呪術
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【今後100年の冷蔵庫】
甘い匂いがする。そして嫌な予感もする。
野薔薇は香水瓶でも割れたのかと思い、所狭しと化粧品を並べたローテーブルを確かめるが、ヒビ一つはいっていなかった。
すんすんと、鼻を頼りに匂いの元をたどるとキッチンに行き着いた。白い家電製品の上段を開け、──特に問題なかった──下段を開ける。
嫌な予感ほどよくあたるというけれど、やはりというべきか、アイスの類が液状化して冷凍室をカラフルに染めあげていた。
「……マジ?」
冷蔵庫が壊れた。それも冷凍室だけ。新製品なので高機能です。十年は保ちます、なんてセールス文句は嘘だったらしい。高専の寮を出て、ひとり暮らしを始めてすぐの時に買ったから、まだ何年も経っていないのに。
一先ずカラフルになったケースを外し水洗いしてみる。しょうがない買い換えるか、でもうまく使えば冷凍庫なしでまだ使えそうだな、でもアイス食べたいよな。
最近、ひとりごとが多くなった気がする。話し相手がいないのだから当たり前だけど。家にいる時は良いにしても、外でぶつぶつ言ってしまうんじゃないかと心配になる。呪霊と話してました、とでも言えば通るか。あ、でも霊と話すとついてくるんだっけ。それはわずらわしい。
『冷蔵庫、つーか冷凍庫こわれたんだけど、買い換えた方がいいと思う?』
『いいと思う』
『不良品かしら、萎える』
『いつ買ったの?』
『高専でたとき』
『はやいな、色々と。……わたしのとこのもなんか調子悪いけどさ』
『なまえのは中古でしょ。確か』
『うん。五条先生がくれた『これ卒業祝いね。冷蔵庫、かなり呪われてるけど払えばほぼ新品だから』つって』
『声真似うま。……呪われた冷蔵庫押しつけられて、しかも使うってどうなのよ』
『霊がいる分だけ冷えると思ったんじゃない。壊れたけど。野薔薇ちゃんはなに貰ったんだっけ?』
『コ・イ・ヌールもらったけど呪われたくないし、突き返した。なんで持ってたんだろ』
『国家機関とか絡んでたりして……にしてもいらないねえ……』
言いながら、彼女は高層ビルを見上げた。なにかあるのか、私もつられて見上げたが広告ビジョンが新製品を宣伝しているだけだった。飛び降りたくなるような青空だった。
なまえはなにか言おうとして止めて、私を見ながら自分の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて俯いた。
冷蔵庫の話を彼女の方からも持ち出してきたあたりで、なんとなくだが察しはついていた。私から言ってもいいけど、そんなに思い倦ねているんだからきっと自分から言いたいのだろう。私は黙ったまま信号が変わるのを見つめた。
「冷蔵庫も……壊れたことだし、あのさ野薔薇ちゃん……わたしと、」
───私の目は、私の耳はありもしないものをみている。
ひとりさせるからと、寂しくないようにごめんな、と言って彼女が今際の際に残した術 だった。
あの子が“いた”ときの事を、思い出す。待ち合わせなんてしなくても迎えにきてくれた、歩くときは車道を避けてくれた、私が買い漁ったショッピングバックを笑いながら一緒に持ってくれた。見た目はいかにもthe女子といった風なのに、中身はそこら辺の男よりよっぽどイケメンだった。何度も死戦を共にしていたというのに、浮かぶのはどうでもいい日常ばかりだった。数年前は四人でこの大型ビジョンを見上げて、あれこれ話をしたものだった。
昨日のことのように思う。結局、田舎者なんだ、私は。高層ビルを見上げるたびに憧憬が先走るんだから。
故郷はとうに捨てた。故郷と名付けた椅子が頭の中にあるからそれで良い、帰りたいと思わないのだから必要ない。
小さな島国のこれまた小さな村に生まれた私は読み書きよりも先に常識というものを覚えた。その常識とやらは、世間一般の一般常識というものではなく、そこの村でしか通用しない類のひどく偏屈なもの。
今思うと私は早熟ではあったが成熟はしていなかったのだ。都会に来さえすれば世界が拡がると信じていたのだから。ただの一分も疑わなかったのだから。
幸か不幸か果たしてそれは正しかった。新しい友人、新しい環境、無理やりに確実に広がった世界。
それでも、大切な椅子に座っていた人たちは、
ひとり減り、ふたり減り。……どうして。
アイツらがいるところが私の帰る場所であってほしかったのに。
スクランブル交差点は人が多いせいか、人に混じって幽霊がいるらしい。そんなに人恋しいのか、そんなに寂しいのか。……そういう私も、交差点の幽霊とたいして変わりないのだろう。
きっと彼女が東京にいないのだから世界中探したってどこにもいないのだろう。そんなこと知っている。
それでも、誰に向かってでもなく行く当てもなく呟いてみる。
ねえ、そこにいるなら出てきてくれない?隠れんぼは嫌いなのよ。
雑踏が動き出してはじめて、自分が横断歩道の前にいたことに気づく。私は誰に会おうとしていたんだ。会いたくてたまらない相手は、待ち合わせしなくてもいつも私を迎えにきてくれていたのに。
いつになってもあの言葉が忘れられないのはもう過去のことだから、なのか、それとも過去だから忘れられないのか。残穢みたいね、どうしようもないくらいに。ほんとにやっかいだ。
思い出ばかりが残る渋谷だった。いまはひとりで信号を見つめる。
「冷蔵庫も……壊れたことだし、あのさ……わたしと───」
甘い匂いがする。そして嫌な予感もする。
野薔薇は香水瓶でも割れたのかと思い、所狭しと化粧品を並べたローテーブルを確かめるが、ヒビ一つはいっていなかった。
すんすんと、鼻を頼りに匂いの元をたどるとキッチンに行き着いた。白い家電製品の上段を開け、──特に問題なかった──下段を開ける。
嫌な予感ほどよくあたるというけれど、やはりというべきか、アイスの類が液状化して冷凍室をカラフルに染めあげていた。
「……マジ?」
冷蔵庫が壊れた。それも冷凍室だけ。新製品なので高機能です。十年は保ちます、なんてセールス文句は嘘だったらしい。高専の寮を出て、ひとり暮らしを始めてすぐの時に買ったから、まだ何年も経っていないのに。
一先ずカラフルになったケースを外し水洗いしてみる。しょうがない買い換えるか、でもうまく使えば冷凍庫なしでまだ使えそうだな、でもアイス食べたいよな。
最近、ひとりごとが多くなった気がする。話し相手がいないのだから当たり前だけど。家にいる時は良いにしても、外でぶつぶつ言ってしまうんじゃないかと心配になる。呪霊と話してました、とでも言えば通るか。あ、でも霊と話すとついてくるんだっけ。それはわずらわしい。
『冷蔵庫、つーか冷凍庫こわれたんだけど、買い換えた方がいいと思う?』
『いいと思う』
『不良品かしら、萎える』
『いつ買ったの?』
『高専でたとき』
『はやいな、色々と。……わたしのとこのもなんか調子悪いけどさ』
『なまえのは中古でしょ。確か』
『うん。五条先生がくれた『これ卒業祝いね。冷蔵庫、かなり呪われてるけど払えばほぼ新品だから』つって』
『声真似うま。……呪われた冷蔵庫押しつけられて、しかも使うってどうなのよ』
『霊がいる分だけ冷えると思ったんじゃない。壊れたけど。野薔薇ちゃんはなに貰ったんだっけ?』
『コ・イ・ヌールもらったけど呪われたくないし、突き返した。なんで持ってたんだろ』
『国家機関とか絡んでたりして……にしてもいらないねえ……』
言いながら、彼女は高層ビルを見上げた。なにかあるのか、私もつられて見上げたが広告ビジョンが新製品を宣伝しているだけだった。飛び降りたくなるような青空だった。
なまえはなにか言おうとして止めて、私を見ながら自分の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて俯いた。
冷蔵庫の話を彼女の方からも持ち出してきたあたりで、なんとなくだが察しはついていた。私から言ってもいいけど、そんなに思い倦ねているんだからきっと自分から言いたいのだろう。私は黙ったまま信号が変わるのを見つめた。
「冷蔵庫も……壊れたことだし、あのさ野薔薇ちゃん……わたしと、」
───私の目は、私の耳はありもしないものをみている。
ひとりさせるからと、寂しくないようにごめんな、と言って彼女が今際の際に残した
あの子が“いた”ときの事を、思い出す。待ち合わせなんてしなくても迎えにきてくれた、歩くときは車道を避けてくれた、私が買い漁ったショッピングバックを笑いながら一緒に持ってくれた。見た目はいかにもthe女子といった風なのに、中身はそこら辺の男よりよっぽどイケメンだった。何度も死戦を共にしていたというのに、浮かぶのはどうでもいい日常ばかりだった。数年前は四人でこの大型ビジョンを見上げて、あれこれ話をしたものだった。
昨日のことのように思う。結局、田舎者なんだ、私は。高層ビルを見上げるたびに憧憬が先走るんだから。
故郷はとうに捨てた。故郷と名付けた椅子が頭の中にあるからそれで良い、帰りたいと思わないのだから必要ない。
小さな島国のこれまた小さな村に生まれた私は読み書きよりも先に常識というものを覚えた。その常識とやらは、世間一般の一般常識というものではなく、そこの村でしか通用しない類のひどく偏屈なもの。
今思うと私は早熟ではあったが成熟はしていなかったのだ。都会に来さえすれば世界が拡がると信じていたのだから。ただの一分も疑わなかったのだから。
幸か不幸か果たしてそれは正しかった。新しい友人、新しい環境、無理やりに確実に広がった世界。
それでも、大切な椅子に座っていた人たちは、
ひとり減り、ふたり減り。……どうして。
アイツらがいるところが私の帰る場所であってほしかったのに。
スクランブル交差点は人が多いせいか、人に混じって幽霊がいるらしい。そんなに人恋しいのか、そんなに寂しいのか。……そういう私も、交差点の幽霊とたいして変わりないのだろう。
きっと彼女が東京にいないのだから世界中探したってどこにもいないのだろう。そんなこと知っている。
それでも、誰に向かってでもなく行く当てもなく呟いてみる。
ねえ、そこにいるなら出てきてくれない?隠れんぼは嫌いなのよ。
雑踏が動き出してはじめて、自分が横断歩道の前にいたことに気づく。私は誰に会おうとしていたんだ。会いたくてたまらない相手は、待ち合わせしなくてもいつも私を迎えにきてくれていたのに。
いつになってもあの言葉が忘れられないのはもう過去のことだから、なのか、それとも過去だから忘れられないのか。残穢みたいね、どうしようもないくらいに。ほんとにやっかいだ。
思い出ばかりが残る渋谷だった。いまはひとりで信号を見つめる。
「冷蔵庫も……壊れたことだし、あのさ……わたしと───」