本文

2019年8月15日、京都市洛東のとあるアパートにて





「痛ヒ……」

起きぬけに聞こえてきた音に身を乗り出そうとした挙げ句ベッドから転がり落ち、頭を抱えていると居間に備え付けた固定電話から留守電に切り替わった叔母の声が流れて来ているのに気付く。
慌てて起き上がるが、受話器を取る前に通話が切れてしまい改めて再生ボタンを押す。

朝というか昼の挨拶(現在午前11時半)と今日迎えた誕生日の祝い、そして"今年も"帰省しないのかと窘める風でもなくやんわりと尋ねて来る彼女の言葉を聞きながら、サイドボードに乗せられた郵便物の封を切り、内容は判りきっているものの一応律儀にざっと目を通しただけで、すぐ足元にある屑籠の中にあっさりと捨てた。



叔母には悪いとは思うが、今までも今年もこれからも、例え死んで再び生まれ変わる事があろうとも、二度と戻る気は無かった。

8年前に守るべきモノを守れずに失った時、己の存在意義と共に彼の地に立つ資格を、未来永劫失ったのだから―――――






同日20時57分、洛中のとある居酒屋に彼、浅月戴波の姿があった。
日がな一日中(もっとも起きたのはほぼ昼だが)部屋でゴロゴロしていた時職場の先輩からメールが届き、折角のシフト休みの最中半強制的に引っ張り出されたのである。
………最近のマイブームらしいギャル文字(古い)のせいで解読に大分時間が掛かったが。
むしろ解読した事を褒めてほしいくらいだ。

「あ、来た来た。おーい"さんげつ"こっちこっち!」
「止めて下さいどっかのリフォーム会社みたいなその呼び方」
「おーい来たぞー」
「やぁあっちゃん!」
「聞けや人の話」

奥座敷を占領していたのは、戴波の職場――アクアマリン・アクアリウムという名の今年4月にリニューアルオープンした水族館の同僚たちだった。
せっかく館長(因みにあだ名は空気)が気を効かせて誕生日だからとシフトを休みにしてくれたというのに…彼らには空気を読むというスキルが欠けているに違いない。

「さぁ20歳になったんだから飲みなさい!」
「いや俺明日早番…」
「お姉さーん中ジョッキ1つー!」
「おぃぃいいいいいいいい??!!!」

因みに今年就職したばかりの頃に半強制的にやはりここの飲み屋に連れて来られ、当時当然未成年だったにも関わらずさんざん飲まされたという過去がある。
彼らの人の話を聞かないスキルも着々とレベルアップしていっている。



「そういやぁ、最近よくパトカー見るなー」

ほろ酔い状態になりながら、背後の表通りに面した窓から外を見ながら、一人がそう呟く。
その視線の先ではサイレンを鳴らしてはいないが赤色灯を光らせたパトカーが通り過ぎて行った。

「あんたニュース見てないのー?
洛中のどっかのホテルでどっかとシュノーカイダンやるってやってたじゃない」
「お前の記憶もあやふやじゃねぇか」
「確か日米韓だっけ?」
「北朝鮮からもお偉いサンが参加するって話じゃなかったか?」
「テロの危険性を考慮してっつって会場は公開されてなかったよね」

そろそろお開き的な時間と空気の中、ある意味つわものが持ち込んだ20号のホールケーキ2つを器用に奇数人数分切り分け、それぞれ腹の中に収めながら思い思いに話をこぼす。
その喧騒の中で本来の今日の主役は、イチゴが刺さったフォークを握り締め見つめたまま微動だにしないでいた。

「どしたよ、さんげつ」
「……………ナンデモナイデス」

一瞬過ぎった不安感を払拭する為、無理矢理口の中にイチゴを突っ込んでいた。





※※※※※※※※※※※※



一馬に水族館のチケットを渡した(売り飛ばした)張本人の保護者が京都大学に勤めており、せっかくだからと京都駅まで車で乗せて行って貰う約束を取り付けたのが前々日の18日。
つまり当日の20日、4人は芹沢氏の運転する紺色の乗用車に乗り込んでいた。

「すみません色々と…」
「気にしないで、緋月の行動には慣れているから」

きゃわきゃわはしゃぐ五条姉弟に微笑ましいものを見る目を向けた運転手は、若い外見にそぐわない30代前半のまだギリギリ青年と呼べる人だった。
緋月に「父さん」と呼ばれる彼は実際には血縁上父方の叔父に当たり、まだ互いに幼稚園児と大学生だった頃に事故で両親と兄夫婦を亡くし、他に親戚もいなかった為に引き取られたという過去がある。
どこかほわんとした雰囲気を持つ彼を見ると、何故あんながめつい性格に育ったのか不思議でならないが、保護者がこんな性格だったからこそ「主婦か!」とツッコミたくなる程しっかりした性格になったのではないかと一馬は自己完結した。


ラジオ体操に参加して夏バテ防止の朝ごはんを食べてからの為、家を出たのは朝の8時半。
4人共におそらく一生忘れる事の出来ない夏休みの一日が、こうして始まった。



.

3/6ページ
スキ