パニックになっているだろう姉たち(特に火輪)の様子を脳裏に浮かべた葵だったが、すぐに思考は自分の手を引いている男へと移った。
「サ、ン、ゲ、ツ?」
無垢な声と首を傾げる仕種に、戴波は盛大な脱力感を覚えた。
「君もそっちで呼ぶのか~」
葵の視線の先は左胸のネームプレート。
受付のカヲルさんだけは何故か名前のみ(しかも片仮名)で表記されているが、他の従業員はフルネーム、漢字表記が基本だ。
小学4年生に「戴」の字は少々難しすぎたようだ。
「アサツキって読むんだよ」と言いながら、和やかな空気のまま進み続けていたその時、それは起こった―――